「私の見た大阪及び大阪人(抜き書き其の二) - 谷崎潤一郎」岩波文庫 谷崎潤一郎随筆集 から

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「私の見た大阪及び大阪人(抜き書き其の二) - 谷崎潤一郎岩波文庫 谷崎潤一郎随筆集 から



大阪人の処世訓の中に、「嫁を貰うには京女がいい」という言葉がある。してみると京都の女は大阪人以上に世帯持がよく、家政の道に賢いのであろうか、私などの眼には、大阪の女もおさおさ京都には劣らないように思われる。
かつて私は府立女専出身の婦人を二人まで秘書に使ったことがあったが、秘書といっても私の仕事は不規則だから、時間を極めてオフィスへ通うのではない、まあ家族同様に家に住み込んでもらって、つめて仕事をするのは精々一と月に十日くらい、あとは毎日ぶらんぶしているので、普通の職業婦人のように体が縛られてはいないのである。ところで私が感心したのは、二人ながらめったに家を空けたことがない。用があってもなくってもじっと家に引き籠っている。だから従って無駄費[づか]いをする機会もない。活動とか、音楽会とか、物見遊山にも、私たちが誘わなければ、決して自分の小遣いでは行かない。良家の娘としては当然のことかも知れないが、東京の文学青年や文学少女の気風を知っている私には、これはちょっと意外であった。東京であったら、仮にも専門学校で文学を学び、小説家の家庭に住み込んで、その上時間にも余裕があり、多少の月給を貰うとしたら、あんなにおとなしくしている女は先ずないであろう。暇さえあれば外へ交際を求めに行ったり、気の利いた洋服の一つも拵えて諸所をうろつき廻ったりして、ちっとも腰が落ち付かないのがあの年頃の女の常である。しかるに私の使っていた人たちは、そういう点が少し意気地がなさすぎるほど善良で、非活動的であった。が、それなら一日机に向って勉強でもするかというのに、そうでもない。私の所には大した蔵書もないけれども、それでも世間並みの家庭よりは文学書もあり、質問の便宜もあり、文壇関係の来客もあるのに、彼女らは学校を出たが最後、もはや文学なぞに何んの興味もないらしく、この絶好の機会と刺戟とを利用しようともしないのである。それで彼女たちのすることを見ていると、低級な婦人雑誌を読むとか、家族たちと一緒になって家事を手伝うとか、裁縫をするとか、そんな様子は小間使いと変りはない。要するに彼女たちは何処までも家庭の女なのである。教育のあることを鼻にかけたり、家族と衝突したりするような心配はないので、家の中の治まりはいいが、少しはわれわれに喰ってかかるくらいな気概があり、学問芸術に対する野心があってもよさそうに思う。これはこの婦人の一人から聞いた話であるが、そういう連中が学校を卒業して地方の教員の職にでもありつき、大阪を立つという日になると、同窓の友だちが梅田の駅へ見送りに行って別れを惜しみ、立つ方も送る方も声を挙げて泣くという。それが九州北海道の果てへでも赴任するのなら知らぬこと、東京ぐらいの距離へ行くのでもやはりそうであるというに至っては、実にイジラシイことの限りではないか。
しかし、そんな風だから、女房に持てば情が濃[こま]やかで、柔順で、家計の切り盛りが上手なことは凡そ想像に難くない。どんな金持の娘でも、百円前後のサラリーマンの所へ片附いて世帯を遣り繰りして行くだけの覚悟と腕前とは持っているらしい。中にはまた、未亡人や低能な夫を持っている女で、堂々と店舗を張り、番頭や手代を駆使して、自ら商法を営んでいる者も珍しくない。それほどでなくとも、亡夫の遺産を資本にして、ぽつぽつと小金を貸したりしながら子女を養っているというようなのは、私の知人のお母さんなどにも二、三人はある。東京で女相場師とか女金貸しとかいうと、いかにも変り者のように思われて忽ち世間の評判になるが、大阪では一向不思議がられていないようである。