(巻二十五)七月のつめたきスープ澄み透けり(日野草城)

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(巻二十五)七月のつめたきスープ澄み透けり(日野草城)

6月3日水曜日

散歩

今日も図書館をのぞいた。よく見ると新聞雑誌コーナーの椅子も間隔を空けて座れるようにはなっていた。武骨に殺人現場のような遮蔽テープが張られていたので全て着席禁止と誤解した。

書架でだらだらと本を捲っていたら、“本選びはさっさと致せ”との趣旨の狙い打ちの放送を掛けられた。

しぐるるや捜査本部の午前四時(富士原志奈)

今日は角川俳句の4月号を借り出した。書き留めた句は以下の通り。

もう誰も気にしてをらぬ桜散る(抜井諒一)

年つまる終りは速き砂時計(これまつみつを)

行き先のある人ばかり冬の駅(野田文子)

砂時計の句がよいなあ!晩年に見る夕日は釣瓶落としだと言うが、こう詠まれて見ると砂時計の終わりも砂の流れが速い。

角川俳句の他に『男の節目 - 諸井薫』を借りた。諸井薫氏は荷風の文庫の書評で知った。散歩文学についての考察が面白かったので氏の随筆を読んでみたいと思っていた。

《 大げさなようだが、私は〈散歩〉に対してある種の恐怖感を持っている。それというのも、自分が散歩をしている姿というのはとりも直さず失業もしくは隠退して、生き続ける意味をほとんど失った痛切な状況に他ならないからだ。自律的に生きることに慣れきった芸術家や学者には理解出来ないかも知れないが、サラリーマンには多かれ少なかれ、そういう傾きがあるのではないか。 》

どんな方かと調べてみたら、河出の編集者で2001年に70歳くらいで亡くなっていた。

『男の節目』の節目とは、60才前後の退職の辺りの人生の変化を言っている。人生を振り返り、またそれから先のことの体験談的小説的な随筆集である。或いは随筆体短篇小説集である。

本日三千歩でした。

生協にコピーに行った。お察しの通りであります。

昨今は“アポ電強盗”というのがあるという。詐欺なら命までは取られないないだろうが、強盗が強盗殺人になるのはよくある話だ。

木と生まれ俎板となる地獄かな(山田耕司)

風呂上がりに細君が分けてくれた美味しいブドウパンをいただく。干し葡萄がこれでもかと云うくらい詰まっていた!

願い事-叶えてください。