「陸海空 旅する酔っぱらい - ラズウェル細木」もう一杯、飲む?新潮文庫

 

「陸海空 旅する酔っぱらい - ラズウェル細木」もう一杯、飲む?新潮文庫

旅といえば、まずはその土地での飲食が何より楽しみである。というより、私など飲食が旅の目的のすべてであるといっていい。旅先の土地の食べ物とそれに合う酒との出会いは本当に楽しい。
旅は、家を出た瞬間から始まる。そして、目的地へ向かうための交通機関に乗り込んだとき、早くも最初の興奮がおとずれる。それは乗り物の中での飲食……特に酒だ!
旅に出るときの乗り物での飲食は大きな楽しみだ。
私が旅の乗り物で飲んだり食べたりするのは、酒も食べ物も特別なものではない。駅の売店で売られている大手メーカーの酒に、ごくフツーのつまみ。だが、それがいつもよりことさら旨く感じられて、そして心地よく酔いが回る。
そもそも乗り物はアルコールが回りやすいといわれ、たしかにそれを実感するが、実際にそれ以上に、「旅に出る」という高揚感が大きく影響しているんじゃないだろうか。これから始まる旅の前祝いとでもいおうか、それが旅の途中の乗り物での酒である。
ということで、私のこれまでの経験を通して、乗り物での飲食の楽しさを、陸と空と海、個別に詳しく考察してみよう。

 

[鉄道]まずは駅弁でビールを

旅に出るときの乗り物の代表格といえば、なんといっても鉄道である。
かつては、機関車の牽引する客車で、駅売りの駅弁とお茶、そしてビールもしきは日本酒ていうのどかで風情のある飲食スタイルが主流であった。
やがて長距離の列車移動は、特急の電車が取って代わり、食堂車やビュッフェが登場、旅の特別感を演出して人気を集め、これは新幹線時代の初期まで続く。
この食堂車~ビュッフェ文化の最盛期は、私は未成年で飲酒の経験はないが、食事だけでもかなり高揚した記憶があり、それに飲酒がプラスされたらさらに気分が上がったに違いない。この時代、生まれて初めて食べたのが「コンビネーション・サラダ」というやつで、今考えるとただの野菜サラダなのだが、当時なんだかえらくハイソな人間になったような気がしたものだ。
さて、現在、長距離列車はスピードアップした新幹線の時代となり、食堂車やビュッフェは姿を消し、なんとワゴン販売すら廃止の動きがある。
しかし、スピードアップした新幹線の中でも飲んだり食べたりは楽しい。というよりも、乗りごこちが快適な新幹線は、ゆっくり酒が飲める理想の密閉空間といっていい。特に、東海道新幹線の「のぞみ」の新横浜~名古屋間は、停車駅もなく長時間にわたって落ち着いて飲食できる。
東京から乗った場合、東京駅で当面のアルコール類とつまみや弁当を買い、めざす列車に乗り込んで着席すると、まずはビールを開ける。夏ならロング缶、冬ならショート。
いよいよ出発というこの瞬間の一杯がたまらない。ただし、平日の午前中だと、まわりはこれから仕事へ向かうビジネスマンだらけで、ブシュッという音をたてるのがちとばかりはばかられるのだが……。
このビールが終わると、次は缶チューハイ、またはハイボール缶に進むことが多い。それらも終わると、ワゴン販売を待って、またビールに戻るか、あるいはチューハイやハイボールを追加するか、はたまた日本酒に行くかは、そのときの気分次第だ。
私はアルコール類は着席するなりすぐに飲み始めるが、弁当やつまみは新横浜を過ぎて、人の乗り降りにともなうザワザワがなくなってから開けることにしている。
好きな駅弁は、まずは崎陽軒の「シウマイ弁当」。この名作駅弁は、バラエティーに富んだおかずはもちろん、ご飯にいたるまで格好の酒のつまみである。
それから最近お気に入りなのが「品川貝づくし」。ハマグリ、アサリ、シジミ、ホタテ、イタヤガイの貝柱など貝類がご飯の上にびっしり敷き詰められていて、これはもう酒の肴以外の何物でもない。それらの貝をチビチビとつまみながら日本酒などやると、広島ぐらいまでもって、5合ぐらい飲めるんじゃないだろうか。京都で降りることがほとんどなのでためしたことはないけれど。
ちなみに、京都へ行くときの飲酒は名古屋までと決めている。京都で降りるときにヘロヘロしてたらあまりにも格好悪いから。
最近、新幹線のホームの売店や車内のワゴン販売で、近頃はやりの9パーセントのチューハイが売られている。これを知った時はこおどりした。「こいつをチビチビとやれば酒が切れてワゴンのやってくるのをイライラ待つこともなくなるんじゃないか」と……。しかし、何度か買ってためすうちに、「待てよ」となった。というのは、名古屋までに飲み終えて、以降、京都まで休んでもフラフラとしてしまうのである。これは思った以上に酔いが回るようだ。ということで、近頃は9パーセントは控えている。
ところで、新幹線では、私は通常であれば3列席の通路側のC席をとるようにしている。なんといってもトイレに立ちやすいし、ワゴンのサービスを受けやすい。そして、たいてい隣のB席に人が座ることはない。ただし、混雑の時期でB席まで埋まるようなときは、2列席の通路側D席を選ぶ。
また、ごく稀にであるが、C席に座っていて、A席に人がやってこないことがある。そんな場合は、B席に移動する。なぜなら、B席はA席やC席に比べてやや座席の幅が広いから。これは本当なので、お疑いの方は今度確かめていただきたい。

