「フツーに死ぬ - 佐野洋子」にゃんこ天国 から

 

「フツーに死ぬ - 佐野洋子」にゃんこ天国 から

医者はレントゲンをとって、血液検査をした。猫のくせにレントゲン?血液検査?医者は大きなレントゲン写真二枚をビューアーにはさんで、真面目な少し沈痛な面持ちをしていた。
「ガンですね」。は?は?は?
「ここ、すい臓、こんなに大きく変形しています」。テニスボール程の丸い部分をさして医者は言った。
「それから、この肺のここ、ここ、転移していますが、原発はどこかわかりません。もし調べるなら、腸や胃の検査してもいいですが、どうします?」「それって原発がどこか調べるだけなんですか」「そうです」「治りますか」「これだけ広がっていますから、手術してガンの所を取ってもねェ、内蔵全部やられていますよねェ」「手術しないでいいです」。
えーッ、ガン!猫なのに。「どれくらい、もちますか」「うーん、何とも言えませんねェ、一週間かもう少しもつか」。えっ、一週間?えっ。「体重三キロへってますねェ、脱水状態ですねェ、水飲んでなかったと思いますよ。点滴して抗ガン剤入れてみますか。何にもしないで、安楽死という選択もありますが」。安楽死という言葉を医者は言いにくそうに小さな声で、私の目を見ないで言った。点滴をしてもらうことにして一泊入院することにした。
次の日、猫はえさをぺろぺろ沢山食べたそうだ。ステロイドの注射もしたと医者が言った。ステロイドって運動選手がドーピングに使うんだっけ?いつか九十二歳のおじいさんが骨折して入院して、もう寝たきりになってしまうかと思われた時、ステロイドを注射した突然おき上がって、病院の廊下をスタスタ二周もした事をきいた。注射が切れたらまたストンと寝てしまった。
医者が白い小さな丸薬をくれた。「抗ガン剤です」。口をこじあけてのどの中に放り込むように教えてくれた。
「もし薬がきいたら、進行を遅らせることが出来ますが」と医者が言う。進行を遅らせるって事は、少し寿命が延びるって事なのか。
フネは金物のおりの中でうずくまっていた。刑務所に似ている。私がフネなら刑務所の中で死にたくない。
「もしすごく苦しんだら、家で安楽死させてくれますか」。
「その時は連れて来て下さい」。私は黙りこんだ。
私はフネを見たままずっと黙っていた。
「なるべくなら病院で」。医者は沈黙に耐えられないらしかった。沈黙に耐えられない人は良い人だなあと思う。私はそれをぐいっとつかんだ。
「もしもの時、電話してもいいですよね、来てくれますよね」。
フネを連れて帰った。

フネをフネの箱の中に置いた冬中足温器を入れた箱の中に毛布をしいてあった。
フネはじっと目をつぶって置いたままの姿勢だった。箱のそばに水を置いてスーパーに行った。ステロイドはやっぱり一瞬のドーピングだったのだ。
一番高い缶づめを十個買った。コマーシャルで、シャンペングラスの中に入っていてチンとグラスをたたく奴だ。私はコマーシャルを見るたびに、ヘン、猫なんぞにぜいたくさせちゃいかん、とんでもねえと腹が立っていたものだ。
魚の白身、とりのささ身、ビーフ、レバーと何種類もある。奇蹟が起こるかも知れん。ふだんコロコロした兎のふんみたいなものだけ食わせていたから、白身の魚のあまりのうまさに、パクパク食べてガンがだまされるかも知れん。レバーなんぞペロペロ食べたら、もしかしたら肝臓のガンも負けるかも知れん。高いったって安いものだ。しかし奇蹟は起こらないだろうとも思う。
小さな皿にスプーン一さじをとり分けてフネの鼻さきに持って行った。
匂いをかいでフネは一さじ分食べた。私は勇んでもう一さじを入れた。フネは口を閉じたまま私の目を見た。「ねえ、食べな」と私は言った。私は自分の声に気が付いた。全然猫なで声になっていない。私は一生猫なで声というものを出した事がなかったらしい。フツーの声しか出ないのだ。フツーの人は皆猫なで声が出るものなのだろうか。猫は猫なで声をかけてもらいたいのだろうか。
「ねえ、もう一口食べてみな」。フツーの声で私はまた言っているのだ。フネは私の目を見ながら舌を出して白身を一回だけなめた。私の声に一生懸命こたえようとしている。お前こんないい子だったのか、知らんかった。
気が付くとフネは部屋の隅に行っていた。

