(巻三十五)手に届く身近な願ひ星祭(萩庭一幹)

(巻三十五)手に届く身近な願ひ星祭(萩庭一幹)

10月23日日曜日

公団の賃貸住まいだ。保証人は要らないが緊急連絡先を家主に申告しなくてはならない。家主が店子ではない人に緊急連絡するというのだから、つまり死んでいたら連絡する先ということだろう。この棟でも特殊清掃がされていたことがあったようだ。

ざらしを心に風のしむ身哉(芭蕉)

その連絡先には鹿児島にいる息子を書くが、近所の戸建にお住まいの義妹の旦那にもお願いせんと朝っぱらから夫婦で挨拶に出かけた。

玄関先で5分ほどの立ち話で訪問終了。近所の公園をブラついて帰宅。

公園には小動物とポニーなどもいて、10時前だったが草っ原にはすでにシートを敷いてピクニック気分を味わおうという家族が数組。園内の整理を担う高齢者補助員たちも配置についていた。そして馬には鞍だ。

装はれ老馬高ぶる秋祭(富田直治)

帰宅して洗濯物干し、毛布干し、掃除機がけと家事を致す。

一息ついているところへ細君が俳壇を持ってきた。

干藷のその鈍角な味が好き(三方元)

長き夜や私やっぱり紙が好き(原田昭子)

無駄骨の言葉探しや星月夜(早川厚)

の三句を書き留めた。

昼飯喰って、昼寝せず。2時半過ぎから散歩。都住3でサンちゃんが1号棟の塀のとこらで何方かが用意した餌を食べていた。複数のパトロンを渡り歩いて命を繋いでいるわけだ。

生きる道猫に教わる秋日和(拙句)

クロちゃんはサンちゃんに追われてか、1号棟の階段裏にいた。腹一杯のようで媚びてこない。

白鳥ファミマの前を通ったが飲みたくもなし。素通りして帰宅。シャツ3枚にアイロンをかけた。

願い事-涅槃寂滅。

「頭のよすぎる馬 - 井崎脩五郎」文春文庫 92年版ベスト・エッセイ集 から

競走馬というのは、あまり頭が良過ぎると駄目で、少しいいくらいが一番走ると言われている。かりに頭の良し悪しを通信簿のように五段階で評価すると、競走馬として理想的なのはオール四くらいの馬で、かつての名馬シンザンをはじめ、ハイセイコーミスターシービーシンボリルドルフ、そしてオグリキャップといった馬は、みなこのオール四のタイプではないかと言われている。

頭の良過ぎる馬はなぜ駄目かというと、必死にならないからである。戦況を自分で勝手に判断して、きょうはどう頑張ったって無理と感じたら、レースを途中で投げ出してしまう。騎手がいくら叩いても、ほとんど我関せずで、お茶を濁したような走りしか見せない。無理は身体に毒と心得ているのである。それより何より、人間の遊びのために、どうして俺がそんなに懸命に駆けなきゃいけないんだと、頭のいい馬は考えてしまうふしがあるようだ。

その頭のいい馬の代表例として、いまだに語り草になっている馬がいる。

昭和四十五年に生まれたマリノスターという馬だ。血統は父がマリーノで、母がロングライト。関東の加藤朝厩舎に所属した。

この馬がとにかく人間を小馬鹿にして、まったく駆けようとしなかった。見てくれは悪くないのに、競走意欲はゼロ。どうして俺が、こんな人前に引っ張り出されて駆けなきゃいけないんだよ、おりゃやだよとばかりに、太々[ふてぶて]しい負けを繰り返した。

四歳の春にデヒューしたねだが、デヒュー戦が大差のシンガリ負けで、二戦目も大差のシンガリ。ともに後方のままで、見せ場などかけらもなかった。

> これじゃあ、あまりにもひどいから少し休ませようと、三カ月ばかり休養をとって出直した。

ところがマリノスターはいっこうに改心せず、カムバックしたあとも惨敗を重ねた。三戦目も大差負けで、四戦目も大差負け。とうとう五戦目には、勝った馬から三十馬身以上も離されて、一カ月の出走停止処分をくらってしまったのである。

もはやこれまで。

オーナーもついに見切りをつけて、草競馬に売り飛ばしてしまおうという話が出たのだが、こんな馬では引き取り手がない。そうなると、あとはもう肉になるだけ。

「お前も人生失敗しちゃったなあ。悪いやつじゃないってことは分かるんだけど、もう少し一生懸命駆けなきゃ」

別れを惜しんだ厩務員が、最期の杯のつもりで、水のかわりに一升の酒をマリノスターに飲ませた。

ここで初めてマリノスターは、厩務員のいつもと違う表情や、水とは違うものを差し出されたことで、自分がのっぴきならない立場に立たされていることにハッと気がついたのである。

それこそ目つきが一変した。

馬房のなかで、早く外へ出せというようなそぶりをするので、ためしに馬場に出してみたところ、それまでのグータラぶりが嘘のようなシャキッとした走りをするではないか。

なんだ、こいつ。馬がまるで変ったみたいじゃないかというので、アルコールが身体から消えるのを待ってレースに出したら、いきなり、勝ち馬との差が一秒三まで詰まった。そして、レースごとに徐々に差を詰めていって、ついに四歳の暮れ、デビュー十一戦目にして待望の初勝利。さらに明けて五歳時には二連勝までやってのけ、春の重賞の一つである小倉大賞典にまで出走した。ほんの一年前に、見どころなしの大差負けを繰り返していた馬とは、とても思えないような変身ぶりだった。その気になれば強かったのだ。

いまでも、大差のシンガリでゴールインする馬を見ると、あいつ、もしかしたら頭いいんだろうなあと思うときがある。