 

[飛行機]懐かしのブラディメアリ

かつて飛行機の機内での飲食は、特急列車や新幹線の食堂車以上のハレの場であった。なんたって飛行機は滅多に乗ることのできない乗り物であり、機内食は憧れの夢の食事であったから。
国際線となるとそれはまさに天国に一番近い場所での飲食で、機体とともに心もはるか上空へと舞い上がるのであった。
私が生まれて初めて国際線の機内で飲食をしたのは、1980年代、20代の前半であった。
当時の国際線のドリンクのサービスは、今よりもたくさんの種類のアルコールが並んでいたように記憶している。当時からアルコールに意地汚かった私は、居並ぶドリンクをつぶさに見るや、「ブラディメアリ」なんてカクテルを作ってもらって悦に入っていた。そして、それはとてもよく回って非日常な気分を一層盛り上げてくれた。
また、今となっては信じられないことだが、以前は液体の持ち込みが禁止されておらず、機内に酒類を持ち込み放題であった。私はポケットに度数の高いウオッカや中国酒をいつも入れていて、ワゴンでもらったビールに垂らして飲んだりしていた。で、これがまた一層よく回るのである(そりゃそうだ)。
現在は国際線もアルコールのサービスが縮小傾向のようで、ビールにワイン、ウイスキーぐらいしか置いていないようだ(ビジネスクラスより上は知らんけど)。そして、かつてあんなに飛行機内での飲食に執着していた私も、それなにありがたがることもなく、ワインでも飲みながら機内食も気が向いたものだけちょこっとつまむ、といった具合である。なんたって、着いた先での飲食の方が楽しみだから。
まあ、それだけ飛行機の旅が特別なものではなくなったということか。昨今の国内線にいたっては、搭乗時間が短く、有料ということもあり、ついぞアルコール類を飲んだことがない。サービスのお茶かスープでじゅうぶん。
空の旅での飲酒が楽しみだったのははるかに昔のこと。それにしても美味しかったなあ、あの「ブラディメアリ」……(遠い目)。

 

