2/2「不良老人の色気 ー 嵐山光三郎」退歩的文化人のススメ から

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2/2「不良老人の色気 ー 嵐山光三郎」退歩的文化人のススメ から

今回刊行された千萬子との往復書簡は、そういった谷崎の最後のラブレター集である。しかし、千萬子さんの写真を見ると、正直に言ってさほど美人ではないし、顔が角ばっていて(失礼ながら)ガニマタで、小説に出てくる颯子のイメージとはまるで違う。本の図版に「これでも美人でないかと言ってこの写真をお見せなさい」という谷崎の自筆文があり、つまり谷崎も本心では「美人でない」と思っていたふしがある。
でも、そんなことはどうでもいい。千萬子の手紙は刺激的で、老人の妄想をかきたてる。金を無心したかと思うと、週刊新潮の記事をけなしたり、「瘋癲老人日記」の映画シナリオにケチをつくたり、書きたい放題だ。映画に出演した俳優にまでケチをつけ、颯子役の若尾文子を「お色気たっぷりの女臭いしなをつくった女」ときめつけている。自尊心が強くてわがままな谷崎にものおじせず、思ったままを書く術は、ボーイッシュな形をした女のなかの女てあることがわかる。書簡のやりとりを見ると、谷崎をここまで手玉にとった千萬子はかなりの才人だが、なに、手玉にとられたふりをしているのは谷崎のほうで、谷崎は千萬子に、架空の颯子を妄想しているだけなのだ。
人は年をとると、わざとぼけたふりをして家族を心配させて面白がったりする。これは老人の高等技術で、若い人は手玉にとられる。千萬子もそれを知りつつ谷崎を挑発していくところが、この往復書簡の見どころである。
谷崎に学ぶもうひとつのことは、言葉が妄想を刺激することである。本物の女よりも文字化された女が想像力をかきたて、実際の性行為よりも架空の性行為のほうに興奮し、つまり武器が言葉となる。口述筆記であろうと、言葉という銃弾を発射しつづける限り、人は下降しつつ凶器となっていく。
若いときの谷崎は傲慢不遜で、大学の後輩の芥川をなぶりつづけた。芥川が自殺してもなお、「芥川は作家の器量ではない」と言い放った。戦時中、疎開さきの岡山県津山へ恩人の荷風を呼び、歓待するふりをしながらも、女たちに囲まれた優雅な生活を見せつけ、敏感な荷風はそれを感じとって津山を離れた。谷崎にとっては、師も後輩も弄ぶ対象に過ぎず、それほどの谷崎が、小生意気な娘に手玉にとられ、頼まれれば金を送り、ケチをつけれれば謝り、おまけに足型をおくるよう哀願するのだから、マゾヒズムと言ってしまえばそれまでだが、これぞ老獪極る技と言っていい。
私は死ぬ前年、七十八歳の谷崎を、中央公論社主催の文芸講演会で見た。そのとき、私は大学四年生だった。淡路恵子に手を引かれて演壇に立った谷崎は、ちょっとよろけてみせ、それから、一言二言しゃべって、七、八分間で退場した。谷崎のあとの講演は小林秀雄で、身ぶり手ぶりの落語のような話で場内をわかせたものの、谷崎のあとでは役者の格が違い、かえって谷崎の存在感が強く残った。ユラユラとよろける谷崎には不良老人の色気があり、茫然として全身がふるえた。
谷崎は、『瘋癲老人日記』のなかで「死を考えない日はないが、それは必ずしも恐怖をともなわず幾分楽しくさえある」と書いている。右手が使えぬ谷崎がめざしたのは、スキャンダラスな性そのもので、それ以前の老作家が踏みこめなかった魔界である。下り坂にある老人のみが感得する特権的老境で、それを見定めるために、谷崎は齢を重ねてきたと思われる。
自殺した芥川と対照的な谷崎がここにいる。そんな谷崎を、三島由紀夫は「晩年の『鍵』や『瘋癲老人日記』では、ついに氏の言葉や文体が、肉体をすら脱ぎ捨てて、裸の思想として露呈してきたように思われる」と評した。
谷崎は昭和四十年七月二十四日、満七十九歳の誕生日に、好物のぼたんはもをたいらげ、七月三十日、松子夫人にみとられながら死んでいった。