「氷白玉 - 南條竹則」ベスト・エッセイ2020から

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「氷白玉 - 南條竹則」ベスト・エッセイ2020から

以前、中華料理に関する随筆を書いていた頃、「史記」でも「唐宋八家文」でも、中国の古典を読んでいて飲食の話が出て来ると、そのたびに覚え書きを取った。それがいつしか癖になって、国籍を問わず、小説などにあらわれる食べ物のことをむやみと気にするようになってしまった。
正月にかねがね欲しかった永井荷風の全集を買ったわたしは、すでに読んだ作品も未読の作品も差別なく読み通している。右に言った癖が抜けないので、飲食に言及した箇所に付箋を貼っている。
そんなことをしながら思ったのだが、荷風はやはり口の奢[おご]った人だったにちがいない。「断腸亭日乗」を見ても食べ物や料理屋に関する記述は少ない。永井荷風が来た店として知られる飲食店は、フランス料理の「田原屋」だの洋食の「アリゾナ」だの、二昔くらい前までは結構あちこちにあった。
荷風は美味い不味いを言うだけでなく、文明批評的に「食」を語ることも出来た。
「洋食論」(「金阜山人戯文集」)に曰く - 

西洋料理は牛と鳥との肉のみにはかぎらず、野菜にても料理の仕様にては却て珍味となるべきを日本の西洋料理まず大抵は牛と鳥の外材料を仕込まず。客来て少し変つたものを注文すれば必不手際なり。されどこれも料理屋ばかり攻撃しても片手落に相成るべし。西洋料理を味はんとするお客様に西洋料理知りたる人少きによるものなり。洋服の着方を知らずして洋服を好み、杖の持方を知らずして杖を携る紳士多き世の中なれば食ふものの味を知らずして之を貪らんとするものの多きは敢て怪しむに足らず。日本人の西洋模倣は万事此の如き?。

これはいかにも荷風らしい辛辣な批評だが、中には肯定的な意見もある。随筆「紅茶の後」所収の「銀座」に曰く -

自分はいつも人力車と牛鍋とを、明治時代が西洋から輸入して作つたものの中[うち]で一番成功したものと信じてゐる。敢て時間の経過が今日の吾人をして人力車と牛鍋とに反感を抱かしめないのでは決してない。牛鍋の妙味は「鍋」といふ従来の古い形式の中[うち]に「牛肉」と云ふ新しい内容を収めさせた処にある。

けれども、総じてこの作家は食べ物を美味そうに描く人ではなかった。たとえば、小説「妾宅」にこのわたの長い描写がある。主人公珍々先生の食膳の光景だ。

先生は汚らしい桶の蓋を静に取つて、下痢をした人糞のやうな色を呈した海鼠[なまこ]の腸[はらわた]をば、杉箸の先ですくひ上げると長く絲のやうにつながつて、なかなか切れないのを、気長に幾度[いくたぶ]となくすくつては落し、落してはまたすくひ上げて、丁度好加減の長さになるのを待つて、傍の小皿に写し、再び丁寧に蓋をした後、稍[やや]暫くの間は口をも付けずに唯[ただ]恍惚としつ荒海の磯臭い薫りをのみかいでゐた。

写実的にはちがいないかもしれぬが、「下痢をした人糞のやうな」はひどい。これを読んで、ウム今夜はこのわたで一杯やろう、という気になる人がいるだろうか。

 

