「文章の効率 - 向井敏」文章読本から

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「文章の効率 - 向井敏文章読本から


昭和五十三年、その前年までみじめな戦績に甘んじてきたヤクルト・スワローズがにわかに奮いたってセントラル・リーグで初優勝し、日本シリーズをも制覇したが、プロ野球界の奇蹟と騒がれたこの事件はまた、わが国に本格的なスポーツ小説をもたらすきっかけともなった。無気力な球団(作中ではエンゼルスと仮称)を立ち直らせた広岡達郎監督をモデルとする、海老沢泰久の長篇『監督』がそれである。
スポーツをはじめ、風俗現象に材を採った読物といえば、内幕暴露ものか人生訓話もの、さもなければ人情話仕立てというのが多く、総じて湿っぽくてねちねちした作風が支配的だったが、『監督』はそうした話法とははっきり一線を画して、読後にさわやかで快い感動を残し、ひとりスポーツ小説といわず、わが国の小説作法に望ましい転機が訪れたことを知らせるに足る秀作だった。
ことに眼をみらはされたのは、ものごとの紆余曲折や、人の心の揺れと翳りを描く文体の切れ味の良さ、解きほぐしようもなく入り組んだ状況や、絶えず揺れ動く胸中を描こうとすると、ふつうは饒舌になりがちで、これでもかこれでもかと言葉を重ねたくなるものだが、海老沢泰久はそういうときかえって筆を節する。必要最小限の言葉で明確に描き切ろうと心を傾ける。そして、すばらしい切れ味を生みだすのである。
この物語は甲子園でタイガースとの最終戦に勝ったエンゼルスのチーム全員が新幹線で東京に引きあげる、その車中の描写で終るのだが、その幕切れの文章はこんな具合だ。
エンゼルスはこのタイガース戦を含めて、シーズン終りの七戦に連勝するという奇蹟をなしとげたものの、首位ジャイアンツにはまだ半ゲームの差をつけられていた。そのジャイアンツは折しもナゴヤ球場でドラゴンズと対戦中で、ジャイアンツがこのゲームを失わなければエンゼルス優勝の夢は消える。列車が名古屋を通過したとき、ジャイアンツは2対1でドラゴンズをリードしていた。夢は断たれようとして、不機嫌に押し黙る選手たち。やがて列車は東京に近づき、車内がざわめきはじめる。

彼らはだるそうに立ち上がった。ひとことも口をきくものはいなかった。
そのとき、マネージャーが彼らの車両にやってきた。全員が彼のほうを見たが、あまり興味はなさそうだった。マネージャーは広岡をめざしていた。彼の顔はまっさおだった。歩きながらネクタイと首のあいだに二本の指を入れ、懸命にリラックスしようとしていた。様子が変だった。エンゼルたちはハッとして彼を注目した。マネージャーは広岡の前で立ちどまり、そして震える声でいった。
ジャイアンツが、いま敗れました」

よく抑制のきいた、ムダがなくて切れのいい、いえば効率のきわめて高い描写のなかに激越なドラマを封じこめて、無量の余韻を読者の胸中に響かせる。そのもたらす感動は熱くて、しかも快い。平明な現代文を操ってこれだけの感動を誘う例はきわめてまれで、はじめて読んだとき、長いあいだ待っていた文体にやっと出会えた、そんな心躍りを覚えたものだ。
エンゼルス球団、いやスワローズ球団は翌年広岡が去ると同時にたちまち元に返って、また下位に沈みこんでしまったけれど、海老沢泰久のほうはその切れのいい文体にさらに磨きをかけていくことになる。

 


『監督』を発表してから六年を経た昭和六十年、彼はジャイアンツ九連覇時代の名投手堀内恒夫の球歴を追った『ただ栄光のために』を世に問うた。この「生まれながらのエース」の半生を五年がかりで細大漏らさず調べあげ、それをもとに書かかれたノンフィクション仕立ての長篇だが、プロ野球選手の生態について、プロ球団の実情について、またプロ野球そのものの魅力について、これほど詳密に、鮮明に、そして楽しく描いた作品は少なくとも日本では例がない。例がないだけでなく、今後これを超えるほどの作品は期待できないのではないか。ピッチング技術に関する考察も徹底していて、この本を読んだあとでは、テレビやラジオの野球解説者がみんな無能に見えてくる。
が、この作品でわけても注目されるのは、ひっきりなしに現れる堀内恒夫の投球内容や試合展開の叙述のみごとさである。二度や三度というならともかく、昭和四十一年、十八歳でジャイアンツ入りしてから、昭和五十八年、三十五歳で現役を退くまで、堀内恒夫の登板回数は数知れず、しかもその一回一回が彼自身の精神的肉体的な条件や対戦チームの陣容の違いなどに応じて、微妙に異なった意味を持っていたのだが、海老沢泰久はそれをいちいち明確に描き分けているのである。それも比喩や形容に頼らず、あのムダがなくて効率の高い文体で。二つばかり例を引いてみよう。

 

一つは、昭和四十二年、ブレーブスと対戦した日本シリーズの第二戦一回裏、無死一、二塁で当時のブレーブスの牽引車だった強打者ダリル・スペンサーを打席に迎えたときの堀内恒夫のピッチングの描写。
この天才肌の投手は最初のインニングにピンチを招くくせがあったが、それは彼が実際にマウンドに立って投げながら感じをつかみ、徐々にピッチングを修正していく性質の投手だったからで、いざ感じをつかむと真価を発揮したと前置きして、海老沢泰久はこう書く(文中、森は当時のジャイアンツの森昌彦捕手、川上は川上哲治監督)

