「蕪村はグルメ - 安田宏一(医師)」文春文庫 88年版ベスト・エッセイ集 から

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「蕪村はグルメ - 安田宏一(医師)」文春文庫 88年版ベスト・エッセイ集 から

モーツァルト、蕪村、ルノアールは、わたしの好きな音楽家、詩人、画家である。なんだ、まるで巨人、大鵬、玉子焼じゃないかと、ひやかされそうだが、好きは好きなんで仕方がない。
中でも蕪村は高校時代からの愛読書で、片思い三十数年、長いものである。そのほかの好きなものと言えば、たべること飲むこと。そこで蕪村はどんなものをたべいたのか、俳句の上からしらべてみた。
岩波文庫の『蕪村俳句集』の全部の句はざっと千八百句である。その中で、たべものに関する句を取り出してみたら、百四十六句あった。八パーセントである。これが多いか少ないかは、芭蕉や一茶の統計と比較してみるとよいのだが、まだそこまではやっていない。印象としては多いように感じる。このたべものの俳句から蕪村の好みを分析してみようと思う。

〈すし〉
たべものの俳句のうち、料理の名の出てくるものの中では、「すし」が最も多く十六句もある。この中には有名な「鮒ずしや彦根の城に雲かかる」も入っている。
蕪村は京都に住んでいたから、当然そのすしは江戸風のにぎりではなく、関西風の押しずしで、しかも自分で作っていたらしい。「鮓おしてしばし淋しきこころかな」「鮓を圧す我酒醸す隣あり」「鮓をおす石上に詩を題すべく」などの句にそのことが現れている。「真しらげのよね一升や鮓のめし」は、すし作りの準備段階であり、「すし桶を洗へば浅き遊魚かな」は、そのあと片づけの情景であろう。
十七世紀ごろから、飯に酢を入れて味をつける一夜ずしというのが発明された。蕪村は十八世紀の人だから、当然それは知っていて、「夢さめてあはやとひらく一夜鮓」という句を作っている。
しかし好きだったのは、昔風の数日から数週間かけて、自然の発酵を待つ馴れずしだったのではないだろうか。「寂寞[じやくまく]と昼間の鮓のなれ加減」とでき具合を心配している。頃はよしというと知人を集め、「木の下に鮓の口切るあるじ哉」ということになり、「なれすぎた鮓をあるじの遺恨哉」と少し謙遜してみせながら、客にすすめることになるのだろう。蕪村のすしの句は、実感があり活き活きしている。

〈ふぐ汁〉
すしに次いで多いのが「ふぐ汁」で、十句ある。ふぐ汁に限らずふぐを詠んだ句となると、合せて十八句となり、すしの句を凌駕する。
「鰒汁[ふぐじる]の宿赤あかと燈しけり」という光景に誘われて料理屋に入ると、「袴着て鰒喰ふてゐる町人よ」「ふぐ汁の亭主と見えて上座哉」というような先客がいる。ふぐ汁はふぐちりではなく、白みそ仕立ての汁物だったらしい。ふぐさしも出てこないようだ。食べてみるとこんなうまいものはない。
「その昔鎌倉の海に鰒やなき」「秋風の呉人はしらじふぐと汁」と、ふぐを食った形跡のない鎌倉武士や古代中国人に、同情と優越感を示している。
しかし、中国でも蘇東坡などはふぐの味を、「一死に値す」と大胆に言い切っている。蕪村も同じ気持だったろうが、周囲の人は頻りに止めたに違いない。「鰒くへと乳母は育てぬうらみかな」という句があるし、「ふぐ汁の我活て居る寝覚哉」という、自分でもあたらなくてほっとした感じを正直に述べている。