(巻二十六)年金を木椅子の冷えにたしかめる(松尾火炎樹)

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(巻二十六)年金を木椅子の冷えにたしかめる(松尾火炎樹)

6月25日木曜日

医事:

月に一度の検診とお薬を頂きに駅前クリニックに伺う。

看護師も事務方も暇そうにしている。私の後に患者なし。

細君のところにセールスを掛けてきた歯科といい、このクリニックといい、患者が減っているのは確かなようだ。しかし、病院は飲み屋とは違い気が向いたから行くところではあるまい。痛みや不快、疲労や不自由さを感じていたから医者に行っていた筈だ。

それがこの流行り病の影響でいなくなったと云うのが解せない。この流行り病で虫歯も痛風も治ったのか?

先行き不安で我慢しているのか?

駅前散歩:

駅前の喫煙コーナーが再開されていた。

Suicaの残額が二千円を切ったので五千円チャージしておいた。特に出かける予定はないが、久しぶりに神保町あたりを歩いてみたいとは思う。

細君からラジカセとCDラジカセの下見指示があったので電気屋に寄った。ラジカセはまだ二機種あった。CDラジカセは五機種かな。いずれにしても消えてゆく運命だ。私が愛用しているICレコーダーはまだソニーパナソニックオリンパスの三社が作っているようだが、これもいずれはなくなるだろう。ICレコーダー本体も困るが、より切実なのはイヤホーンである。イヤホーンが店頭から消えてゆく。手持ちはあと三本だ。

虎造と寝るイヤホーン春の風邪(小沢昭一)

帰りは雨が降り始めたのでバスに乗った。

本日五千五百歩で、階段二回でした。

読書:

上田三四二氏の漱石修善寺の大患と世間との和解の文章を読み直した。漱石の随筆は何編かコチコチしてあるが、入院物が多い。やはり刺々しい作品よりは円やかな読み物の方が落ち着く。

肩に来て人懐かしや赤蜻蛉(漱石)

そこで和解前の 『入社の辞』を読み返したが、確かに世間に喧嘩を売っているようだ。

漱石紀行文集ー小品ー入社の辞 - 夏目漱石

 

大学を辞して朝日新聞に這入ったら逢う人が皆驚いた顔をして居る。中には何故だと聞くものがある。大決断だと褒めるものがある。大学をやめて新聞屋になる事が左程に不思議な現象とは思わなかった。余が新聞屋として成功するかせぬかは固(もと)より疑問である。成功せぬ事を予期して十余年の径路を一朝に転じたのを無謀だと云って驚くなら尤もである。かく申す本人すらその点に就ては驚いて居る。然しながら大学の様な栄誉ある位置をなげうって(漢字)、新聞屋になったから驚くと云うならば、やめて貰いたい。大学は名誉ある学者の巣を喰っている所かも知れない。尊敬に価する教授や博士が穴籠りをしている所かも知れない。成程そう考えて見ると結構な所である。赤門を潜り込んで、講座へ這い上がろうとすり候補者は ー 勘定して見ないから、幾人あるか分らないが、一々聞いて歩いたら余程ひまを潰す位に多いだろう。大学の結構な事は夫(それ)でも分る。余も至極御同意である。然し御同意と云うのは大学が結構な所であると云う事に御同意を表したのみで、新聞屋が不結構な職業であると云う事に賛成の意を表

したんだと早合点をしてはいけない。

新聞屋が商売ならば、大学屋も商売である。商売でなければ、教授や博士になりたがる必要はなかろう。月俸を上げてもらう必要はなかろう。勅任官になる必要はなかろう。新聞が商売である如く大学も商売である。新聞が下卑た商売であれば大学も下卑た商売である。只個人として営業しているのと、御上で御営業になるのとの差丈(だ)けである。

大学では四年間講義をした。特別の恩命を以て洋行を仰つけられた二年の倍を義務年限とするとこの四月で丁度年期はあける訳になる。年期はあけても食えなければ、いつ迄も噛り付き獅噛みつき、死んでも離れない積でもあった。所へ突然朝日新聞から入社せぬかと云う相談を受けた。担任の仕事はと聞くと只文芸に関する作物を適宜の量に適宜の時に供給すればよいとの事である。文芸上の述作を生命とする余にとって是程難有(ありがた)い事はない、是程心持ちのよい待遇はない、是程名誉な職業はない。成功するか、しないか抔(など)と考えて居られるものじゃない。博士や教授や勅任官抔の事を念頭にかけて、うんうん、きゅうきゅう云っていられるものじゃない。

大学で講義をするときに、いつも犬が吠えて不愉快であった。余の講義がまずかったのも半分はこの犬の為めである。学力が足らないからだ抔とは決して思わない。学生には御気の毒であるが、全く犬の所為(せい)だから、不平は其方(そっち)へ持って行って頂きたい。

大学で一番心持ちの善かったのは図書館の閲覧室で新着の雑誌抔を見る時であった。然し多忙で思う様に之を利用する事が出来なかったのは残念至極である。しかも余が閲覧室に這入ると隣室に居る館員が、無闇に大きな声で話をする、笑う、ふざける。清興を妨げる事は莫大であった。ある時余は坪井学長に書面を奉って、恐れながら御成敗を願った。学長は取り合われなかった。余の講義のまずかったのは半分は是が為めである。学生には御気の毒だが、図書館と学力がわるいのだから、不平があるなら其方へ持って行って貰いたい。余の学力が足らんのだと思われては甚だ迷惑である。

新聞の方では社へ出る必要はないと云う。毎日書斎で用事をすれば夫で済むのである。余の居宅の近所にも犬は大分居る、図書館員の様に騒ぐものも出て来るに相違ない。然しそれは朝日新聞とは何等の関係もない事だ。いくら不愉快でも、妨害になっても、新聞に対しては面白く仕事が出来る。雇人が雇主に対して面白く仕事が出来れは、是が真正の結構と云うものである。

大学では講師として年俸八百円を頂戴していた。子供が多くて、家賃が高くて八百円では到底暮せない。仕方がないから他にニ、三軒の学校をかけあるて、漸くその日を送って居た。いかな漱石もこう奔命につかれては神経衰弱になる。その上多少の述作はやらなければならない。酔興に述作をするからだと云うなら云わせて置くが、近来の漱石は何か書かないと生きている気がしないのである。夫丈ではない。教える為め、又は修養の為め書物も読まなければ世間へ対して面目がない。漱石は以上の事情によって神経衰弱に陥ったのである。

新聞社の方では教師としてかせぐ事を禁じられた。その代り米塩(べいえん)の資に窮せぬ位給料をくれる。食ってさえ行かれれば何を苦しんでザットのイットのを振り廻す必要があろう。やめるなと云ってもやめて仕舞う。休(や)めた翌日から急に脊中(せなか)が軽くなって、肺臓に未曾有の多量な空気が這入っつ来た。

学校をやめてから、京都に遊びに行った。その地で故旧と会して、野に山に寺に社に、いずれも教場よりは愉快であった。鶯は身を逆(さかし)まにして初音を張る。余は心を空にして四年来の塵を肺の奥から吐き出した。是も新聞屋になった御蔭である。

人生意気に感ずとか何とか云う。変り物の余を変り物に適する様な境遇に置いてくれた朝日新聞の為めに、変り物として出来得る限りを尽すは余の嬉しき義務である。

願い事-叶えてください。手短にお願いします。