「夜這い - 田辺聖子」日本の名随筆72夜 から

「夜這い - 田辺聖子」日本の名随筆72夜 から

釣師にして名エッセイスト(釣師には筆のたつ人が多い)たる山本素石氏の説によれば、そもそも日本の農村が疲弊し、一村ほとんど逃散、という過疎地がふえ、山野荒廃した原因は何かというと、
「夜這いの美風がなくなったからとちがいますか」
といわれる。
まさに名論卓説と思われるので、紹介させていただく。
夜這いというのは、その目ざす相手のベッドルームめがけて、暮夜ひそかに這ってゆくこと。などとわかりきったことをいうのは、いまどきの若い者、すでに「夜這い」という言葉すら知らないからである。
昔は、村の色後家や、好きものの娘などは、村の男たちのおのずからなる性的対象であって、ひそかに夜釣りがおこなわれたそうである。
その交流はじつに人間的で、情緒にあふれており、おのずからなるルールも生まれ、村落共同体の連帯を深め、人々を父祖の地にむすびつける魅力があった。この夜釣りはとくべつに仕掛も道具もいらず、「自前の毛バリ一本で」事は足るのである。
しかし釣り手は大ぜい、魚はすくなし、というときには乱獲、場荒れを防ぐために、入川料を取る。つまり午前中に、おのが畑に出来た大根一本か胡瓜一本をたずさえて「これつまらん物やけど一つ」と届けるのだそうだ。この一本というところが泣かせるので、身代限りするほど金を使わせぬところがよろしい。
かくしてマナーが生まれ、生きる愉しみを与えられ、働くよろこびができ、山野みどりに人々は仲よく、平和な桃源郷をきずくことができたのだ。
しかるに時代の波がおしよせて、道路工事だ、ダムだ、工場誘致だと、山野が押しつぶされるに従って人夫や工員や、ヨソモノが入って来、却って村の男は出かせぎに出てゆき、共同体の連帯感は失われた。
いかな気のよい、好色後家といえども、夜釣りに応じなくなって門戸を閉ざしてしまった。
気ごころの知れた村の人間同士のおおらかな性の娯[たの]しみ、歌垣[うたがき]のよろこびは大昔の伝説にすぎなくなり、そうなればもはや人々は閉ざされた社会の中に生きることを阿呆らしく思い、村は潰れ、廃村となる。……
山本素石氏はいう。いかにも、さもありなん。
西郷どん西南の役に一敗地にまみれて逃げるとき、藪をくぐり木の根を伝い、「翔ぶが如く」ではなく「這うがごとく」落ちてゆかねばならなかった。しかしそこはさすがに剛腹の西郷どん、ちっともあわてず、左右をかえりみてほほえみ、
「まるで夜這いのごたる」
といったので桐野利秋以下の猛将連も思わず吹き出したそうだ。
してみると西郷どんも、夜這いの経験者だったのだろうか。いや、たぶん人の話をまたききした想像での発言であろう。大西郷が夜這いの経験者ということになれば、日本歴史はその観点から書き換えられねばならぬ。夜這いということは決して一些事ではないのである。人間存在の本質にかかわる大問題である。
思ってもみよ、大根一本、胡瓜一本を、オズオズと、あるいはニヤニヤともってくる男たち。それを受けとる女たちも天真爛漫に好かぬ奴だとか、先約があるとか、都合がわるいとかいうときは、
「間に合[お]うとるけん」
「ウチでも、けさ、もいできたばっかりじゃけェ」
などと断われる。
そっけなく断わったり、にっこり断わったり、残念そうに断わったり、できる。断わりかたも、種々さまざまに表情に出して断われる。生活に創造力をいかせる余地があるのである。
また、受けとってOKするときも、
「そこらへ置いといてェな」
ぶっきらぼうなOKの仕方や、
「まァまァ、美事な胡瓜やのう、太うて実[み]がつまってしっかりして、新らしゅうて、歯ごたえのありそうな」
と、まるで男そのものをほめたみたいな、快諾ともいうべき欣然たるOKの仕方もあり、これまたいろいろさまざまであるから、たのしい。
中には急に思い立ってやって来て、事後承諾みたいなヤツもいたろう。予定外だと突き出す女もいたろうし、
「まァええわ、畑の胡瓜や無[の]うて、自前の胡瓜をもってきたんやさかい」
と寛大に許して入れてやる、太っぱらな女もいたろう。
考えてみれば、山本素石氏の説をまつまでもなく、じつにおおらかで素朴な性の解放であり、人間らしい関係である。ヒッピーやフーテンのルールもない乱交・蛮交とは質がちがう。
山みどりに、水清い日本の山野の自然がそこなわれたと同じく、神々のようにおおらかな性の自然も失われた。
かりに、今の時代なら、夜這いはどうであろう?いまの男には夜這いをしかけそうなエネルギーのありそうなヤツは見当たらんではないか。
「いや、それは女が強くなりすぎたからです。むしろ女が夜這いをしかけんばかりになってきた。そうなると男はひっこまざるを得まへん」とカモカのおっちゃんはいう。
「そうかなァ、もし私がおっちゃんのドアを深夜にたたいたら、どうする?」
「はいってます、という」
「そこをムリに合カギで入って婉然[えんぜん]と笑うたらどうする?」
「こんばんは、という」
「そこをベッドへもぐりこんで、こちょこちょと、おっちゃんをくすぐったらどうする?」
「おやすみ、いうて向こうむいて寝る」
「バカッ」
女が強くなったって、あかんやないか。