「マスク - 菊池寛」文豪と感染症から

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「マスク - 菊池寛」文豪と感染症から

見かけ丈[たけ]は肥って居るので、他人からは非常に頑健に思われながら、その癖内臓と云う内臓が人並以下に脆弱であることは、自分自身が一番よく知って居た。
一寸[ちよつと]した坂を上っても、息切れがした。新聞記者をして居たとき、諸官署などの大きい建物の階段を駈け上ると、目ざす人の部屋へ通されても、息がはずんで、急には話を切り出すことが、出来ないことなどもあった。
肺の方も余り強くはなかった。深呼吸をする積[つもり]で、息を吸いかけても、ある程度迄吸うと、直ぐ胸苦しくなって来て、それ以上は何[ど]うしても吸えなかった。
心臓と肺とが弱い上に、去年あたりから胃腸を害してしまった。内臓では、強いものは一つもなかった。その癖体丈[だけ]は、肥っている。素人眼にはいつも頑健そうに見える。自分では内臓が弱いことを、万々承知して居ても、他人から、「丈夫そうだ丈夫そうだ。」と云われると、そう云われることから、一種ごまかしの自信を持ってしまう。器量の悪い女でも、周囲の者から何か云われると自分でも「満更ではないのか。」と思い出すように。
本当には弱いのであるが「丈夫そうに見える。」と云う事から来る、間違った健康上の自信でもあった時の方がまだ頼もしかった。
が、去年の暮、胃腸をヒドク壊して、医者に見て貰ったとき、その医者から、可[か]なり烈[はげ]しい幻滅を与えられてしまった。
医者は、自分の脈を触って居たが、
「オヤ脈がありませんね。こんな筈はないんだが。」と、首を傾げながら、何かを聞入るようにした。医者が、そう云うのも無理はなかった。自分の脈は、何時[いつ]からと云うことなしに、微弱になってしまって居た。自分でじっと長い間抑えて居ても、あるかなきかの如く、ほのかに感ずるのに過ぎなかった。
医者は、自分の手を抑えたまま一分間もじっと黙って居た後、
「ああ、ある事はありますがね。珍らしく弱いですね。今まで、心臓に就て、医者に何か云われたことはありませんか。」と、一寸真面目な表情をした。
「ありません。尤[もつと]も、二三年来医者に診て貰ったこともありませんが。」と、自分は答えた。
医者は、黙って聴診器を、胸部に当てがった。丁度其処に隠されて居る自分の生命の秘密を、嗅ぎ出されるかのように思われて気持が悪かった。
医者は、幾度も幾度も聴診器を当て直した。そして、心臓の周囲を、外から余すところないように、探って居た。
「動悸が高ぶった時にでも見なければ、充分なことは分かりませんが、何[ど]うも心臓の弁の併合が不完全なようです。」
「それは病気ですか。」と、自分は訊いて見た。
「病気です。つまり心臓が欠けて居るのですから、もう継ぎ足すことも何うすることも出来ません。第一手術の出来ない所ですからね。」
「命に拘[かか]わるでしょうか。」自分は、オズオズ訊いて見た。
「いや、そうして生きて居られるのですから、大事にさえ使えば、大丈夫です。それに、心臓が少し右の方へ大きくなって居るようです。あまり肥るといけませんよ。脂肪心になると、ころりと衝心してしまいますよ。」医者の云うことは、一つとしてよいことはなかった。心臓の弱いことは兼て、覚悟はして居たけれども、これほど弱いとまでは思わなかった。
「用心しなければいけませんよ。火事の時なんか、駈け出したりなんかするといけません。此間[このあいだ]も、元町に火事があった時、水道橋で衝心を起して死んだ男がありましたよ。呼びに来たから、行って診察しましたがね。非常に心臓が弱い癖に、家から十町ばかりも駈け続けたらしいのですよ。貴君なんかも、用心しないと、何時コロリと行くかも知れませんよ。第一喧嘩なんかをして興奮しては駄目ですよ。熱病も禁物ですね。チフスや流行感冒に罹[かか]って、四十度位の熱が三四日も続けばもう助かりっこありませんね。」
此[この]医者は、少しも気安めやごまかしを云わない医者だった。が、嘘でもいいから、もっと気安めが云って、欲しがった。これほど、自分の心臓の危険が、露骨に述べられると、自分は一種味気ない気持がした。
「何か予防法とか養生法とかはありませんかね。」と、自分が最後の逃げ路[みち]を求めると、
「ありません。ただ、脂肪類は喰わないことですね。肉類や脂っこい魚などは、なるべく避けるのですね。淡白な野菜を喰うのですね。」
自分は「オヤオヤ」と思った。喰うことが、第一の楽しみと云ってよい自分には、こうした養生法は、致命的なものだった。
こうした診察を受けて以来、生命の安全が刻々に脅かされて居るような気がした、殊に、丁度その頃から、流行性感冒が、猛烈な勢で流行りかけて来た。医者の言葉に従えば、自分が流行性感冒に罹ることは、即[すなわ]ち死を意味して居た。その上、その頃新聞に頻々[ひんぴん]と載せられた感冒に就ての、医者の話の中などにも、心臓の強弱が、勝負の別れ目と云ったやうな、意味のことが、幾度も繰り返えされて居た。
自分は感冒に対して、脅え切ってしまったと云ってもよかった。自分は出来る丈[だけ]予防したいと思った。最善の努力を払って、罹らないように、しようと思った。他人から、臆病と嗤[わら]われようが、罹って死んでは堪らないと思った。
自分は極力外出しないようにした。妻も女中も、成るべく外出させないようにした。そして朝夕には過酸化水素水で、含漱[うがい]をした。止むを得ない用事で、外出するときには、ガーゼを沢山詰めたマスクを掛けた。そして、出る時と帰った時に、叮嚀に含漱をした。
それで、自分は万全を期した。が、来客のあるのは、仕方がなかった。風邪がやっと癒[なお]ったばかりで、まだ咳をして居る人の、訪問を受けたときなどは、自分の心持が暗くなった。自分と話して居た友人が、話して居る間に、段々熱が高くなったので、送り帰すと、その後から四十度の熱になったと云う報知を受けたときには、二三日は気味が悪かった。
毎日の新聞に出る死亡者数の増減に依って、自分は一喜一憂した。日毎に増して行って、三千三百三十七人まで行くと、それを最高の記録として、僅かばかりではあったが、段々減少し始めたときには、自分はホッとした。が、自重した。二月一杯は殆[ほと]んど、外出しなかった。友人はもとより、妻までが、自分の臆病を笑った。自分も少し神経衰弱の恐病症[ヒポコンデリア]に罹って居ると思った。が、感冒に対する自分の恐怖は、何うにもまぎらすことの出来ない実感だった。
三月に、は入ってから、寒さが一日一日と、引いて行くに従って、感冒の脅威も段々衰えて行った。もうマスクを掛けて居る人は殆どなかった。が、自分はまだマスクを除[の]けなかった。
「病気を怖れないで、伝染の危険を冒すなどと云うことは、それは野蛮人の勇気だよ。病気を怖れて伝染の危険を絶対に避けると云う方が、文名人としての勇気だよ。誰も、もうマスクを掛けて居ないときに、マスクを掛けて居るのは変なものだよ。が、それは臆病ではなくして、文明人としての勇気だと思うよ。」
自分は、こんなことを云って友達に弁解した。又心の中でも、幾分かはそう信じて居た。

