「筆まかせ(書抜其の三) - 正岡子規 岩波文庫 筆まかせ から

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「筆まかせ(書抜其の三) - 正岡子規 岩波文庫 筆まかせ から

○言文一致の利害

言文一致論者の言にいはく、文は誰にでも分るやうに書くを第一とす、そうするには言葉通りを筆に写すを可とす、紫式部が『源氏』をかきしもその時の言葉をそのまま筆に写せしのみ 古雅なりと思ふは後世のひが目にて言葉の変遷し来りしがためのみ云々と 余は理屈を知らず 文章は分りやすく書くを第一とするや(文学の場合にも)否や未だ判断し得ずといへども 感情によりていへば余は甚だ以て言文一致を悪[にく]み者なり、にくむといつてもその場合によるなり、演説 談話 講釈の筆記、小説 紀行抔[など]の文章中の言葉会話の部 その他俗人、無学の人に向つての告示、手紙、小児即チ小学生徒抔の尤も幼稚なる者に習はしむる文章、教訓の類は言文一致にて分りやすく知らしむるをよしとす、通例の文にして書くよりもかへりて語気を現はし 紙上に喜怒の色を溢[あふ]れしめ、或は一読して解し了し、むつかしき理屈も存外たやすく分ること多し。されどその他の文学において何を苦んで言文一致とするや 何の必要あつて言文一致とするや。言文一致はとかくくどくうるさく長々しくなるものなり 従て読みにくく解[わかり]にくく、あるは欠伸[あくび]を生ずる所多し。かくの如く不都合なる文章を何故に書くやといへば なるべく衆人に分りやすくするといふに外ならず。されど小説は衆人に分りやすくしむるが目的なるや否やはたやすく論定すべからず、余も固より分りにくきをよしとする者にからざれど 必ずしも多衆の愚民に向つてこしらへのみを目的とするに足らずと信ずるなり 彼の『源語』の如きも今の言文一致者流の如き言文一致にはあらざるべし、『源語』の地の文に「侍る」などといふ言はなけれど もしある事柄を一人が他の人に向つて話す時には 必ずその間に「侍る」といふやうなことをはさみしは 今の人が「ネー」「ナー」「デス」などの言葉をはさむと同じきなるべし。そは何故にやといふに、文字ある巳上は到底免るべからざるのことなり 否 これが文字を利用せしものなり はじめ文字といふ符牒のできし時は言葉通りを写せしなるべけれど 少し発達するに従っては文字を利用して 口ならば精密に長々しくいふ処も短く文章に現はし、対話ならば礼儀を守って丁寧にいふ処も文字ならば多少略することもあるに至るべし。しかるに「なり」といふ言葉をやめて「です」「あります」もしくは「ございます」抔の言葉を何故に使ふや。何故に簡単なる語をすてて冗長なる語を用ゆるや 「ございます」といふ言も口でいい耳できく時は むつかしくも聞きぐるしくも思はねど 目で見、手でかく時は見にくく書きぐるしきにあらずや 言文一致論者は発音器(口)と揮毫器[きごうき](て)との難易を知らざるか 聴官と視官と労働において大なる相違あるを知らざるか。彼或は駁[ばく]していはん 「なり」の代りに「です」を用よれば両方供に二字二音なれば差支なかるべしと 固より然り、しかれども「です」なる言葉は礼儀上の言葉にて比較上の言葉なり 若し通例の人に向つて書く小説の地に「です」といふ字をかくならば 上等の人のために書く小説には「でございます」と書き 目下なる者の為メに書く時は「だ」と書かねばならぬ割合なり 若シそれにかまわず常に「です」とか「だ」とかいふ言葉を用ゐなば おかしく聞ゆるなり 何となれば上等或は上目の人が読んで無礼と怒ることあるべく 下等或は下目の人が見て余り丁寧なるを嘲[あざけ]ることあらん、けだし地の文に礼儀上の言葉を用ゆれば その礼儀は著者が読者に対しての礼儀と見なさざるを得ざるがためなり それよりは礼儀を抜いた[アブストラクト]言葉(「なり」の如き)を用ゆれば誰が読んでも礼儀の考を起さざるが故に大に心よかるべし 且ツまた「なり」「ならん」「なりき」などいふ位の言葉を覚ゆるは俗人に取りてもさまでむつかしきことにあらず 今までの老爺老婆はいざ知らず 今日の小学校へ二、三年通ひし小供には自然に分る言葉なり 一年も教ゆれば十分覚えこむなり もし単に分りやすきを主とすれば「なり」と「です」の違ひよりはむしろ、今日の言文一致者流が形容詞に用ゆるむつかしき言葉をやめて俗語にて平たくいはれたし(円朝の話の筆記のやうに)。「視線」とか「鉛直」とかいふやうな言語は 三、四年通学した小学生徒抔の歯にあふしろものにあらざるなり、言文一致者流の文巳に平易ならず 解しやすからず、おまけに冗長にして雅味なし、地の文に礼儀上の語を書きて読者を不愉快ならしむとせば一ツの取り処なきなり 一ツの取り処なし しかるになほ何を苦しんでか言文一致をなすや、これを無暗に主張する人、主張者にそそのかされて尻馬に乗る人、実にも哀れなる人々かな 彼らは尋常の文章を作り得ざるがためには非るか、彼らは奇を好み新を誇り匹夫匹婦の愛顧を買はんと欲する者にはあらざるか、咄[とつ]、奴輩何をかなす、彼れよく三千八百九十九万九千九百九十九人を瞞着し得るとも 残りの一人を瞞着し得ざるなり 咄、奴輩何をかなす