3/4「「老い」の見立て - 川本三郎」岩波現代文庫 荷風と東京(上) から

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3/4「「老い」の見立て - 川本三郎岩波現代文庫 荷風と東京(上) から

今日、荷風というと、やはり「老人」のイメージが強い。帽子にコートに雨傘を持った少し寂し気な老人が隅田川べりの町や、下町の路地を歩いている。それは読者の方が勝手に作り上げたイメージであるだけでなく、荷風自身が作り上げたものでもある。荷風は自分を好んで老人に見立て、世を降りた静かな暮しを演出していった。
断腸亭日乗」を読むと、荷風は実によく散歩をしているし、友人や知人と酒も飲んでいる。「病衰の老人」という荷風が、他方では隅田川べりの町をよく歩き、夜ともなれば銀座に出てレストランやカフェで飲食を楽しんでいる。健康診断のために中洲病院を訪れたあとは、その帰り、隅田川を渡って深川や本所のほうに足を延ばしている。決して「病衰の老人」とは思えない。
大正十三年八月十六日には小松川付近を元気に散歩した様子が記されている。
猿江より錦糸堀に出で、城東電車に乗り、小松川に至り、堤防を下りて蘆荻[ろてき]の間を散歩す。水上舟をうか[難漢字]べて糸を垂るるものあり。蒹葭[けんか]の間に四手網を投ずるものあり。予は蘆荻の風に戦[そよ]ぐ声を愛す。そうそう[難漢字]雨の如く切々私語の如し。黄昏[こうこん]来路を取りて家に帰る」 
電車とバスを使っているのだろうが、それにしても麻布に住んでいる人間が、隅田川を越え、小松川まで行き、麻布に戻ってくるのは半日の旅行である。しかも夏の暑い盛りにである。とても「病衰の老人」とは思えない。元気な行動力である。昭和九年に偏奇館に荷風を訪れた雅川滉[つねかわひろし]は、随筆「偏奇館訪問」(中村真一郎編『永井荷風研究』新潮社、昭和三十一年)のなかで、当時五十四歳になる荷風が思いのほか若く見えたのに驚いたと書いているほど。
「わたくしは仰いでその漆黒な髪、艶のある顔色を、膝に置いた手の甲の老人めいた皺と比べ合わせて驚嘆した。恐らく芥川龍之介が三十歳のときの顔よりも遥かに若々しいであろう表情がそこにはあるのだ」
散歩の行動力に加えて女性たちとの関係がある。荷風の病気には実は、胃腸障害とそこからくる神経衰弱の他に、長年の放蕩からくる梅毒の恐れがあった。大石医師の言葉を借りれば、「君元来身健[すこや]かならざるに若き時夜遊びに耽りたれば露の冷気深く体内にしみ入りて遂にこの病を発せるなり。今よりして摂生の法を尽すとも事既におそし恐らくは常命五十年を保ち難からん」(「西遊日誌抄」)。医者に警告されているにもかかわらず、荷風は老いてますます盛ん。女遊びはやめようとしない。とすると「西遊日誌抄」の大石医師の言葉は額面通り深刻なものではなく、医師が荷風に笑いながら言った言葉とも考えられる。

それでいて荷風はまた、大正十四年の八月三十一日には「病余の生涯唯静安を願うのみ」と書く。明らかに自分を「老人」に見立てている。好んで老人趣味に徹しようとする。「断腸亭日乗」にはいたるところに荷風の老人趣味があらわれている。その日常生活には、老人の静かな生活ぶりが強調されている。
たとえば荷風はよく庭いじりをしている。花を植え、木の手入れをし、秋になると焚き火をする。秋も深まった朝、隣家から聞える落葉を掃う音に耳を澄ます。夏になると、曝書[ばくしょ]をひとり静かに楽しむ。焚き火と曝書は、静かな一人暮しの文士にとっての晴朗な楽しみだと語る。
自分を老人、あるいは隠棲者に見立てようとする荷風にとっては、現実社会からは降りてしまったところで、静かな一日を過ごすことが最高の理想になる。
大正十五年九月二十六日にはそうした理想的な一日が記述されている。その日、荷風は知人からかねて欲しいと思っていた秋海棠[しゆうかいどう]を数株もらう。大久保余丁町の書斎に「断腸亭」と名づけたことでわかるように、断腸花、つまり秋海棠は、荷風の好きな花である。そこで荷風は、さっそく庭に降り、秋海棠を植える。大久保の旧居には秋海棠が多かったが、新しい麻布の家(偏奇館)には、秋海棠がなかった。前から欲しいと思っていたが手に入らなかった。それがようやく手に入ったのだから、荷風はうれしくて仕方ない。「今日偶然、これを獲たる嬉しさかぎりなし」
そして、庭の片隅に秋海棠を植え終えた荷風は、次のように書く。
「秋海棠植え終りて水を灌[そそ]ぎ、手を洗ひ、いつぞや松莚子[しようえんし]より贈られし宇治の新茶を、朱泥の急須に煮、羊羮をきりて菓子鉢にもりなどするに、早くもこおろぎ[難漢字]の鳴音、今方植えたる秋海棠の葉かげに聞え出しぬ。かくの如き詩味ある生涯はケダ[難漢字]しカンキョ[難漢字]の人にあらぬば知り難きものなるべし、平生孤眠の悲なからんには清絶かくの如き詩味も亦無し」
ひとり、庭に好きな花を植え、そのあと、親友の左団次からもらった新茶をいれ、羊羮を切ったりしていると、いま植えたばかりの秋海棠の花のそばからコオロギが鳴きはじめる。
しみじみとした、静かな一日である。この日は、「断腸亭日乗」のなかでも荷風にとってもっとも幸福な一日であったに違いない。現実社会とは手を切ったところだけ味わえる「清絶かくの如き詩味」である。この時、荷風は四十六歳。決して老けこむ年ではない。それが、好んで自分を老人に見立て、ことさらのように静かな一日を演出する。生活の芸術化である。「矢はずぐさ」の言葉を借りれば、「我は遂に棲むべき家着るべき衣服食[くら]ふべき料理までをも芸術の中[うち]に数へずば止まざらんとす。進んで我生涯をも一個の製作品として取扱はん事を欲す」