三月の終頃まで、自分はマスクを捨てなかった。もう、流行性感冒は、都会の地を離れて、山間僻地へ行ったと云うような記事が、時々新聞に出た。が、自分はまだマスクを捨てなかった。もう殆ど誰も付けて居る人はなかった。が、偶[たま]に停留所で待ち合わしている乗客の中に、一人位黒い布片[ぬのきれ]で、鼻口を掩[おお]うて居る人を見出した。自分は、非常に頼もしい気がした。ある種の同志であり、知己であるような気がした。自分は、そう云う人を見付け出すごとに、自分一人マスクを付けて居ると云う、一種のてれくささから救われた。自分が、真の意味の衛生家であり、生命を極度に愛惜する点に於て一個の文明人であると云ったような、誇をさえ感じた。
四月となり、五月となった。遉[さすが]の自分も、もうマスクを付けなかった。ところが、四月から五月に移る頃であった。また、流行性感冒が、ぶり返したと云う記事が二三の新聞に現われた。自分はイヤになった。四月も五月もになって、まだ充分に感冒の脅威から、脱け切れないと云うことが、堪らなく不愉快だった。
が、遉の自分も、もうマスクを付ける気はしなかった。日中は、初夏の太陽が、一杯にポカポカと照して居る。どんな口実があるにしろ、マスクを付けられる義理ではなかった。新聞の記事が、心にかかりながら、時候の力が、自分を勇気付けて呉れて居た。
丁度五月の半であった。市俄古[シカゴ]の球団が来て、早稲田で仕合が、連日のように行われた。帝大と仕合がある日だった。自分も久し振りに、野球が見たい気になった。学生時代には、好球家の一人であった自分も、此一二年殆んど見て居なかったのである。
その日は快晴と云ってもよいほど、よく晴れて居た。青葉な掩われて居る目白台の高台が、見る目に爽やかだった。自分は、終点で電車を捨てると、裏道を運動場の方へ行った。此の辺の地理は可なりよく判って居た。自分が、丁度運動場の周囲の柵に沿うて、入場口の方へ急いで居たときだった。ふと、自分を追い越した二十三四ばかりの青年があった。自分は、ふとその男の横顔を見た。見るとその男は思いがけなくも、黒いマスクを掛けて居るのだった。自分はそれを見たときに、ある不愉快な激動[ショック]を受けずには居られなかった。それと同時に、その男に明かな憎悪を感じた。その男が、何となく小憎らしかった。その黒く突き出て居るマスクから、いやな妖怪的な醜くさをさえ感じた。
此の男が、不快だった第一の原因は、こんなよい天気の日に、此の男に依って、感冒の脅威を想起させられた事に違なかった。それと同時に、自分が、マスクを付けて居るときは、偶にマスクを付けて居る人に、逢うことが嬉しかったのに、自分がそれを付けなくなると、マスクを付けて居る人が、不快に見えると云う自己本位的な心持も交じって居た。が、そうした心持よりも、更にこんなことを感じた。自分がある男を、不快に思ったのは、強者に対する弱者の反感ではなかったか。あんなに、マスクを付けることに、熱心だった自分迄が、時候の手前、それを付けることが、何うにも気恥しくなって居る時に、勇敢に☆然とマスクを付けて、数千の人々の集まって居る所へ、押し出して行く態度は、可なり徹底した強者の態度ではあるまいか。兎に角自分が世間や時候の手前、やり兼ねて居たことを、此の青年は勇敢にやって居るのだと思った。この男を不快に感じたのは、此の男のそうした勇気に、圧迫された心持ではないかと自分は思った。