「僕のらくがき - 富安風生」増補版誤植読本から

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「僕のらくがき - 富安風生」増補版誤植読本から

「僕は-机の上に-頬杖をついて-か。」原稿用紙をひろげて、何か書こうと思いながらいつまでも何もかけないで、ぼんやり草ぼうけの庭を眺めていると、そっと細君が覗きに来て、僕の朗読の調子をまねながら、こういってはいつも僕をからかうのである。それが急所をつかれて、ちょっと痛いときなど、僕はほんとに腹を立ててしまう。
実際、僕の綴り方は、何かというと「頬杖をついては庭を眺める」らしい。ききあきたからあれだけはおよしなさいと細君も忠告するし、僕ももうよそうと思っているのだけれど、ほんとのことだもんだから、ついまた出てしまうのである。
今もそれである。机の上に原稿用紙をひろげ、梅の木の幹に登った一ぴきの蜥蜴を、見るともなく見ているところである。五六本の鉛筆が、いつもの通り、いま尖らせたばかりの切先を揃えて、わきに待ちかまえている。ものものしい準備である。
徳富蘇峰氏は、およそ文章の楽しみは落筆の間に在る、とかいっているということを、いつか虚子先生から伺った。『落筆の間』という言葉からは、文字が筆者の意を迎えて、紙の上へ自由無礙[むげ]に流れ出てゆく有様が目に浮ぶ。そんなものかなあとつくづく感歎する。女中のラヴレタアか何かのように-さすがに書きかけて破いてもしまわないけれど-書いては消し書いては消しする僕の綴り方の場合には、およそ想像もつかないことである。日ごろ先生のお話だと、一体そんなに苦労して書くものは、たいてい出来栄はよくない。頭の中では長い間蒸れていて、それが充分醗酵して、さて文章になるときには一気にすらすらと出来てしまう、そういうのがほんとうだそうで、その点、俳句などでも同じだということなのだが-
このあいだS先生から、さしあげた本の礼の手紙を貰って恐縮したが、その中で、僕が鉛筆でいちいち原稿の下書をすることを感心して来られたには参った。全く、児童の綴り方の宿題と同じで、お恥ずかしい次第だけれど、これは一つにはまた、ぶっつけに書いて程よく註文どおり四百字詰何枚、などという芸当は、とても素人には出来っこない、その点もあるのである。-その代り、下書の原稿紙は、も一度裏をもつかうことにして、大切な紙の無駄を少しでも省こうとする心懸はもっている。
そんなわけだから、たとえば、心ゆく筆の運び、なんてことは僕は殆ど知らない。自然、何か書きものの荷を背負っている間は、僕の機嫌がわるく、ほかの者にもやつ当りをしたりするらしい。断りさえすればいいのに、それを又いちいち引きうけるとは因果なことだと細君は笑止がる。実際、何が楽しみで、と自身でも思うことがある。尤も、どんなものをでも、ともかく書きあげたときは、ほっとした、いい気持でないこともない。殊に大きなデスクの上一ぱいに取り散らしたものを、さっさと片付けるとき-参考書?はもとのとおり書棚に、鉛筆だの紙だのはふたたびデスクの抽斗[ひきだし]にしまって、あたりをもとのようにきちんと整頓する、その一つ時-僕の綴り方の快は、わずかにその間に在る、といってもいいかも知れないのである。こんなことをいうと、へえ、あの綴り方に参考書がいるのか、とまた老大家から感心されるかも知れないが、存外そんな場合もあるのはまことのことである。
古の人も燈火も親しきころ 風生
『読書』という題を課せられて、たいへん苦しみながら、ともかくこの句以下十句を作って、大阪朝日に送った。それが活字になって、いま机上に到来した。ところが最後の一句
秋灯一本を描きし隅書架に 風生
となっている。「描」は「抽」の誤植なのだが、ごていねいにルビまで振ってくれている。一体この句、誤植がなくても、果して句意が通るかどうか、くらいなのだから、その「抽[ぬ]きし」が「描きし」では、何のことやら完全にわからなくなってしまった。いま復誦してみると、たいした句でもないけれど、こうはっきり間違って載っているのを見ると、少しばかり憂鬱でないこともない

