「英語ができないと「現場」にいられない - 茂木健一郎」最強英語脳を作るから

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「英語ができないと「現場」にいられない - 茂木健一郎」最強英語脳を作るから

現在、英語がなぜ注目されているかというと、科学技術との結びつきという意味で、非常に強烈な言語になっているからです。特にコンピュータ研究、人工知能研究は、イコール英語なので、もう我々が思っている以上に世界は変わってしまっています。
先日も学生に、「なぜ英語をやる必要があるのですか」と聞かれて、「英語ができないと、現場にいられないんだよね」と答えました。
先頃、面白い話題がツイッターに出てきました。大阪大学の研究プロジェクトが「スーパー日本人」をつくると言って、スライドを挙げていて、それがツイッター上でみんなにバカにされていたのです。「マジウケるんですけど」とか笑いもの扱いでした。まず、スーパー日本人をつくるということが、いまの最先端の科学技術のテーマになるはずがない。その辺で、もうピントがずれています。
次章で詳しく述べますが、人工知能が人間のプロに勝ってしまうアルファ碁のようなソフトを、グーグルが予想より10年も早くつくってしまいました。
ヒューマノイド・ロボットもものすごくリアルなものができています。アトラスという、最新のグーグルのヒューマノイド・ロボットはすごい性能です。雪道の上で、転びそうになりながらバランスを保って歩いて、押されても立ち直る。押されて完全に倒れてしまっても、自分で起き上がれる。そういう人類未到の新しいものを生み出す文明の力の背後に、英語の文化があるのです。その感覚を身につけないと、なかなか最先端の波の中にいられない時代が来ている気がします。
非常に残念ですが、日本語の領域の中では、それに相当する動きが出なくなってしまっているから、そういう意味でも、英語を習得しておく重要性を強調しておねばなりません。それこそ、福沢諭吉が幕末に、緒方洪庵が開いた適塾や、その後の江戸の慶應義塾で必死になって西欧文明の受容に努めましたよね。あれに相当する猛勉強をしないと、世界の最先端の流れに参加できない時代になってしまっていると思います。
単に現場で手段として使われているのが英語だというだけではないのです。それは、ドイツ語でもフランス語でもよいではないかということになりかねないけれども、そうではなくて、ある種の、社会の組織のされ方、人と人とのコミュニケーションのとり方、ジャッジメントの仕方、そういうものが英語という言語の中でダイナミックに動いているので、そこの現場にいないと、そもそも現代の人類文明の一番トップのところにいられない。
昔、僕が高校の頃、英語は、英文学を読むためのツールという意味合いもあったし、ビジネスや留学のツールという意味合いもあったと思いますが、ここに来て、相当、意味合いが変わってきている。文明の最先端の坩堝のところで起こっていることを理解するためには、英語が必須だというように変わってきた。ここが理解できないといけません。

なぜ、こういうことを言うかというと、ニュージーランドとかオーストラリアに行って英語を勉強するというのは、恐らく、もう趣味の世界だと思うのです。同じ英語でも、文化に相当するところと、文明に相当するところがあって、文化に相当するところを学ぶというのは、趣味の世界。エミリー・ブロンテの文体について研究するというのは趣味の世界だと思うのです。それはそれで素敵なことですけれども。
けれど、いまなぜ英語が必要になっているかというと、それこそ、テッド(TED)などに象徴される、新しい文明をつくるものすごい胎動みたいなものが、幸か不幸か英語圏で起こっていて、しかも、そこにありとあらゆるバックグラウンドの人が参入してきているということがあります。
つまり、世界中から参加してくる。もはやネイティブ英語話者だけの話ではなくなっています。シリコンバレーなどは、インドから、中国から、もっと小さな国から、みんな入ってきている。そういう時代になっているので、グラフ理論的に言うと、世界が一つに結ばれて、単連結になったというイベントは、人類の歴史上1回しか起こらないので、英語の優位は変わらないという可能性が高い。そういう場に参加する人々は、もう誰もが英語を話す時代になってしまったので、それ以外の選択肢は考えにくい。
要するに、英語はもはや文化ではなく、文明だと認識すべき時代です。文化と文明を区別することは、かなり有益だと思います。