(巻三十四)水飲んでいざ獅子舞のうしろ脚(内海良太)

(巻三十四)水飲んでいざ獅子舞のうしろ脚(内海良太)

10年21日金曜日

巻三十四は本日をもちまして読み切りです。追って一挙掲載いたします。

秋晴れの朝、4か月ぶりのお召しで会社へ出かけた。それも9時から打合せとのことで四年ぶりに朝の通勤電車に乗った。乗車区間は京成青砥から都営地下鉄日本橋。青砥始発の各駅に乗ったので体が触れ合う程ではなかったがつり革まで満席。先発した特急は満杯状態だった。京急の車両だったので車内広告は横浜色、ベイスターズもチラチラ。

20分前に現地着。コンビニ珈琲を喫し待機。定刻打合せ開始。加算の話。話は簡単だが、修正税額の算定は面倒くさそうです。前にいたコンサルだとこんな話で何十万もふんだくっていたなあ、と思い出す。正味30分で終り。こんなに早くちゃどこも開いてないので直帰。つまんねえ。

生協で牡蠣弁当を買って帰宅。布団干して取り込んで、つまんねえ。

昼飯喰って、レポート送って、散歩。

都住3でクロちゃんと戯れる。その後、サンチャンとフジちゃんと遊ぶ。猫セラピーだ。ドクター・クロ、ドクター・サン、ドクター・フジだ。診察料は各二袋。

昨日の焼きカレーも腹にもたれかたが、今日の牡蠣弁当ももたれる。

願い事-涅槃寂滅。

「職業としての小説家ー村上春樹新潮文庫から“小説家になった頃”の一部を書き取り

一九七八年四月のよく晴れた日の午後に、僕は神宮球場に野球を見に行きました。その年のセントラル・リーグの開幕戦で、ヤクルト・スワローズ対広島東洋カープの対戦でした。午後一時から始まるデー・ゲームです。僕は当時からヤクルト・ファンで、神宮球場から近いところに住んでいたので(千駄ヶ谷鳩森八幡神社のそばです)、よく散歩がてらふらりと試合を見に行っていました。

その頃のヤクルトはなにしろ弱いチームで、万年Bクラス、球団も貧乏、派手なスター選手もいない。当然ながら人気もあまりありません。開幕戦とはいえ、外野席はがらがらです。一人で外野席に寝転んで、ビールを飲みながら試合を見ていました。当時の神宮の外野は椅子席ではなく、芝生のスロープがあるだけでした。とても良い気分だったことを覚えています。空はきれいに晴れ渡り、生ビールはあくまで冷たく、久しぶりに目にする緑の芝生に、白いボールがくっきりと映えています。野球というのはやっぱり球場に行って見るべきものですよね。つくづくそう思います。

ヤクルトの先頭打者はアメリカからやってきたデイブ・ヒルトンという、ほっそりとした無名の選手でした。彼が打順の一番に入っていました。四番はチャーリー・マニエルです。後にフィリーズの監督として有名になりましたが、その当時の彼は実にパワフルな、精悍なバッターで、日本の野球ファンには「赤鬼」と呼ばれていました。

広島の先発ピッチャーはたぶん高橋(里)だったと思います。ヤクルトの先発は安田でした。一回の裏、高橋(里)が第一球を投げると、ヒルトンはそれをレフトにきれいにはじき返し、二塁打にしました。バットがボールに当たる小気味の良い音が、神宮球場に響き渡りました。ぱらぱらというまばらな拍手がまわりから起こりました。僕はそのときに、何の脈絡もなく何の根拠もなく、ふとこう思ったのです。「そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない」と。

そのときの感覚を、僕はまだはっきり覚えています。それは空から何かがひらひらとゆっくり落ちてきて、それを両手でうまく受け止められたような気分でした。どうしてそれがたまたま僕の手のひらに落ちてきたのか、そのわけはよくわかりません。そのときもわからなかったし、今でもわかりません。しかし理由はともあれ、とにかくそれが起こったのです。それは、なんといえばいいのか、ひとつの啓示のような出来事でした。英語にエピファニー(epiphany)という言葉があります。日本語に訳せは「本質の突然の顕現」「直感的な真実把握」というようなむずかしいことになります。平たく言えば、「ある日突然何かが目の前にさっと現れて、それによってものごとの様相が一変してしまう」という感じです。それがまさに、その日の午後に、僕の身に起こったことでした。それを境に僕の人生の様相はがらりと変わってしまったのです。デイブ・ヒルトンがトップ・バッターとして、神宮球場で美しく鋭い二塁打を打ったその瞬間に。

試合が終わってから(その試合はヤクルトが勝ったと記憶しています)、僕は電車に乗って新宿の紀伊國屋に行って、原稿用紙と万年筆(セーラー、二千円)を買いました。当時はまだワープロもパソコンも普及していませんでしたから、手でひとつひとつ字を書くしかなかったのです。でもそこにはとても新鮮な感覚がありました。胸がわくわくしました。万年筆を使って原稿用紙に字を書くなんて、僕にとっては実に久方ぶりのことだったからです。

> 夜遅く、店の仕事を終えてから、台所のテーブルに向かって小説を書きました。その夜明けまでの数時間のほかには、自分の自由になる時間はほとんどなかったからです。そのようにしておおよそ半年かけて『風の歌を聴け』という小説を書き上げました(当初は別のタイトルだったのですが)。第一稿を書き上げたときには、野球のシーズンも終わりかけていました。ちなみにこの年はヤクルト・スワローズが大方の予想を裏切ってリーグ優勝し、日本シリーズでは日本一の投手陣を擁する阪急ブレーブスを打ち破りました。それは実に奇跡的な、素晴らしいシリーズでした。