「悪筆と歌 - 馬場あき子」文春文庫 巻頭随筆4

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「悪筆と歌 - 馬場あき子」文春文庫 巻頭随筆4
 
少女の頃から筆墨への憧れは強いのに、筆を持ったとたん夢は消えてしまうという悪筆に、どれだけ失望を重ねてきたことだろう。何度失敗しても直らない一つの傾向は、必ず料紙におさまらなくなる竜頭蛇尾型で、字数が多ければなおさらだが、一字ならよかろうと思うと、それさえ頭でっかちで末まではきちんとかけたためしがない。
子供の時の失敗記憶もなぜか忘れず手の感覚に残っていて、冠まではうまくいったと思うと、たちまち空おそろしくなって次の画[かく]からはめちゃになってしまう。書初めに失敗して紙がなくなり、泣き出しそうになって眼がさめるという、おきまりの夢も今もって時々みる。
女学校に入ってかな文字の美しい手本を習うことになった時、王朝的ムードへの憧れやみがたく、螺鈿[らでん]の入った硯箱や、美しい切り継ぎのある料紙を買ってもらい、いまに書けるようになると思い込んでいた。しかし、臨書という丹念な模倣の時代をおろそかにしたせいか、また夢想的でぶっつけ本番好きな性格によるのか、心ははやれど美しい紙に書けば書くほど書きそこなうばかり、以後何十年、練習なしで上達しようという甘い夢は破れっぱなしで、いつしか身辺から紙筆のたぐいは消え、書かないのが一番夢をみたすに近い方法であることが身についた。
ところが因果なことに歌人という世間への通り名がしだいにきまってしまうと、思いがけず行く先に筆墨が待ちうけていることがあって、近年は再び少女時代の悪夢がたちかえるおそれにおびえはじめている。
現代のような有機的な時代に、短歌を作っているなどという人種は特別に時間の刻みが狂っていると考えられてしまうのか、「歌人」と紹介されてから、どこかうさんくさい眼つきで見られ、何となくきまりの悪い思いをすることが少なくない。しかも、しばらくのきまり悪さの次には、しばしば色紙や短冊が、「歌人なら書けるはず」といわんばかりに、丁重に、また人だめしのように出されてくると本当に情けなくなる。呟くように断りのことばを口の中で繰返していると、思いがけず「○○さんがこの前書いてくれた色紙」と、人気女優や野球の選手の色紙などが持ち出されたりして、もしや歌人とは歌手のはしくれと思われているのではないかと、何年か前、中国で歌手と紹介された歌人の驚きを日本で新たにしたりする。
歌人もサインペンで気軽に名前をかいてすませばいいのだが、やはりそれでは相手が承知しないらしく、ある高名な歌人は旅の宿で十枚以上も色紙を書かされる破目になり、お酒も冷えてしまったときいている。そういうものを集めたがる趣味とは一体何なのだろう。たぶん、人間的交流がないかぎり、あまり縁もない人の筆跡などはなつかしいはずもなく、すぐとどこかへ消えてしまうものなのではなかろうか。
しかし、近代の茂吉や白秋、牧水たちはずいぶんさまざまな場で書き残していて、さすが筆墨にははるかに親しかった時代の気軽な雰囲気が楽しげに滲[にじ]んでいる。友人を送る宴[うたげ]の寄せ書きなどに即詠の興趣もあふれていて、それはそれでいいものだなあ、と思う。
先日、仕事があって風花[かざはな]の舞う寒い寒い当麻寺[たいまでら]に出掛け、冷えきった体を甘酒で暖めていると、どういうことかお店のお兄さんが色紙とサインペンを出した。火に当ててもらったし断るのもばつが悪く、とうとう、かつてしたことのない即詠の一首というのを書いてしまった。
折ふし私は当麻の中将姫のことを考えていた。そこで思わず、折口信夫の「死者の書」に出てくる当麻真人[まひと]という名がうかんできて、「きさらきの当麻真人のさびしさにひかるとみえて白梅の花」と、少し懐古的な調子の一首ができた。もう一枚は手数を省いて、上句を「負け死の当麻?速[けはや]きさらきを」と変えて下句は「ひかるとみえて白梅の花」とそのままにすまし、慣れないサインペンでいっそう下手くそにみえる色紙をなるべく見ないようにして渡した。
何だかわからない変な歌だと思って読んでいるすきに逃げ出してきた。以後まちがっても甘酒屋などでこうした破目に陥らないように自戒しよう、と思い、また、早くどこかへ失[な]くなってくれればいいと思い、後悔はいまに消えない。即詠、即書、いずれも何十年となくうまくいくはずのなかったことは決してするべからずである。
「歌ひとつあるで話がけつまづき」という川柳を教えてくれたのは死んだ舅[しゆうと]だったが、それは私のような不器用な歌よみにとっては、二重にも三重にも意味のある警句であるような気がしてきた。