「さびれた街の誘い - 高田渡」ちくま文庫 バーボン・ストリート・ブルース から

f:id:nprtheeconomistworld:20201026082443j:plain




ツアーで全国各地を回るようになったのは、高石音楽事務所に所属してからのことだ。
事務所に所属したいたのは一年ぐらいだったが、その間に日本中ほとんど回ったと思う。とりわけ岡林信康五つの赤い風船とはよくいっしょにツアーに出た。
ツアーとなると四六時中顔を突き合わせているわけだが、お互いの領域には踏み込まないようにしていたから、仲は決して悪くはなかった。
ただ一度だけ、岡林信康と大ゲンカをした。僕は小さいころに兄に無理矢理、口の中に漬物を押し込まれて以来、漬物が大嫌いになってしまったのだが、ツアーで回っているときに、岡林がふざけて僕のことを押さえつけて口の中に漬物を突っ込んだのだ。それで僕が激怒して大ゲンカになったことがある。
事務所を辞めて個人で音楽活動をするようになってからも、ありがたいことにあちらこちらから声をかけていただき、全国各地の会場を渡り歩きながらライブを行なってきた。それは今も変わらない。声がかかればどこへでも行く。言ってみればドサ回りのようなものなのだが、僕はそういう生活が好きだ。だから三十年以上も続けていられるのだろう。
これまで、ほんとうに全国津々浦々を回ってきた。行ったことがないのは離島ぐらいである。行った先々での思い出は当然尽きない。その多くは記憶の底に埋もれてしまっているのだが、なにかの折りにふと思い出されることがある。それに引きずられるようにして当時のことがいろいろと蘇ってきて、懐かしさでいっぱいになる。
そんななかでもう一度行ってみたい場所といったら、奈良の五條市で泊まった古い旅館が真っ先に思い浮かぶ。かつては材木の仕入れをやっていたという古い旅館で、四、五百年の歴史がある見事な建物だった。特別に美味しい料理が出るわけでもないのだが、なんともいえぬ風情があった。機会があればもう一度泊まってみたい宿だ。
五條にかぎらず、奈良というところは全体的になんとなく落ち着ける雰囲気が漂っているので好きだ。飲み屋が少ないのが玉に瑕だけれど。
好き嫌いでいうならば、北海道の美瑛や富良野のあたりは好きな範疇に入る。ちょっと寄るぶんには函館も最高だし、釧路の先にある厚岸という町もいい。湿地帯があるだけの、ほんとうになんにもないところだが、なぜかそそられるものがある。
だが、北海道と九州を比べて、どちらが好きかといわれれば九州のほうに軍配を上げたい。なかでも好きなのが長崎の街だ。僕は海外ではぜひもう一度ポルトガルに行ってみたいと思っているが、ポルトガルと長崎には似通った魅力があるように感じられる。
その土地の人には失礼かもしれないが、昔繁栄したけれども今はうらさびれてしまっている街、流行っていた映画館もいつしかつぶれてしまったような街に魅かれる。無責任な旅行者風情の戯れ言を許していただければ、かつての栄華の面影のわずかにとどめる寂しげな街というのが、僕にとても魅力的に映る。
つくづく僕は街で育った人間だなあと思う。大自然のなかに長く留まっているというのは、できれば遠慮申し上げたい。僕はやはり街でないと生きていけないようなのだ。
ただ、自然を眺めることは嫌いではない。以前、長野の友人の家に一泊したとき、縁側に座って真ん中に見える北アルプスをずっと眺めていたことがある。そういうのであれば、何時間でも平気だ。山や海の見える風景には誰もが魅せられると思うが、それは僕も同じだ。
ほかに好きな土地というのはいくつか挙げられるが、観光地や名所旧跡を見て歩くわけじゃない。たとえ見たとしても、すぐに忘れてしまうから、土地に対する記憶はどうも希薄だ。
それよりは、旅先で出会った人たち、出くわしたおもしろい出来事、地元の人に聞いた笑える話などのほうが、ずっと長く印象に残っている。そんな話を思いつくままに話してみよう。

(ここは、ここまでにしておきます。)