「かたちのレビュー(抜書:サントリーオールド、団地、蚊取り線香) - 鷲田清一」生きながらえる術 から

 

「かたちのレビュー(抜書:サントリーオールド、団地、蚊取り線香) - 鷲田清一」生きながらえる術 から

サントリーオールド(ダルマ)

憧れのボトルだった。高度成長期と呼ばれた時代に「青春」を生きた男性諸氏にとって、それは「上昇」のしるしだった。
出世魚」ということばがある。ブリやスズキは、成長とともに名を変える。ブリなら、ワカシ、ハマチ、メジロ、ブリ。これはおもに関西の言い方で、地方地方で呼び名は異なる。それになぞらえて、ウィスキーの銘柄にも格というのがあった。就職するまではレッド、ヒラのうちはホワイト、係長になれば角瓶、課長になればオールド、部長になればスペシャリザーブ、役員になってようやくローヤルというふうに。
角瓶に手が届くようになると、ちょっと一人前になったような気分がして、角瓶は「カク」、オールドは「ダルマ」と呼んだ。この格はゆるがせにできないものだった。いまや時代は変わり、学生が酒場でいきなりオールドを注文したりする。時代を引きずったままなのだろう、それを目にすると、抑えていてもつい血が頭に上る。
ダルマの漆黒はいかにも「高級」を感じさせた。そういえばサントリー創業時の社名は「寿屋」。それにちなんでか、カクは亀甲切子、ダルマは黒と朱と、なにやら和のめでたい空気も漂う。のちに日本のウィスキーの代名詞となるこの「サントリーオールド」、昭和一五年に「黒丸」という名で完成していたが、戦時の奢侈品[しやしひん]禁止の空気を慮[おもんばか]って発売をひかえていたのだという。昭和二五年、満を持しての発売だったのだろう。
じつはこのダルマ、片手では持ちにくい。ひとに両手を添えて注いでもらえるような場に身を置いて飲む、そんな印象がある。カクは片手で持つのが様になる。酒は我を忘れるために飲むのではなく、我に返るためにそこにあると思っているわたしは、だからいまも独りで飲むのはカクだ。家族団欒のときも、職場の帰りに連れだって行く料理屋でも、カクは飲まない。
ひとは夢を見るために酒を飲むのではなく、「現実」や「世間」という名の深い夢から醒めるために飲む。

 

団地

単身赴任で一〇年ほど、大阪府千里ニュータウンに住んだことがある。築四〇年ほどの典型的な公団住宅型の建物だった。二回りほど若い友人たちが遊びに来たとき、眼を輝かせて仕様の細部まで見て回るので、逆にこちらが驚いた。幼少のときの「昭和」の空気を懐かしく感じたのか、それともむきだしの配管、タイルやデコラ張りの感触、がたついた襖や開き戸、そして平均身長がいまより低い時代の、ちょっと縮んだ空間を新鮮に感じたのか。
創設時は、しがらみのない機能的な暮らしに憧れる若い世帯の希望の空間だった。それがやがて、鉄の扉で封印された核家族の孤立のシンボルのようにいわれだした。そしていま、急激な高齢化とともに過疎地のようになりつつある。が、そこに身を置くと、都心の高密度でセキュリティ完備のマンション生活と比べ、コミュニティは団地の
ほうが生きているようにも感じる。
それを察知してか、昭和世代の商店街ノスタルジーとはちょっと違って、若い人たちの住まいの関心が団地のほうへ逆流しつつある。都心からの手頃な距離、同地域の新築マンションの三分の一以下の無理ない価格、たっぷり空きのある棟と棟の間、なにより豊かな緑。ここをリフォームして使おうというのだ。間取りやインテリアをそっくり変える。二戸の壁を払って一体化する。天井をぶち抜いて二層の吹き抜け空間をもつ住まいに改造する。あるいは、シェアハウス、仕事場やアトリエ、共同保育施設への転用。
団地の間取りが一様だったのは、いつでも転売できる「商品」として見られていたからだろう。「標準家族」に合わせてである。でもいまはほぼ三分の一の世帯が単身居住の時代。家族のかたちも多様になっている。職住一致の空間が子供の成長にどれだけ重要かが再認識されつつある。隔離ではなく、隣人が暮らす気配がうっすら感じられるコモンな空間への憧れもある。すべての世代が混在する空間に変えること、団地の再生はきっとそこから始まる。

 

蚊取り線香

風鈴やかき氷、花火や浴衣とならんで、もう一つ、忘れてはならない夏の風物詩がある。KINCHO蚊取り線香だ。そう、「金鳥の夏、日本の夏」。夏しか売れないのに社員を一年間食わせるためにはさぞや工夫が要ったかとおもうが、歴史をひもとくとまさに創意工夫の連続であった。
まずは発想の転換。それまで虫を追い出すといえば、ヨモギの葉やカヤの木などを火にくべて部屋をいぶす「蚊遣り火」しかなかった。除虫菊の効用を知り、それでいぶすが煙が立ちこめ、不快なことこの上なし。そこで、除虫菊の粉末を線香に練り込むというやり方に気づき、世界初の棒状の蚊取り線香を発売したのが明治二三年。
けれどもたった四〇分で燃え切るので、熟睡できない。で、渦巻き状にすれば七時間もつようになった。この画期的なアイディア、創業者・上山英一郎の奥方が思いついたのだという。
「できるだけ遅く」燃やすというのは、料理も郵便も列車の速度もすべて「よりスピーディーに」という近代産業のポリシーの、逆を行かねばならないということだ。そのためには、これまた世間が何でも「より軽く」をモットーにしているときに「より重く」をめざさないといけなかった。燃焼の触媒になる空気のすきまを減らすためである。明治三五年、ついにあの、太い渦巻き状の蚊取り線香を発売。着想から七年経っていた。
発想の転換というのは「偏屈」につながる。ぜったい他所とは違うことをやる。最初は手で巻いていたので右巻き。機械で切るようになると、他社がみな右巻きだったので一転、左巻きにした。
「偏屈」は「一途」にもつながる。トラックに飾りをつけた街頭宣伝隊の一行も話題をさらい、今も、あの度肝を抜かれるTVコマーシャルにしっかり引き継がれている。箱のデザインも明治の「蚊取線香」誕生以来、基本的なところは変えていない。そんなKINCHOの「偏屈」と「一途」がわたしは好きだ。煙の出ない電子式の蚊取り器も出ているが、煙のゆらめかない蚊取り器では夏は演出できない。