「「去年今年」は季語だった! - 大岡信」ベスト・エッセイ2005 から

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「「去年今年」は季語だった! - 大岡信」ベスト・エッセイ2005 から

俳句という文芸形式を多少読み慣れてきたころ、「季語」というものがこれには付き物で、ときどきびっくりさせられる経験もする。ということを知った。私にとって記念的な事件は、現代の俳句作品では最も知られている句の一つにぶつかった時のことである。
ころは昭和二十六年(一九五一年)の正月のこと。テレビなどというものがなかったのに、その俳句は駅のポスターなどにも印刷されて人目に触れることが多かったと記憶する。
去年今年貫く棒の如きもの 虚子
私は当時大学生だった。ろくに新聞も読まない人間だったから、多分駅頭ででも見かけたのだったろう。それに詩(現代詩)に対する関心が強かったから、戦後まもない時代の、「日本的なるもの」一切に対する社会全体の強い拒否反応の風潮に、多少影響されていたため、「俳句」なんてものに敬意を払うようなことは、金輪際ありえないと思っていたはずである。私は英語やフランス語の現代詩の方に心を奪われていた。
そんな生意気なハタチ代そこそこの若僧が、この「去年今年貫く棒の如きもの」に直撃され、まさにこの「棒」によって鼻っ柱を叩きのめされたのだった。しかし「俳句はなんてすばらしいんだろう」と、詩から俳句に転向する気は少しも起こらなかったことはたしかで、事はあくまでこの「虚子」という俳人の、容貌魁偉[かいい]な五七五一句にのみ関わっていた。
こんな短い句ひとつで、去年という年をも今年という年をも、一本の棒で刺し貫いて、悠々と自然界をにらみつけているこの虚子という老俳人は、ただ者ではないなあ、と若僧は恐れいったのだった。こんなことを告白したら人々の失笑を買うことは目に見えているが、実はこの句を読んだ瞬間から、私の脳裏には、鬼が島の鬼が手にしている、ごつごつと鋲[びよう]がとび出している太い鉄棒のイメージが住みついてしまっていたのだ。
告白ついでに、まだ白状すべきことがある。実は私は、俳句には「季語」とよばれる大切な言葉の群れがあり、これを用いることを知っているかいないかは、俳句を作る上で決定的に重要である、ということも、まだ知らなかったのだ。もちろん「歳時記」という季語の宝庫の存在も、知らなかった。何しろ現代詩という無形の詩を作ることに夢中な若者にとっては、人に教わらなければ、よその畑にどんな美味しい果物がなっているかなんてことは、知るよしもなかったのである。

白状すべきことはまだある。私は「去年今年」というまことに見事な言葉の塊りを、なんてうまい言い方なんだ、と感心して眺めていたが、なんとこれが俳人たちにとってはまったくありふれた、新年一月に用いられる「季語」にすぎないということを、かなり後になって「なあんだ」と思い知らされるまで、まるで知らなかったのである。俳人諸先生がたはたぶん腹をかかえて笑うだろう。新年の初笑いをご提供してしまったかもしれない。
私は足かけ二十五年ほどになるが「折々のうた」という連載を朝日新聞朝刊に書き続けてきた。昨年の初夏のころ、住みなれた調布市深大寺を去って、都心の高層マンションに引き移ったため、これも一年間休載中だが、五月には再開する予定にしている。この「折々のうた」では、小さなコラムの中に納めねばならないため、採りあげる材料も俳句形式のものが多い。これを読んで下さっている読者の中には、若き日の私が俳句に「季語」があることさえ知らなかったし、「去年今年」がれっきとした季語であることも知らずに、この言葉の組み合わせに感心していた、という事実を知って、快哉を叫ぶ方もおられるだろう。なあに、そんなこと、今でもしょっちゅうありますよ。少しずつ勉強していますが。
それより、「去年今年」がありふれた季語にすぎないことを知って、「なあんだ」と思った私が、それからあと、虚子のこの句について、いわば恋ごころがさめてしまったように興ざめしてしまい、この句そのものについて、つまらない、と飽きてしまったかどうかが問題である。
これがそうはならなかった。この句は相変らず私にとっては虚子の代表作であり続けている。それは、歳時記に照らして見れば、「去年今年」の用法が、他の一流俳人たちの作と虚子のこの作とで、どこか違うものがある、という感じがはっきりあるからだろう、と私は思っている。
去年今年闇にかなづる深山川
蛇笏
いそがしき妻も眠りぬ去年今年 草城
路地裏もあはれ満月去年今年 鷹女
命継ぐ深息しては去年今年 波郷
星降りて水田にこぞる去年今年 不死男
どの句も、新年の句として、それぞれの作者の心のたたずまいが姿勢正しく表現されている。年のあらたまる瞬間に思いを凝らす、という季語「去年今年」の本意を、それぞれの仕方できちんと押さえている。つまり、きっちりした新年の句である。
そこへいくと、虚子さんの句だけは違う。「去年今年」の一瞬に思いを凝らすという姿勢が見られない。新年の厳粛なるべき瞬間も、長い時間のひとつの単位にすぎないのさ、大切なのは、そういう瞬間を「貫いている」ものをつかまえることなのさ、という面構えが、虚子のこの句の本意なのではないだろうか。虚子は、季語に頼りながら、悠々と季語を超えてしまっているのだ、と思う。