(巻ニ十八)江戸留守の枕刀やおぼろ月(朱拙)

f:id:nprtheeconomistworld:20210108084801j:plain

(巻ニ十八)江戸留守の枕刀やおぼろ月(朱拙)

1月7日木曜日

午後から南風が強く吹き始めた。散歩から戻ると彼奴が昼寝の床から洗濯物を取り込めとわめく。ついでに二千人を超えたとわめく。とにかく籠って何事も我慢だな。

死にぎわの恍惚おもふ冬籠(森澄雄)

散歩は高校コースを歩いた。両校ともに静かで校庭に人はいない。同じ路を歩いていて変化はないが、勉めて気付くようにしている。awe walking と云うのがあるそうだ。同じ散歩でも気づきに勉めて歩くのがこの籠ることを強いられた状況では心によろしいとBBCの番組で云っていた。多分ず~と前から咲いていた菫を、多分菫だと思って、今日一撮してみた。

人生の終わりの方の冬すみれ(池田澄子)

本日は三千四百歩で階段は1回であります。

今日も夕方餡パンを喰った。安酒とピーナツで寝酒もして、夢を見ないように暗示をかけて布団に入ってヌクヌクしょう。これこそ生き地獄ならぬ、生き極楽である。ここまで来ると欲望が萎んでいるので我慢するものがあまりない。

読書:

『 「日記 - 加藤秀俊」中公文庫 暮しの思想 から』

を読み終えた。

朝顔が咲いた、というその変化が日本人にはおもしろい。おもしろい、と思った瞬間に記録への衝動が高まる。そこで日記帳をとり出し、「朝顔咲く」と書きとめる。

日本独特の詩の形式たる俳句なども、この点と関係し合っているのかもしれぬ。ふとある一瞬にわれわれの心を横切る変化の感覚、おもしろい、という感興 ー それを十七文字に凝縮して美的な記録にすることをわれわれは発明したのだ。そして、その俳句の発想は、たとえばこんにちの日本での写真の隆盛とも関係する、いたるところで、日本人はいろんなものをおもしろいと思う。おもしろい、と思ったとき、シャッターを押す。それはまさしく、個別的瞬間に意味をあたえる作業なのであった。 》

願い事-叶えてください。我慢して生きていますが、眠るが如くでお願いいたします。