本当にあと一週間なのか。もしかしたら、今そのまんま死んでしまっても不思議はないのか。苦しいのか。痛いのか。ガンだガンだと大さわぎしないで、ただじっと静かにしている。
畜生とは何と偉いものだろう。
時々そっと目を開くと、遠く孤独な目をして、またそっと目を閉じる。
静かな諦念がその目にあった。
人間は何とみっとないものなのだろう。
じっと動かないフネを見ていると、厳粛な気持になり、九キロのタヌキ猫を私は尊敬せずにいられなかった。
時々じっと動かないフネの腹のあたりを見た。かすかに波打っている。父が死ぬ前、うすべったくなった父の胸のあたりのふとんをぬすみ見た時のことを思い出した。そんな時不意に父が目をあけて、私を見ると、私はへどもどしたものだ。
まだ生きている。
時々おき上がって、砂箱に小便をしに行った。時々は水を飲んだ。そのうちたれ流しになるのだろうか。たれ流してもいいからね。たれ流ししてもいいんだよ。でもなるべくたれ流さんでくれる?
一缶のえさがなかなか空にならなかった。
フネはじっと静かにしているのに、私は騒いだ。
サトウ君にも「フネがガンになった、今日死ぬかも知れない」。マリちゃんとサトウ君は静かに玄関から入って来てくれて、「え、お前どうしたの」と言ってくれた。フネは、はて変だなお前ら、と思うかも知れない。
アライさんちに行っても「うちの猫、ガンになって死にそうなの」と報告した。
アライさんは、「ほう、そうかね。うちのも昨日死んだ」とふだんと同じ顔をして言った。アライさんちの猫は納屋の二階でお産をして、そのうちの一匹はどうしても地上におりて来なくて、五年間納屋の暗い二階で生きていた。時々アライさんがはしごにのって、おしりだけ出していることがあった。五年間毎日えさをやっていたのだ。
アライさんが入院した時、奥さんが最初の面会に行ったら、アライさんは一言「猫」と言っただけだったそうだ。「私にえさやれってことなんだよね。猫のことだけ心配だったんかね」と、奥さんは不平そうに言ってたっけ。
あの猫は初めて地上におりた時は、穴の中に埋められる時だった。私はアライさんにフツーではない声を出したことを恥じた。
マコトさんにもアケミさんにも「フネがガンなの」と言いつけた。マコトさんは「あー、あれはいい猫だった、なかなか人物だった」と過去形で言った。そうだったのかも知れないと私も過去形で思った。
一週間たった。猫の医者が「どうです」と電話をかけて来てくれた。猫の医者の半分か十分の一でも、人間の医者が患者の事を心配してくれるだろうか。退院して行った患者に電話してくれることなんかないなあ。私は、抗ガン剤を一錠も与えないですてていた。 一週間、私はドキドキハラハラ浮ついていたのに、フネは部屋の隅で、ただただ静かに同じ姿勢で、かすかに腹を波打たせているだけだった。見るたびに、偉いなあ、人間は駄目だなあ、と感心した。
十日たった。二週間たった。
「ほら、食べな」と言うと、私の目を見て一さじの半分くらい食べて、「本当は食いたくないけど、あんたが食べなって言うから、食べましたよ。ね、もういいでしょう」とその目が言っている。そんないい子しないでもいいよと思いながら、「もう半分ね、もう半分」と私は言うのだ。
二週間過ぎると、フネは死なないんじゃないか、こうやって飲まず食わずで永久に生き続けるのかもしれない。それでも砂箱に小便と糞をしに行く。ねずみの糞くらいの糞を三日に一度くらいする。一瞬一瞬今死ぬかと思っているので、私は疲れて来た。何をするでもないのに、ずっと緊張していた。そのうちに、風呂場のタイルにうずくまるようになった。熱があって冷たい所に行きたいのか、暗いところで邪魔されたくないのか。音もなく冷たくて暗いところを自分でさがす。
ある日、トイレの便器の前に小さな水たまりが出来ていた。トイレットペーパーでふくと黄色い。においをかいでみると小便くさい。フネは砂箱までもう行けなくなったのだ。風呂場の隣のトイレに必死で行ったにちがいない。ここが人間のトイレだと知っていたのだ。こんな健気な猫だったのだれうか。私はただのデブ猫としか思っていなかった。
顔が一まわり小さくなった。なでるとゴリゴリと頭蓋骨がさわった。
二十日過ぎた。友達が来て、「あんた、これはまだもつよ。このでかい腹はラクダのコブと同じで、このでかい腹から栄養補給しているんだよ。これがすんなりスタイルのいい猫だったら、とっくに死んでいるよ」。そうかしらん。三度トイレに小便をした。小便をした床をふいたあと、私はじいっと床を見続けずにいられなかった。なるべくなら、たれ流しにならないでね、って心の中で言ったのがわかっちゃったんだ。
ちょうど一カ月たった。
フネは部屋の隅にいた。クエッと変な声がした。ふり返ると少し足を動かしている。ああ、びっくりした、死んだかと思ったよ。二秒もたたないうちに、またクエッと声がして、フネは死んだ。全然びっくりしなかった。
私は毎日フネを見て、見るたびに、人間がガンになる動転ぶりと比べた。ほとんど一日中見ているから、一日中人間の死に方を考えた。考えるたびに粛然とした。私はこの小さな畜生に劣る。この小さな生き物の、生き物の宿命である死をそのまま受け入れている目にひるんだ。その静寂さの前に恥じた。私がフネだったら、わめいてうめいて、その苦痛をのろうに違いなかった。
私はフネのように死にたいと思った。人間は月まで出かける事が出来ても、フネのようには死ねない。月まで出かけるからフネのようには死ねない。フネはフツーに死んだ。
太古の昔、人はもしかしたらフネのように、フネのような目をして、フツーに死んだのかも知れない。「うちの猫が死んだ」とアライさんに報告したら、「そうかね」とアライさんはフツーの声で言った。