「濹東綺譚」には、その荷風にしては珍しく血の通った(というのも変だが)食べ物が出て来る。
筆者が言うのは、この小説の第九章というのか第九節というのか、銘酒[めいし]屋の女お雪 - 銀座に飽きた老作家が、玉の井という別天地に見出した仙女とも言うべき女 - が「わたくし」と氷白玉を食べる場面がある。
玉の井の当時の銘酒屋の構造について、「濹東綺譚」の挿絵を描いた木村荘八が「濹東雑話」という随筆に詳しく記しているが、それによると、たいていの店は真正面に目隠しの壁があり、その左右に小窓が二つ並んでいる。女はこの窓辺に坐って、道行く者に顔を見せながら、「ちょっと、ちょっと」と誘う。客が入るとなると、目隠しの裏に隠れている扉をヒョイと開けて招き入れる。
問題の箇所で、お雪はこの小窓の中の畳に坐りながら、チリンチリンと氷屋の鈴の音がするのを聞きつけ、氷白玉を二つ注文するのだ。
...氷屋の男がお待遠うと云って誂へたものを持って来た。
「あなた。白玉なら食べるんでせう。今日はわたしがおごるわ。」
「よく覚えてゐるなア。そんな事......。」
「覚えているわよ。実[じつ]があるでせう。だからもう、そこら中浮気するの、お止しなさい。」
「此処へ来ないと、どこか、他[わき]の家[うち]へ行くと思つてるのか。仕様がない。」
「男は大概さうだもの。」
「白玉か咽喉[のど]へつかへるよ。食べる中だけ仲好くしやうや。」
「知らない。」とお雪はわざと荒々しく匙の音をさせて山盛にした氷を突崩した。

「わたくし」とそんなやりとりをしている間も、小窓の外をひやかしの客が通る。

お雪は氷を一匙口へ入れては外を見ながら、無意識に、「ちよつと、ちよつと、だーんな。」と節をつけて呼んでゐる中、立止つて窓を覗くものがあると、甘えたやうな声をして、「お一人、ぢや上つてよ。まだ口あけなんだから。さア、よう。」と言つて見たり、また人によつては、いかにも殊勝らしく、「ええ、構ひません。お上りになつてから、お気に召さなかつたら、お帰りになつても構ひませんよ。」と暫くの間話をして、その挙句これも上らずに行つてしまつても、お雪は別につまらないといふ風さへもせず、思出したやうに、解けた氷の中から残つた白玉をすくひ出して、むしやむしや食べたり、煙草をのんだりしてゐる。

 

いかにも呑気な情景だが、語り手の「わたくし」の胸は切なさで一杯である。夏の間、毎晩のように彼女の家を「散歩の休息所」にしているうちに、お雪は「わたくし」に心を許して、「おかみさんにしてくれない」と言ってくれた。しかし、これ以上深い仲になれば、結局彼女を悲しませることがわかっているから、もう別れなければいくないと思っているのだ。
この場面はいわば作品のクライマックスであって、それゆえに何の変哲もない白玉が妙にキラキラ光るように思われるのかもしれない。
木村荘八はこう記している。
- 私は当時(昭和十二年)この小説の挿絵を委嘱された時に、誇張した言葉でいえば、オノレのウンメイは、これで極まったと思いました。短かい本文でしたから全篇をのっけに渡されて(幸福なる哉、私が第一番目の読者)卒読し、忽[たちま]ち、読み終るや、こんな名篇は明治以来の文学に「ない」と思いました。
(「濹東新景」『新版 東京繁昌記』岩波文庫)

筆者もこの賛辞に共感する。じつをいうと、荷風の小説は必ずしも筆者を感動させないのだが、「濹東綺譚」はべつだ。これは老境に入った芸術家に天が与えた奇蹟のような作品だと思う。
この物語が美しい理由の一つは、お雪を見るまなざしが暖かいことだろう。大体、荷風の小説に出て来る男は冷徹で、分析的で、功利的な目でしか女を見ないが、そういう男も歳とって涙もろくなって来た。
もう会うまいと腹を決めた「わたくし」が、秋の袷[あわせ]を買う金をお雪に与えた時、

わたくしは、お雪が意外のよろこびに目を見張つた其顔を、永く忘れないやうにぢつと見詰めながら、紙入の中の紙幣[さつ]を出して茶ぶ台の上に置いた。

 

ため息の出るような一文ではないか。