(巻二十五)春日傘ひそかに杖とたのみけり(吉田正男)

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(巻二十五)春日傘ひそかに杖とたのみけり(吉田正男)

 

2月28日金曜日

 

目が覚めたので今日が始まってしまった。しかし目が覚めるまでは眠られていたのだ!

 

朝寒や今日より若い日はあらず(野上卓)

 

細君関係のストレス発散にお付き合い願う。

 

昨晩細君があたしの机に来て「東急ハンズへ行くことはないか?欲しいものがある。」と言ったので、

あたしは「面接の帰りに北千住を通る。ハンズに寄れるので買う物を指示してください。」と反応した。

ところが今朝一番の細君の文句は「あなたが急に北千住に行くと言い出したから、いろいろと頼む物を考えなくちゃ。思い付きで動かないでください。困ります!」である。

 

細君の寝起きの悪いのは分かっているから、ここはグッと我慢したがストレスは残ったなあ。

 

立冬や寝起きの悪き妻である(駄楽)

 

寝起きが悪くても兎に角起きてくれるのだからありがたく思わなくていけないのだ。

 

細君は生協の開店に合わせてお出掛けし、気分転換をしてお戻りになりました。それ以降は精神的な安定が見られる。

 

安定していないのは世の中であります。散歩の帰りに生協に寄ったらあるものが売り切れである。レジのおばさんに訊いたら、「変な噂が流れたみたいね」とのことであった。

 

 

「三上・三中 - 外山滋比古ちくま文庫 思考の整理学 から

 

を読んだみました。死のことばかり考えていても仕方ない。

三上、三多に加えて三中というお考えを展開されています。

 

《 中国の欧陽修という人は一般には三上ということばを残したとして、はなはだ有名である。三上とは、これまた前のくりかえしになるが、馬上、枕上[ちんじよう]、厠上[しじよう]である。》

 

《 三上を唱えた欧陽修は、また、三多ということばも残している。これもよく知られたことばである。

三多とは、看多(多くの本を読むこと)、做多[さた](多く文を作ること)、商量多(多く工夫し、推敲すること)で、文章上達の秘訣三ヵ条である。》

 

《 昔、唐の詩人、賈島[かとう]が、

鳥宿池辺樹 鳥は宿る池辺の樹

僧敲月下門 僧は敲[たた]く月下の門

という句を考えついた。はじめは「僧は推す」としたのを、再考、「僧は敲く」に改めた。しかし、なお、どちらがよいか判断がつかず、馬上で「推」したり「敲」いたりして考えにふけるうちに、大詩人、韓退之[かんたいし]の行列につき当り、とがめられた。一部始終を打ち明けたところ、韓退之はこれに感じ、ともに考えて「敲」がよい、といったという故事による。

賈島は鞍上、まさに夢中だったのである。さめた頭で考える必要もあるが、ときには、こういう無我夢中で考えることもなくてはならない。

散歩中にいい考えにぶつかることは、古来その例がはなはだ多い。ヨーロッパの思想家には散歩学派がすくなくない。散歩のよいところは、肉体を一定のリズムの中におき、それらが思考に影響する点である。そう言えば、馬上にもリズムがある。

もうひとつ、ものを考えるのによいのが、入浴中である。

ギリシャアルキメデスが、比重の原理を発見したときにユーリーカと叫んだと言われる。伝説によると、入浴中に思いついたことになっている。比重の原理との縁が近すぎるけれども、一般に入浴中は精神も昂揚するようで、浴室で歌をうたいたきなるのはそのあらわれである。思考にとっても血行をさかんにする入浴が悪いはずがない。

以上の三つ、無我夢中、散歩中、入浴中がいい考えの浮かぶいい状態であると考えられる。 》

 

あたしゃ、この頃なるべくものを考えないようにしています。悪い事ばかり考えて眠れなくなって、頭が狂ってしまう。 特に枕上[ちんじよう]では健やかに眠りたい。

 

願ふことただよき眠り宝船(富安風生)

 

「人生五十を過ぎて禍福なし」という言葉があるそうです。

あとは何があっても笑って諦めるしかないと諦めた方が自分にはどうしようもないことを考えて狂うよりましでしょう。

 

なるようになるを諾なひあたたかし(千原叡子)