「玉三郎のこと - 篠田正浩」日本の名随筆69男 から

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玉三郎のこと - 篠田正浩」日本の名随筆69男 から

女形から見てどんな女優が素敵か、と私が玉三郎に聞いたら次のような返事が返ってきた。
「それはもう、月のものがあがってしまった方よ。その方たちはもう老女といっていいほどの年頃におなりだが、そのために、かえって女であることを体ごと表現しようとなさって見事なものですよ」
この評言に相当する日本の女優の名をあげるのははばかられるとしても、彼女、いや彼があげた理想の外国女優の筆頭がビビアン・リー扮するブランシュである。テネシイ・ウィリアムズの『欲望という名の電車』に登場するブランシュの老残をさらす娼婦こそ、女芸の極致だという。そして、この映画ではマーロン・ブランドがデビューしたことまで知っていて、彼の年齢がいくつだったのかを聞きただすほどの映画狂である。
歌舞伎俳優の趣味といえばカメラだとか旅行たとか俳句だとか、それぞれの性格にひきあてて成程と思わせるものがあるが、玉三郎の映画狂いは、趣味というよりは彼の芸風に強い影響を与えているようである。
私は、女形はどのようにして女の風姿、振舞を盗みとるのかよく判らない。歌舞伎の女形には一定の様式があり、その様式を堅固にしてから芸風が重なり、という風に理解して来たが、玉三郎のそれは確かに写実が強くて、女としての現れ方が他の女形より劇的である。
道成寺』にしても『藤娘』にしても、舞踊劇とはいうものの、その踊りはドラマチックに動きまわって、舞踊の枠を超えてしまうのが目に入る。
あきらかに、歌舞伎演技の範囲だけに自分を閉じこめることは出来なくて、人によっては批判の出る所である。
しかし、この玉三郎のクロスオーバーが彼の女形に活力を与えて来たことは確かなようである。一メートル七十四センチという長身も従来の女形の条件からは弱点となる所だが、その長身が舞台では流れるように美しいシルエットを作り、新鮮な女に変身させてしまうのである。その現代感覚が走り出して、今、私は映画のキャメラで『夜叉ヶ池』の彼と向かい合うことになってしまった。
老女の立居振舞から女の本質を見ようとするその玉三郎の芸のリアルさは、私のスタッフをして忽ちにして「彼女」と呼ばしめてしまう。初めのうちは、「彼女」と云ってあわてて「彼」と訂正してみるものの、ライトの光芒の中に佇んでいる玉三郎を見て、誰も訂正することを止めてしまった。 
貴方は男に見られた方がいいのか、それとも女の方に......と聞く者がいたが、彼女の答は、どちらでも結構です、であった。
『夜叉ヶ池』の原作者の泉鏡花のヒロインは、新生新派の故花柳章太郎によって演ぜられてきたが、水谷八重子や女優たちによるものとは異なった魅力があったように思う。鏡花は近代の作家ではあるが、花柳章太郎という女形の写実が不思議に合致していたんではないかというのが玉三郎の意見である。勿論、物心がついてからは彼が章太郎の芸を見ることは出来なかったはずである。しかし、少年の日から玉三郎は歌舞伎の様式の強い演技はさることながら、章太郎の写実に心酔し、鏡花を自分のレパートリイにしようとも考えたという。だから、彼は人から聞いたにちがいない章太郎の演技をまるで見てきたように話す。
日本橋』や『天守物語』を章太郎がどのように演出し演技を工夫したかを熱っぽく話時の玉三郎はまことに男らしいのである。
『夜叉ヶ池』では、スタッフも私も玉三郎を自然の光の前ではなく、人工の技巧の照明によって映像を作ろうとしていた。映画が鏡花の美意識や歌舞伎から知った化粧法に対応するには、どこまでも人工的にコントロール出来るスタジオでの撮影に限定するのが常道というものである。
ところが、私たちがロケをして来た場面のラッシュ(未編集のフィルム)を試写室で一緒に見ているうちに、玉三郎は自分を自然の光の中に置く誘惑にかられていった。
そう決心すると玉三郎は男の本性をむき出しにして私たちに迫って来る。私は難色を示して容易に受け入れなかった。
映画に出て来る夜叉ヶ池は、富山県の合掌造りで有名な五箇山に連なる山中にある縄ヶ池という美しい人造湖が擬せられている。本当の夜叉ヶ池は、福井県岐阜県の県境にまたがる白山山系の只中にあり、徒歩登山で往復四時間を要する秘境である。撮影のための人員、機材の量をもってしてはヒマラヤ遠征にも似た騒ぎになるから、足の便のよい縄ヶ池を選んだ。
一日、玉三郎はスチル・キャメラマンのO氏を伴って宣伝用の写真を撮影しに池に現れた。
私たちは加藤剛氏や山崎努氏ら男性軍によるロケをつづけていた。ふと、私がふりかえると、玉三郎は木の葉が茂る闇の中に身をひそめてフラッシュを浴びていた。その間に、実は彼はキャメラを廻して自然光の中で自分がどのように写るのかテストを試していたのである。
撮影所に帰るや否や、玉三郎は私にそのラッシュを見せて、ロケが決して不可能でないことを力説した。
いや、彼は力説しなかった。明るくなった試写室の椅子の中でにっこり笑っただけである。それはまぎれもなく女の顔であった。私が彼女をロケに連れ出したことは云うまでもない。