2/2「同行 - 安東次男」中公文庫 芭蕉 から

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2/2「同行 - 安東次男」中公文庫 芭蕉 から

曽良の改名剃髪は、元禄元年の末ごろと思われ、それが細道行脚に随行するためのものであったかどうかは明らかでないが、句は、江戸で髪を捨ててきた男が黒髪山で衣更をするというだけでも興はよく現れていて、これは実際に曽良が作った句だろう。しかし、紀行がこの句を取込んだ狙は、それとはまた別のところにあるらしく、芭蕉は「黒髪山は霞かかりて雪いまだ白し」と前文にしるしている。当日(四月二日、陽暦ではすでに五月二十日である)は朝から天気快晴であったと「随行日記」にしるしているから、山頂が雲に隠されていたとしても、それを(春)霞というのはおかしいが、それならなおのこと「雪いまだ白し」という印象も実景としてはありそうもない。あるいは誇張である。そこを紀行がそう書いているのは、春どころかともすれば冬にさえうしろ髪を引かれている季節の情をわざわざ下地に作って、「衣更」の心を大きく夏へ奪う工夫であろう。「剃捨て」とは、江戸での剃髪の事実によってではなく、「黒髪山は霞かかりて雪いまだ白し」という前文によって活きている。文と句と、連句付合の呼吸にのっとり、いかにも俳諧師らしい句の活し様である。
同じことは、この句を「青葉若葉」の句に並べて唱和としたことにも言えて、室の八島での「木の下暗」の句案を捨てた心は、黒髪山で再度剃髪の面白さを見せる曽良の句の心に同じだ、と芭蕉は言っているように見える。紀行はさきに千住のくだりで、さらに草加のくだりでも、旧情の断ちがたさを強調していた。その心はどうやらこのあたりまでひびいてきているらしい。それを芭蕉は、「衣更の二字力ありてきこゆ」と書いている。これは単に曽良の句の一句としての出来栄を賞めたことばではあるまい。同行心の利き様を賞めているのである。
同行者のそうした挨拶があれば、俳諧師か拱手してその句を見捨てるはずはなく、「暫時は瀧に籠るや夏の初」とは、かりに発句と脇句との約束に従って、同じく釈教の句を以て打添うた俳諧師の工夫と読める。
「夏の初」とは、陰暦四月、仏家の安居[あんご]行のはじめである。夏籠[げごもり]は、普通陰暦四月十六日から七日十五日まで行う。句の付筋は「剃捨て」と曽良が剛直に詠出した語勢を移して、「籠るや」と発句に身を寄せつつまれる躰に作ったところだろうが、つつむ相手が「瀧」という男性的なイメージであるところ、これは曽良の男ぶりの句が、男体山黒髪山と言換えて女の黒髪の断ちがたさを句裏に匂わせたのと、みごとな対称を利かせた作りである。
句はどちらも陰陽二つの貌を持っていて、曽良の句はその陰を裏に抑え、芭蕉の句はその陰を表に仕立てて、合せて二句一体に作っている。曽良を旅(風雅)に誘ったのは芭蕉であるから、剃髪更衣をした客の道心をたのもしく眺めて、「暫時」の同行をよろしくたのむ、と主人の挨拶を返しているのである。
そういえば紀行は、日光の数ある瀧のうちからとくに裏見の瀧だけを取出していて、これは瀧に身を寄せんがため、つまり曽良の「衣更」の句のりりしさに添わんがための工夫であるらしい。そういう何気ないはこびの中に、曽良という人物は、文が伝える以上によく現されている。
随行日記」によると、「同二日、天気快晴。辰ノ中尅、宿ヲ出。ウラ見ノ瀧、カンマンガ淵見巡、漸ク及[返り点]午」とあるから、芭蕉は、実際にも他の瀧には興味を示さなかったらしく読取れる。裏見の瀧をまず見物しているうちに、その他の瀧が同行の風雅にとって無縁であることに気付いたのかもしれないが、衣更の心を黒髪山で尽し、そこに連句の初裏にかなったはこびを展開してみたい、という意図が前々からすでにあったのかもしれない。とすれば、ゆきあたりばったりに名瀧の一つを見物したのではなかった、ということになる。細道の旅が、表日本から裏日本へかけての探訪であっただけに、そして紀行もそういうふうに句文の心をはこんでいるだけに、充分に考えられることである。
もっとも、これほどの大切な同行の応酬を曽良の「書留」は一行も記録していないで、のちに曽良が編んだ『雪まろげ』(曽良遺稿を元文二年に周徳がまとめたもの)には、「ほそ道」から引写して撰入しているから、句は曽良の「衣更」の句も含めて後日作られたのかもしれない。なお『雪まろげ』には、「衣更」の句に続けて「時鳥うらみの瀧のうら表」「暫時は瀧に籠るや夏の初」と芭蕉の二句をしるしており、紀行成稿に際して芭蕉はその一つを捨てたことがわかる、「時鳥」の句は、曽良の「衣更」に添う心が現れていないわけではないが、「夏の初」のように二句一体のみごとな句ぶりとは言えまい。較べてみると、「瀧に籠るや」とした無量のうま味がよけわかる。こうした同行心があってはじめて、「ほそ道」山中温泉のくだりの描写は活きてくる。

曽良は腹に病て、伊勢の国長島と云所にゆかりあれば、先立て行に、

行き行きてたふれ伏とも萩の花 曽良

と書置たり。行ものの悲しみ、残もののうらみ、セキフ[難漢字]の、わかれて雲にまよふがごとし。予も又、

今日よりや書付消さん笠の露

元禄二年八月五日のことであった。ここでも芭蕉はかりにも自分が送別の吟をはなむけとし、曽良の返歌を求める、というような血迷ったことはやっていない。みごとである。