(巻二十四)はじめから毒茸と決め一瞥す(山田弘子)

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2月24日月曜日

日差しは弱いが息子の毛布“カバー”を洗濯した。

約束も用事もなくて蒲団干す(井戸幸子)

とじ傘
南の百均に8号の植木鉢とトイレ掃除のブラシとブラシ立てを買いに行った。三点でほんとに三百三十円でした!
心にミカンの植え替えができるだけの余裕があることを願う。

「バカカバー - 椎名誠」文春文庫 赤眼評論 から

を読んでみました。

《日本人はカバー好きで、放っておくと何でもかんでもカバーんかけてしまうけれど、カバーをかけて意味のあるものとあまり意味のないものとあるような気がするのだ。
電話機のカバーなんていうのはその代表的なもので、あれはけっこうよく見かけるけれど何のためのカバーなのかいまだにどうもよくわからない。電話機が傷まないため、というようなことなのだろうかと思うがしかしあんなもの少々の傷がついたってどうってことないような気がする。まさか保温用ということもないだろうし、一番考えられるのは装飾用ということぐらいだけれどそうだとしたらおぞましい話だと思いますね。 》

が導入です。1987年が初版の文庫本なので電話カバーで始まっています。テレビのカバー、ゴルフのクラブヘッドカバー、などなどを槍玉にあげて、お仕舞いはトイレット・ペーパーのカバーで締めておりました。
1987年ころは無邪気な時代でした。知らぬが仏とはよく言ったものです。あたしゃなんにも知らずに苦しむこと無くさっさと仏になりたい。

念仏は無の字ばかりや寒波くる(前田美智子)