「眠りは生の一形式 - 養老孟司」ちくま学芸文庫 唯脳論 から

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「眠りは生の一形式 - 養老孟司ちくま学芸文庫 唯脳論 から

意識のあるなしを論じるときに、普通の人なら睡眠はとうかとすぐ考えるであろう。人間が意識という語を持ったときから、睡眠がいわば「無意識」の状態であることは、おそらく気づかれていたに違いない。ヘシオドスは睡眠を「死の兄弟」と呼んだという。
しかし、睡眠についての基本的な考え方は、それよりもおそらくハムレットの方が正しい。眠りは死に類するというより、生の特異な形なのである。睡眠は、ちょっと目にはいささか紛らわしいことがあるにしても、病的に意識のない状態、すなわち昏睡とはまったく異なっている。その生物学的な証拠は、睡眠中の脳の酸素消費にある。たとえ眠っていたとしても、脳のエネルギーの消費、したがって酸素の消費も減らない。レム睡眠の場合には、覚醒時よりも酸素消費が多いかもしれないという。なぜかはっきりしないが、眠っている間にも、脳はそれなりにはたらいているらしい。
ガリネズミはむやみに細かくよく動く動物だが、時々はたと立ち止まって考えている。これを見ていると、どうもその瞬間だけ寝ているのではないか、という気がすることがある。頭がガクンと垂れたりするからである。もっても、一瞬後にはサッサと動き出してまた忙しげに働き始める。もしこれが眠りなら、まさに眠りは生の一形式である。
睡眠には、脳波のパタンによって第一から第四までの「深さ」に分けられる通常の睡眠と、レム睡眠とがある。この二種の睡眠は、ふつうの眠りではたがいにたとえば一時間おきくらいに交代する。レム(REM)とは、 rapid eye movementsの略で、そもそもの始まりは、眼球の急速な運動が、睡眠のこの段階にある被験者に見られたことから、こう名付けられた。しかし、レムという名に、とくにこだわる必要はない。この時期に、眼球がゆっくり動くことも多いからである。脳波では、レム睡眠は、ふつうの睡眠の第一期のような、いわば「活動的な」パタンを特徴としている。レム睡眠とは、いろいろ面倒な睡眠の時間で、たとえば、はたから目覚めさせるための閾値は高いが、この時期に眼が覚めることは多い。レム睡眠から覚醒した人は、夢を覚えている率が高い。
レム睡眠がなにかについては、多くの議論がある。しかし、動物がレム睡眠の間に示す動きは、種固有の行動に関連することが多いというので、そうした行動を寝ている間に練習しているのだという説もある。
睡眠一般が何であるかは、やはり、議論の種である。すでに述べたエネルギー消費の観点からすれば、睡眠は「休み」ではない。さらに神経生理学的には、睡眠がいくつかの神経回路の活動を必要とする「積極的」な過程であることが知られている。しかも、睡眠はどうしても必要な行動であるから、その間になにか重要なことが行なわれていることは間違いない。クリックはそれを、覚醒時に取り込まれた余分かつ偶然の情報を、訂正排除する時期だと言う。そうした活動が夢に反映される。「われわれは忘れるために夢を見る」。そうかれは言うのである。
夢がなにかについてもおびただしい議論がある。大抵の夢はどちらかと言えば不快なもので、カルビン・ホールの一万例にのぼる夢の統計によれば、夢の六十四%は、悲しみ、不安、怒りなどに結びついているという。殺人や他人に対する敵意ある夢は、友好的な気分の夢の二倍に達する。これは人生そのものを反映しているように思われる。その意味では、昔から言うように、やはり「人生は夢」だと言うべきなのであろう。