[船]ゆったりくつろぐフェリー酒

船といっても、公園のボートから、豪華客船にいたるまでいろいろあるが、旅で乗るとなるとそれなりの大きさのものになるだろう。だがこれまで、船旅の機会はそれほど多くはなく、船内での飲酒となると数える程の体験しかない。
初めて長く船に乗って飲酒をしたのは、学生時代に東京から徳島へ向かうフェリーでだったろうか。昔すぎて、何をどれだけ飲んだのか、ほとんど憶えていない。
次は、30歳ごろに小笠原へ行った時の行き帰りの船。東京から小笠原へは26時間!かかったのだが、その大半は寝ていた。というのは、当時イラストレーターをしていて、ひとたび小笠原へ渡ると帰りの船が出るまでかなりの日数を要するということで、出発まで徹夜をして仕事を描きだめしたのである。だもんで、船の上で泥のように眠ったのでほとんど飲酒していない。帰りは帰りで、楽園から東京へ戻るのが嫌で、ふて寝をしていたように記憶している。
船ではかように乏しい経験しかなかったのだが、つい最近、実に思い出深い船での飲酒を味わった。
二〇一九年に「深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと」という本を出して、一躍時の人となった大阪在住のライターであるスズキナオさんとは、以前から東京や関西でしばしば飲むのだが、そのナオさんが、あるときから神戸~高松のフェリーが素晴らしいと、幾度となく熱く語るようになった。
どこがどう素晴らしいのか、どんなに聞いてもこちらの心にさっぱり届いてこなかったのだが、先日、高松へ行く用事ができたので、せっかくだからと、大阪からナオさんを呼んで高松から神戸までのフェリーの旅の案内をしてもらった。

その日は雨であいにくの天候だったが、船は予定通り出港するということで、われわれは市内からフェリー埠頭へと移動、そしていざ乗船。ジャンボフェリーというその船は、いかにもフェリー然として大きくゆったりとしていた。
客席はごくフツーの船の座席といった雰囲気のものから、雑魚寝可能なフラットなスペースまで様々なタイプがあるのだが、ひときわ目をひくフロアがあった。それは、昭和の中期頃のクラブやスナックを思わせる、ゆったりとしてレトロなたたずまいのソファーの客席であった。テーブルもあって、向かい合って飲食しながら船旅を楽しむことができる。それを見てすっかり嬉しくなって、さっそく売店でアルコール類とつまみを買い込んで、その一角に陣取った。
ほどなく出航、船はすべるようにしずしずと港を離れた。高松から神戸へは約4時間半の船旅。このスピード時代に浮世離れしたゆっくりさだ。
乾杯の後、よもやま話をしながら飲んでいると、くつろいだ気分になり実に楽しい。第一に、乗り物とは思えぬゆったりした席がよい。そして、これまた乗り物に乗っているとは思えぬ移動感の無さ。船のスピードは港を出た時と全く変わらず、海は静かで揺れることもない。窓の外の瀬戸内海の景色はゆっくりと変わって行くのだが、注視していないとそれもよくわからない。まるでどこかの店内で飲んでいるかのようだ。
途中、船内の軽食スタンドでうどんを食べたり、デッキに出て景色を眺めたり、そしてまた席に戻って飲んだりと、おそろしくスローな時間が流れている。そんな中、だんだんと雨が上がって夕焼けが見えるようになってきた。そして、ゆっくりと日が暮れ始める。
そんな時間帯に淡路島と本州をつなぐ明石海峡大橋の下を通過。再びデッキに出てその壮大な光景を眺める。そんなこんなしながらも船はペースを乱すことなく航行、神戸に着いた時にはすっかり暗くなっていた。
いったい何だったのだろう、この優雅な時間は。素敵すぎるではないか。そして思った、「これはいくら説明してもわかってはもらえないな、自分がそうだったように」。そう、こればかりは実際に体験してもらうしかないのだ。

といった具合に、陸と空と海の旅の飲酒を考察してみたが、ほかにもまだまだ乗り物での飲酒は楽しめそうである。
今やってみたいのは、「こだま」での新幹線飲みだ。各駅に止まって、時に「のぞみ」の通過待ちもするスローな新幹線で、時間を忘れて思い切りのんびり飲み食いしてみたい。と思いつつすでに何年も経っている。そんな悠長な時間は現実にはなかなかとれないのだ。
しゃあない、老後の楽しみにとっておくか……え、もう老後だって?