(巻二十九)車引き車引つつ過ぎにけり(勝海舟)

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(巻二十九)車引き車引つつ過ぎにけり(勝海舟)

5月26日水曜日

午前中は眼科に同行いたした。「手術は成功したが、回復に要する期間には個人差がある。」という答弁に変わったらしい。心配が増えて、苛々増えて、ガミガミが増える。どうか良い結果に終わりますように。

あいまいな空に不満の五月かな(中澤敬子)

細君は帰りのバスで親切な方から席を譲って頂いた。

帰宅して昼食の仕度をいたす。コンビニサンドは嫌だと言い出し、オープンサンドを調製いたす。夕飯は昨日の残りと弁当にするから昼飯の仕度くらいはまあいいか。昼食の仕度をしながら洗濯機を回す。

午後は買い物だけにした。写真はいんげんである。いんげんは値段が張る野菜だと分かった。他にほうれん草も買った。鉄分が必要だという。私はカツ丼で夕食にしようとしたが、カツ丼弁当がまだ棚に出ていなかった。仕方がないので、また紫蘇餃子を買った。おかずは昨晩の残り物と餃子である。五百円のカツ丼弁当が喰えなくても不満はない。食い物に細かいことは云わない。美味いものが分からないのだから、何でもよいのだ。不幸なのか幸せなのか、これも考えようだ。細君は昨晩の残りにトマト、キュウリ、ナスといった野菜を添えておかずとしていた。細君も腹さえ壊さなければ何でも我慢するタイプである。

本日は三千四百歩で階段は2回でした。

本日の呆け-買い忘れなし。閉め忘れ、消し忘れ、なし。

本日の所感- 小此木啓吾氏の随筆『不安の意味-不安不在の危険性』を読んでいたら、《急性、慢性、いずれの不安についても、目につくことは、本人に「欲がある」という事実である。何か欲し求めるものがあって「それを失うまい」とする時に、不安が起こる。》と書いてあった。そのあとに続くところで-不安不在の危険性-について述べられている。不安がない→欲求がない→ 自己喪失、ということらしい。何でもよい、どうでもよいを連発していると自己喪失になるのかな。

願い事-叶えてください。

自己喪失でもよいではないか。要は言い方だろう。諦観、達観、無私、無欲、無心、忘我、滅却、自己喪失。

何でもいいから、消して下さい。

無になりて身を預けたし大花野(小川晴子)