(巻二十五)春愁と怠け心の分け難し(野坂紅羽)

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(巻二十五)春愁と怠け心の分け難し(野坂紅羽)

 

三月五日木曜日

 

(顔本)

グループへの応募が続いたが、どなたも既に百、二百、というグループに所属済みで友達千人超えのスレたのばかりです。

お断りすると共に、応募者への質問に「試作品を送ってくれますか?」を加えたら、やっと止まった。

 

(夫婦)

朝の掃除をしているときに細君の思い出ばなしから子供の頃の便所紙の話になった。

あたしの生家は貧乏で吝嗇[りんしよく]であったからねずみ色をした最下等の紙を使っていたが、細君のところでは、流石にそれは使っていなかったそうだ。

続いてその頃の学校のトイレに紙は用意されていたかどうかという話題に展開していったが、いろいろなニュースの影響を受けての夫婦の会話になる。

このねずみ色の便所紙は寺田寅彦が『浅草紙』で観察しているものと同じものか?

 

(義妹)

義妹とその娘が買い物の帰りに立ち寄った。三人で玄関のところで暫く立ち話し。スーパーの在庫状況などな情報を頂いたようだ。米はたっぷりあったそうである。

細君が残った場合は義妹とその娘が発見者になるのだろう。あたしがひとりぼっちで残った場合はお巡りさんであろう。やはりどうしても先に逝かなくてはならない。

 

夏霧や妻は第一発見者(目黒輝美)

 

 

(再読)

《 「浅草紙 - 寺田寅彦岩波文庫 日本近代随筆選 1 から

 

 

十二月の始めのある日、珍しくよく晴れて、そして風のちっともない午前に、私は病床から這い出して縁側で日向ぼっこをしていた。都会では

滅多には見られぬ強烈な日光がじかに顔に照りつけるのが少し痛いほどであった。そこに干してある蒲団からはぽかぽかと暖かい陽炎が立っているようであった。湿った土からは、かすかに白い霧が立って、それがわずかな気紛れな風の戦(そよ)ぎにあおられて小さな渦を巻いたりしていた。子供等は皆学校へ行っているし、他の家族もどこで何をしているのか少しの音もしなかった。実に静かな穏やかな朝であった。

私は無我無心でぼんやりしていた。ただ身体中の毛穴から暖かい日光を吸い込んで、それがこのしなびた肉体の中に滲み込んで行くような心持を かすかに自覚しているだけであった。

ふと気がついて見ると私のすぐ眼の前の縁側の端に一枚の浅草紙が落ちている。それはまだ新しい、ちっとも汚れていないのであった。私はほとんど無意識にそれを取り上げて見ているうちに、その紙の上に現われている色々の斑点が眼に付き出した。

紙の色は鈍い鼠色で、ちょうど子供等の手工に使う粘土のような色をしている。片側は滑らかであるが、裏側はずいぶんざらざらして荒筵(あらむしろ)のような縞目(しまめ)が目立って見える。しかし日光に透かして見るとこれとはまた独立な、もっと細かく規則正しい簾(すだれ)のような縞目が見える。この縞はたぶん紙を漉(す)く時に繊維を沈着させる簾の痕跡であろうが、裏側の荒い縞は何だか分らなかった。

指頭( しとう)大の穴が三つばかり明いて、その周囲から喰(は)み出した繊維がその穴を塞(ふさ)ごうとして手を延ばしていた。

そんな事はどうでもよいが、私の眼についたのは、この灰色の四十平方寸ばかりの面積の上に不規則に散在しているさまざまの斑点であった。

先ず一番に気の付くのは赤や青や紫や美しい色彩を帯びた斑点である。大きいのでせいぜい二、三分(ぶ)四方、小さいのは虫眼鏡ででも見なければならないような色紙の片が漉き込まれているのである。それがただ一様な色紙ではなくて、よく見るとその上には色々のの規則正しい模様や縞や点線が現われている。よくよく見ているとその中のある物は状袋のたばを束ねてある帯紙らしかった。またある物は巻煙草の朝日の包紙の一片らしかった。マ ッチのペーパーや広告の散らし紙や、女の子のおもちゃにするおすべ紙や、あらゆるそお云った色刷のどれかを想い出させるような片々が見出されて来た。微細な断片が想像の力で補充されて頭の中には色々な大きな色彩の模様が現われて来た。

普通の白地に黒インキで印刷した文字もあった。大概やっと一字、せいぜい二字くらいしか読めない。それを拾って読んでみると例えば「一同」「円」などはいいが「(難漢字)」などという妙な文字も現われている。それが何かの意味の深い謎ででもあるような気がするのであった。「蛉かな」という新聞の俳句欄の一片らしいのが見付かった時は少しおかしくなって来てつい独りで笑った。

どうしてこんな小片が、よくこなれた繊維の中で崩れずに形を保って来たものか。この紙の製造方法を知らない私には分らない疑問であった。あるいはこれらの部分だけ油のようなものが濃く浸み込んでいたためにとろけないで残って来たのではないかと思ったりした。

紙片の外にまださまざまの物の破片がくっついていた。木綿糸の結び玉や、毛髪や動物の毛らしきものや、ボール紙のかけらや、鉛筆の削り屑、マッチ箱の破片、こんなものは容易に認められるが、中にはどうしても来歴の分らない不思議な物件の断片があった。それからある植物の枯れた外皮と思われるのがあって、その植物が何だということがどうしても思い出せなかったりした。

これらの小片は動植物界のものばかりでなく鉱物界 からのものもあった。斜めに日光にすかして見ると、雲母の小片が銀色の鱗のようにきらきら光っていた。

だんだん見て行くうちにこの沢山な物のかけらの歴史がかなりに面白いもののように思われて来た。何の関係もない色々の工場で製造された種々の物品がさまざまの道を通ってある家の紙屑籠で一度集合した後に、また他の家から来た屑と混合して製紙場の槽(ふね)から流れ出すまでの径路に、どれほどの複雑な世相が纏綿(てんめん)していたか、こう一枚の浅草紙になってしまった今では再びそれをたどって見るようはなかった。私はただ漠然と日常の世界に張り渡された因果の網目の限りもない複雑さを思い浮べるに過ぎなかった。

あらゆる方面から来る材料が一つの釜で混ぜられ、こなされて、それ からまた新しい一つのものが生れるという過程は、人間の精神界の製作品にもそれに類似した過程のある事を聯想させない訳にはゆかなかった。

(以下省略)》

 

哲学も科学も寒きくさめ哉(寺田寅彦)