(巻二十四)癇癪よ小言よ金よ年の暮(尾崎紅葉)

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2月18日火曜日 

とじ傘
散歩は短い南コースにした。昨日は随分歩いたし、三時間も立っていた。

本

 「甲の得は乙の損 - 邱永漢」中公文庫 金銭読本 から

を読んだ。

《 私のいわんとするところは、「甲の得は乙の損」だから、金儲けをするなら皆と同じことをやらない方がよいということ、もしくは人の裏をかく必要があるということである。一般に金儲けは、その安全性においていくらか優れている場合もあるが、馬券を買う要領とそれほど大差はないものである。》

と金儲けの達人は結んでいます。

しかし、馬券のことについては浅田次郎氏が運ではないと力説していましす。

 「ギャンブラー英才教育 - 浅田次郎ちくま文庫 わかっちゃいるけどギャンブル! から

祖父はいわゆる「宵ごしの銭は持たぬ」タイプの江戸ッ子であったが、父は極めて経済感覚の鋭い人であった。バクチを打つかたわら事業を営み、けっこう財産も作った。もちろんバクチも名人であった。
父は私に、バクチを打つなと言ったことはない。ただ、バクチについての多くの金言を遺した。ふつうの親なら、人生がどうのとか学問がどうのとか、くどくど口にする説教は何ひとつ言わず、教えたことといえばバクチに勝つ方法ばかりであった。
一種のギャンブラー英才教育とでも言うべきか。
思い出すままに、そのいくつかを挙げてみる。
〈米を買う金もバクチを打つ金も、同じ金である〉
まさに金言。場の内と外とで金の値打ちが変わるようでは、決して勝てはしないということだ。
〈バクチは努力。運だと思うのなら宝クジで辛抱しろ〉》

そして、馬の立場から見た馬券については昨日の利口な馬の話がある。

儲と賭はニンベンの有る無しの違いだが、その心は?

これからが丸儲けぞよ娑婆遊び(小林一茶)

ひた走る馬は賭けられ菊の前(小泉八重子)
 
夜、FM葛飾で鉄ちゃん番組を聴いた。京葉線開業30周年特集だった。
写真は何年か前に京葉線車中から一撮したもの。