コウセイ恐るべしという中にも、わずか十七音の俳句におけるよりその甚しきはない道理である。ところがそれを、新聞はまだしも、俳句専門の大雑誌もちょいちょいやるのである。一頁五句組、七句組というような大きな活字の一個が、堂堂と間違って洒然と控えている場合などは、全く悲惨である。そのために一句の意味が通らなくなってくれるとまだいい。いけないのは誤植が誤植で、別の意味に通るときである。いつか僕の
冬障子あけたてのとき石蕗黄なり 風生
という句が、「て」を「こ」に誤植されて
冬障子あけたこのとき石蕗黄なり 風生
となって載ったことがある。それが又運わるく、他の僕の句と一括して悪評にのぼせられる時だったものだ。何様「あけたこのとき」では誰だって顰蹙[ひんしゆく]するのが当り前である。悪くいわれることには相当慣れていても、その時ばかりは少し悲しくなって、評者に私信で「あけたてのとき」がただしいのだと、念のために申し送った。すると折返して評者から「あけたて」であっても一向感心しない旨の返信があった。訂正したらほめて来るだろうと期待したわけでもなかったが、とどめをさされて身にしみたもので、そのいかさつを僕は今に忘れないでいるのである。-俳句なんてたよりないといえばたよりないもので、自分で今日作った句が、明日になると、とんとつまらなかったり、たいした句とも思わずに発表した句を人からほめられると、急にそれがいいものに思えて来たりする。先生に伺うと、これは初学の間だけのことではなくて、いつまで経っても、だいたいそうしたものらしいのである。今日、先生ご自身も、そんなことがないではないそうである。そうきいて僕も安心もするが、一方また、俳句ってヘンなものだなあと思いもするのである。
句会の清記では、そそっかしいのが、よく人の投句を誤記する。おかげで、あたら会心の作が台なしになって口惜しがったりする。だから抜目のない人は、句会で必ず先生のすぐ左わきに座を占める、というのは、清記した紙は右へ順順に廻るものだから、先生の左わきに関所を構えてさえおけば、自分の投句が間違ってかかれて廻って来ても、自分で押えて訂正して、少くも右隣の先生の眼にだけには、正しいものが触れることになるからである。-尤も一字の誤記のために、却ってとんだいい句になってしまって、それで先生の選に入ったなんて皮肉も生じないではない。
「抽」が「描」になったのは、元来が意味のとりにくい句である上に、恐らく僕の文字が読みにくいせいもあったに相違ない。一体僕の字は、人にはたいへん読み辛いらしいので、俳句の原稿の場合など、僕も格別気をつけるようにしている。新聞の場合だと、ルビも自分で振っておくはずだったのだが、今度の場合はついうっかりしてしまったと見える。。

人の原稿を見ると、なるほどきれいにかいてある。碁盤目の中へ一字一字が、いかにも自然らしく安定しておさまっているのには感心する。一体こまごまと畫の多い漢字も、くにゃくにゃ柔かい仮名も一しょくたに、同じ大きさの枠の中へ平等に嵌めてかくなんて技術は、慣れない僕などには不自然で不自由で、たいへん厄介だ。原稿紙というものに向うと、この窮屈な制限が思考を表現の途中で邪魔をして、たださえ鈍い筆の運びを一層掣肘[せいちゆう]するように、僕には感じられる。しかしこれが、文をやるの快落筆の間にありとするような専門家になると、碁盤目など紙の上にあってもなきに等しく、欲するままに筆を落して☆の障礙[しようがい]を覚えないに相違ない。専門家でなくても、今の若い人たちには、ポツンポツン一文字一文字行儀よく陳[なら]べることが、極く自然に出来るらしい。たとえば学生の手紙を見ると、その上へ碁盤目の原稿を当てて、透かしたら、一字一字が枠の中へ、岡山名物吉備団子のごとく整然とはまりこむだろうと思うくらいだ。これは多分、僕などと違って子供の時分から、贅沢な綴り方用紙をつかって、充分お稽古が積んでいるからであろう。
