「無心の酒 - 池田弥三郎」文春文庫 巻頭随筆1 から

 

f:id:nprtheeconomistworld:20210221091157j:plain

 

「無心の酒 - 池田弥三郎」文春文庫 巻頭随筆1 から

わたしの父は大酒家の部類だったと思うのだが、酒の上のことだから勘弁しろ、ということを許さなかった。酒の上のことだから勘弁しない。酒中の失策を酒におしつけては、第一、酒が可哀相だ、という理窟であった。
実はこの「酒が可哀相」ということばを、わたしはひそかに庭訓[ていきん]と心得て来たのだが、最近、酒の上だから、というのは、必ずしも、なんでもかんでも責任を酒に押しつけてしまうのではないのではないか、と考えるようになった。
わたしの先輩の酒飲みの一人は、翌日になると実にけろりとして、前夜の酒中の言動について、全く記憶がないと言う。わたしはそれはうそだ、全然覚えていないなどということがあるものかと、固く信じてもおり、御本人に向って言いもしたきた。狸寝入りではないが、ああまでなんにも覚えていないと言うのは、狸のそらとぼけに違いないと、批難して来た。事実わたしの場合、酒に責任を押しつける、故意のわざを決してしないという庭訓を、心に刻みつけている以上は、そういうおとぼけは、酒にわるくて出来ないが、同時に、前夜の酒中のことが記憶にないなどということは、全くもってないことであった。自分に全くないことだから、その先輩に対しても、非情な非難が出来たのであった。
これが、最近頓[とみ]に変って来た。おとぼけなしに、全然覚えていないと、告白しなければならなくなって来た。むかしからの長い付き合いの後輩などは、いい気味だという顔をして、傲[おご]る平家は久しからず、などと言った。残念だが致し方がない。
しかし、家内に聞いてみると、この傾向は、なにも「最近頓に」などという現象ではなく、十年来、着実に進行して来た、という。夜帰って来て、その日の電話の用件を話して、翌日の答を聞き、その通り先方に知らせてことを処理しておくと、数日経ってから、あれはどうなったか、ということが起り始めた。それはもう、およそ十年ぐらい前からだという。それなら家内は、事前に一々確かめることにして、今日は大丈夫かと念を押してから、話すようになったという。しかし、大丈夫だ、今日は酔ってなどいるものか、と見得を切るので、安心して話すと、翌朝、全く覚えていないということが多くなった、という。その頃から家内は、今から思うと、ずいぶん冷たくなって、いくら大丈夫だと言っても、あしたにしましょ、と空うそぶくようになった。言ってもむだだ、というくらいならともかき、了解したような顔をして返事をされて、その通りに処理をして、あとでそんなことは知らないなどと叱られては、間尺に合わない、というのだ。
それでもまだその頃は、順序立てて言われると、断片的な記憶が蘇って来て、さらにそれがひと続きになって、およそはっきりと、前の日のことが、思い浮べられたのだが、それがこのところで、いくらこうこうだったと言われても、全く思い浮ばない、というようになって来た。
先日、わたしの主催した二十人程の小宴があって、その会の進行の前後三時間ほどを、幹事がそっくり録音して、記念に持って来てくれた。それを聴き直して驚いたことは、終りの方の五、六十分は、ほとんど覚えていないことばかりであった。言った、言わないの言い合いも、家内とかならば水掛け論で、だから一方的に言い通すことも出来るけれど、こう科学的な物的証拠を提出されては、のがれねところと覚悟するより仕方がない。かくのごとき、全面的な記憶喪失一時間の証拠物件を耳にして、大袈裟に言えば、愕然と色を失い、がっくりと自信をなくしたのである。
こうなると、大酒家の先輩に向って、やれおとぼけだの、狸だのといった批難を浴びせたのは、全くの認識不足ということになって、非礼のほどを、お詫びしなければならないということになる。
そしてさらに、酒の上のことだから勘弁しろなどという弁解は許さない、という父の庭訓も、それは酒中の言動の全面的記憶喪失などということない、酒の強さが前提になっていなければ、守り通せることではないのだと気が付いた。ましてや、酒が可哀相だ、などということは、そう誰にでも、安直に言うことの出来ることばではないのだと、しみじみと考えさせられた。酒中のことを完全に覚えていないということが、第一、酒に対して失礼だということになる。
このあいだ、そんなこんなを書いて、先輩に手紙を出した。別にあらたまって、お詫びということではなかったが、年頭の挨拶に添えて、感想として書いた。先輩から、折り返し返事が来た。その心境に達したからには、いよいよ貴殿も酒仙の域に御到達、まことにもって、新年早々、慶賀すべきことに候、云々とあった。ことしは、無心の酒が飲みたいものだと思っている。