堀内は最初の二人のバッターに対して十二球投げ、そのうちカーブを四球投げたが、すべてボールになっていた。スペンサーがストレートを狙うのは当然で、堀内もそれを分かっていたので二球つづけてカーブを投げた。二球ともそれまでが嘘のようにすばらしいコースにきまり、スペンサーは呆気にとられて見送った。堀内は三球目のサインを覗きこんだ。おや、と思った。森が、外角にストライクのストレートを要求しているのである。川上の野球では、それは絶対にあり得ないサインだった。2ー0のカウントで打たれると罰金をとられることになっていたので、バッテリーは必ず一球はずすことになっていたのだ。しかし堀内はすぐにピンときた。すばらしい攻め方だと思った。彼はうれしくなってそのサインにうなずき、思いきってストレートを投げこんだ。スペンサーのバットはピクリとも動かなかった。彼もシーズン前のミーティングで、ジャイアンツのバッテリーは2ー0からは絶対に勝負しないことを叩きこまれていたのである。ボールは外角低目にきまり、スペンサーは一球もバットを振らずに三球三振に倒れた。

 

事態がどう進行したか、そうなったのはなぜか、手際よく伝えてよどむことがない。手にとるようにわかるという言い方があるが、海老沢泰久の文章がまさしくそれであろう。彼の文章のこうした特徴については、丸谷才一が『ただ栄光のために』の解説で周到適切な評を下しているので、それを再録させてもらうことにする。

 

海老沢は正統的な散文を書く。彼はこみいつた事情を、それについてまつたく知らない相手に、詳しく、わかりやすく、そしてすばやく伝達することができる。彼の叙述は明晰で、彼の描写は鮮明である。彼は随分ややこしい事柄を、もたもたした口調にならずに、こともなげに伝えてくれる。それは沈着冷静な斥候将校の書く報告文のやうに、簡にして要を得てゐる。(中略)海老沢の文体は、テキパキと小気味がよく、伝達力に富む。彼は輪郭をきれいに取つて、あつさりと色を塗る。読者はそれによって事情を知り、状況を把握することができる。彼が散文の基本をよく心得てゐるといふのはおほよそさういふことだつた。

 

こうした海老沢泰久の文体の特徴を括って丸谷才一は「機能的」と評するのだが、その「機能的」な文体の好例として、今一つ引いておきたいのが、同じくジャイアンツとブレーブスが争った昭和四十六年の日本シリーズ第一戦九回裏、堀内恒夫福本豊との対決を描いた場面。
駿足の福本豊ブレーブスリードオフマンとしてずばらしい能力を見せ、「ブレーブスの野球そのものを変えてしまった」男である。シーズン中、パシフィック・リーグのピッチャーたちは彼を塁に出すと「走られるのを気にかけるあまりに、ピッチングのリズムを失い」、簡単にノックアウトされていた。堀内恒夫森昌彦のバッテリーはこの福本豊の足を殺すための特訓を重ねて、日本シリーズに臨んだのだった。第一戦では福本豊は九回までに三度出塁したが、いずれも得点に結びつかなかった。そして、問題の九回裏(文中、阪本は当時のブレーブス二番バッターの阪本敏三)。

 

回は2対1でジャイアンツのリードのまま九回裏にはいった。そして、堀内は先頭の福本にまたライト前へもっていかれたのである。いよいよ正念場だった。堀内は精神を集中し、ランナーの福本との勝負に全力を傾けた。堀内があまり牽制球を投げるので、西宮球場のスタンドから非難の喚声が上がった。スタンドの観客からは無意味な牽制のように見えたのである。しかし一球一球に意味があることを堀内と福本は知っていた。堀内は一球ごとにタイミングを変えて牽制していたのだ。あるときは一、二、三のタイミングで投げ、あるときは五までじらし、あるときはとつぜん一で投げた。福本は頭が混乱し、だんだんリードがとれなくなった。だが彼は走らなければならなかった。それが彼の使命で、ベンチからははやく走れというサインが出ていたからである。福本は阪本の二球目に走った。堀内の思う壺だった。堀内は待っていたようにすばらしいクイックモーションで投球し、森がたちまち二塁でアウトにした。残る二人のバッターがアウトになって、ゲームは終った。

 

ブレーブスはこの年の日本シリーズでもジャイアンツに勝てなかったのだが、海老沢泰久はこの第一戦九回裏の攻防にその敗因の鍵があったと分析している。堀内恒夫にもののみごとに足を封じられたせいで福本豊の様子がおかしくなり、第二戦からはまったく走れず、第五戦ではスターティング・メンバーからもはずされてしまった。つまり、福本豊の足で相手投手のリズムを乱して勝つというブレーブスの野球ができなくなったのだ、と。この分析がさして野球通というのではない一般の読者にもよく納得できるのも、堀内ー福本の対決のありさまがまず明確に伝えられるということがあったためにちがいない。
ついでだが、右に引用した文章につづけて、海老沢泰久は試合後の福本豊堀内恒夫との談話からそれぞろ次のような言葉を選びだして、その章をしめくくっている。「機能的」なキビキビした描写のあとにふっと息を抜くように添えられた小味なユーモアといった趣がそこにはあって、この作家はこうしたしゃれた芸当にもなかなか長じているのである。

試合のあとで新聞記者に囲まれると、福本はすっかり意気消沈してこういった。
「あんなクイックモーションははじめて見た。パ・リーグにはあんなことのできるピッチャーはいないよ」
堀内はこういった。
「福本ってのはまったくいいカンをしている。おれの牽制でアウトにならなかったもんな」