僕はこの夏一と月じゅう、妻を具して山へ行ってうちをあけた。その間留守居の忠実な女中が、しげしげ妻に手紙をよこして、留守中のこと何くれと報告してくれた。レターペーパァーに鉛筆のその手紙をちょっと覗いてみると、たいへん愉快なものだった。思いもよらぬ-たとえば、「昨日」の「昨」の字の扁[へん]とつくりが、右左反対になった字が現われたりなどして、実に感じがゆたかである。昨の字の扁とつくりをあべこべにかくなんて、いいかげん勇敢な書家だって思いつかない奇想天外だけれど、さて断じてそう創作された形を、紙の上にじっととみこう見していると-妙な気がして来る。房州産生十七歳の少婢そのものが、次第にその文字でない文字の中から、髣髴[ほうふつ]と浮び上って来るような気がするから不思議である。うちに異状がないのだから、しぜん報告の内容は実に平平凡凡である。ジャック(犬)やトラちゃん(猫)が元気だから安心して下さいとか、目高が卵を生んだから、どうしましたとか、せいぜいどんな回覧板が廻って来たとかいう程度のことばかりなのだがそれが、扁とつくりとあべこべに組合わさった文字などをふんだんに使って表現されてみると、縹渺[ひようびよう]と、また靉靆[あいたい]と、たいへんよろしいのである。ことによると旦那様の綴り方などよりは、この方が名文であるかも知れないのである。あの手紙をみんな屑籠にほうりこんでしまったのは、今考えると惜しいことをしたものだ。 
この少婢の手紙の魅力も、一つにはやはり原稿そっくりの、一つずつ離れたあの文字が、僕の眼に珍しくありがたく思えるためもあろう。こういう若い人たちが、僕らの手紙を見たとしたら、ちょうど僕らが博物館の陳列凾の中に、太閤秀吉な尺牘[せきとく]でも読むようで、昔の人って何というわからない字をかくものだろうと歎くに相違ない。
良寛さまの字を見るように、読めても読めなくても、ただ眺めていさえすればほのぼのと楽しい、というような場合はかくべつ、用事の手紙の文字がくしゃくしゃしてよみにくいのなんて、およそ腹の立つものである。僕がそれを腹立つたびごとに、そばで細君から「一体ご自分の字は.....」といつも笑われる。細君のいうことなんか、てんで取り合わないような顔をしながら、僕は内心一本参って、自分もこれから人さまに向って、あんまりな失礼な字はかくまいと思いはするが、さて実際は一向改まりそうにも見えないのである。
文句は判読するとしても、一ばん困るのは所番地のなぐりがきだ。郵便配達がよく判読するにはほとほと感心するが、手紙をくれた先方の肩書が読めないでは、差当り返事の出しように困る。僕も人に手紙を出すとき、さすがにこちらの肩書だけは、とりわけ明瞭にと思うはずなのだが、多くの場合それが一ばん乱暴なのである。尤も豊島区池袋なんてのは日本中知れた固有名詞なのだから、判読出来ないのは出来ない方がわるい、問題は番地の数字だけさ、などと勝手なことも考える。ところが又、手紙の裏にかく自分の住所姓名をあまり立派に大きくかき過ぎたため、手紙が発信人たる自分の許へ配達されたという、ウソのようなほんとの話をこの間聞いて、これには僕も噴き出してしまった。もちろん主人公は若い、雑誌の編輯者で、手紙をいつも原稿紙にかく連中の一人だ。発信人に配達されたその裏の文字が、まざまざと想像されて愉快である。
らくがきが少しアクが強すぎたようである。梅の木の蜥蜴が、ばさりと山牛蒡の上にとび降りた音がした。山牛蒡の枝が、そこだけ動いて、紫に熟れた漿果[しようか]が一と房二た房ゆらゆらとゆらいだ。あとは又もとの静かさだ。-この山牛蒡等ももういくたび僕の綴り方の材料をつとめてくれたことだろう。
眼の前の窓の桟[さん]に蜻蛉が、ぴたりと翅[はね]を伏せている。柔かい秋の日ざしが舐めるように、机の端までさしている。蜥蜴も蜻蛉も、みんな楽しく幸福そうだ。僕もやれやれといった気持だ。
読む窓に灯よりも淡く秋日景 風生
(1)縹渺-広くてはてしないさま。
(2)靉靆-雲などがたなびいているようす。
(3)尺牘-手紙。