2/2「濹東挿絵余談 - 木村荘八」河出書房新社 生誕135年・没後55年永井荷風 から

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2/2「濹東挿絵余談 - 木村荘八河出書房新社 生誕135年・没後55年永井荷風 から



さきに云ったように兎に角これは「隅田川」がバックになる世界だから、如何なる場合にも川のこっち河岸にはならぬように、女にしても男にしても同じ新開地でも中野新橋や五反田にはならぬようにと、そう思い、いつも絵に煙の匂いがするように、溝ッくさく、何となく水に縁があるようにと思って......亀井戸で玉ノ井と同じような娼家をやっている者に遠廻しの知縁ながらつてが一軒ありましたので、これをぶちまけては色気抜の元を切った話ながら、有体は、先ずそこへ出かけて、先方の邪魔にならない。午後の一時から四時まで、このショーバイの家の構造を入口から、内所、二階、戸棚から便所の中まで帳面にぎっしりと一冊写生したのが、最初の仕事でした。
その結果、初めて観察して面白く感じたのは、ああ云う家の入口、つまり、一番ショーバイ上大切なところです。吉原には昔から吉原大工というのがありますが、玉の井大工というのも存在を主張するかも知れません。この正面に斜めに付いた開き戸と云い、女の坐る職場の狭いが手勝手のよい寸尺、土間の間取りと云い、凡[すべ]て小どり廻しにきちんと出来た、珍らしい建築法です。果して誰がいつから何処で発案したものでしょうか。
この正面の目かくしは支那の建物で云う隠壁というのに似ていますが、それよりも更に実用的、同時に装飾的で、簡単に作れば只一枚のベニヤ板でも済むものです。複雑化すれば(そして大抵の家がこれを複雑化しています。亀井戸よりも玉ノ井殊に然り。)この目かくしの面の上へ持って行って或いは立体風に漆喰細工をするとか、藁ぶき屋根を添えて見たり、ハート形に花模様を画くとか、好きに色を塗る。電気装飾を施す。-それで立寄る縹客が幻惑されるところを、中の小窓から「ちょいと、だアーんな」、或いは「洋さん、洋さん」、「めがねさん」、「様子のいい人」、「アラ、いつかの人、知ってるわよ」などと呼び、臨機応変に呼び、斜めに作った開き戸のサル一つの加減で機を伺って敵を中に引込む寸法です。
女は小窓の前に坐りながら、着ものの裾を皺にしない為めに、帯から下は丁寧にまくってぱあと後ろへやっているものが多く、一方の手の指先きで縹客の緩急に応じて入口開き戸のサルを扱う操作は馴れたものです。
その代り偶々巡査でも見廻りに来て、トンと外から開き戸を突いただけで中のサルが下りていずに直ぐ開きでもしようものなら、罰金だという話でした。

と、先ず手初めにそんなこの材料のプルミエル・クーランからケンキュウしましたが、次に、玉の井の地※を買って、小説本文の「わたくし」があの界隈の交番の在り場に印しをいたと云う。私もそれを踏襲してから、前後十回ばかり本文の敍述にある通り或いは玉の井稲荷であるとか支那料理店であるとか......これを小説全篇に渉って判明する固有名詞の個所を残らず歩いて(同時に写生して)見た上で、地図にそれぞれ書き込み、それから、その地図を机辺の座右に拡げながら改めてテキストを幾度も読んで、-此の場合こうもあろうかと眼に浮ぶ様を一つ一つ挿絵に描きました。
これ等の用意は凡て僕にとっては元々好ましくこそあれ、一向に苦にはならないもので、挿画のうち、殆んど写生の、原品のまま役立ちそうな個所は、只その製版された場合の効果を案じながら、すらすら描いて行きました。
只、主人公の「お雪」が登場する度[た]びに、これはすらすら行きません。と云うよりも、そうすらすら行かせることは好まなかった何か仕事の潔癖心のようなものがあったので、度々煙草を?えて楽しみましたし、苦労もしました。
よく友達から「あの挿画は一々実地へ行くのが厄介だろう」と云われましたが、前に云ったようにそれは一向苦にならないので「やあ......」と外[そ]らしながら、お雪はあれでどうだろう、お雪さえよければ、と、始終そのことを思っていました。
そんな私の絵がうまく行っていたか如何は、成敗は既に私のものでない、天だと思って観念しています。そして何よりも前後二ヶ月に渉って、たとえ私が失敗を演じたにもせよ、かく迄も面白い仕事を為[す]ることが出来た今年の廻り合せを、深く永井さんに感謝しています。永井さんには同時に作中の幻想を私が破ったかも知れない廉[かど]に依って御詫もしなければなりますまい。