「中年として生まれたわけじゃない - 松尾スズキ」人生の謎について から

 

「中年として生まれたわけじゃない - 松尾スズキ」人生の謎について から

子供の頃、武田鉄矢の歌で「働いて、働いて休みたいとか遊びたいとか……そんなときゃあ、死ね!」という唄があって、それを聴いたとき、大人ってそんな奴隷みたいなものなのか、と、背筋に冷たい戦慄が走ったものだったが、「死ね」といわれなくても、この二十年近く、ほぼ、休みもとらず遊びもせず働き続けている自分がいて、去年辺りから「うんざりだな!」という言葉が胃の奥からせり上がって来ており、喉元で、パラシュート部隊のように落下の待機しているのを感じている。
そりゃあそうだ、と思う。もう、私は五十七歳。あれよあれよと六十歳になる歳なのだ。知り合いのテレビ局の人達は次々定年を迎えている。そんな中、私は、いまだ二年先まで仕事が決まっているのだ。なのに、インタビューなどされると、「松尾さん、今後はどういった仕事をやっていきたいですか?」などと、平気で聞かれる。思わず胸ぐらをつかみたくなる。
「君のお父さんは、もう、定年とかしている歳じゃないのかな?」
しかし、サービス精神の塊の私は、「そうですねえ、パリで見たキャバレーのショーみたいなものを日本的解釈で作ってみたいですねえ」などと、思いつきを答え、気がつけば、その話はプロジェクト化され、実行に向けてじわじわと動き始めたりするのである。
企画を思いついたときは、楽しい。しかし、実行するのがどんどん億劫になってきている。そりゃあそうだ、と思う。もう、私は五十七歳。あれよあれよと六十歳になる歳なのだ。知り合いのテレビ局の人達は次々定年を迎えている。……って、話がループしている。きっと歳だからだ。常々思う、企画を思いつき、それをただ話すだけのファンタジックな仕事ってないかな、と。
この間、松重豊さんと、とある鎌倉の豪邸でドラマの仕事をした。松重さんはわけあって猫の格好をしていた。一シリーズを短期間で撮ってしまおうというドラマで、撮影のスケジュールは朝から夕方までビッシリ。撮影の合間に、椅子に腰掛け、松重さんがポツリと漏らす。
「夕方になると、もう、集中力が切れて、ダメですねえ…」
私と松重さんは、同い年である。
「もっと若い頃にいっぱい仕事したかったですねえ」
そう私が言うと、松重さんも苦笑いを浮かべる。
「あんなに体力も時間もいっぱいあったのに、バイトばっかりしてましたね」
小劇場出身の俳優には、遅咲きが多い。松重さんも、小日向文世さんも、吉田鋼太郎さんも、六角精児さんも、故大杉漣さんも。皆が認識するのは、中年を過ぎた姿だ。うちの阿部サダヲだって、大人計画のファンならともかく、ほとんどの人が思い浮かべるのは、中年になってクイックルワイパーを嬉々として使っているニコヤカなおっさんなのではなかろうか。
たまに二十年くらい前の舞台のビデオを見直すのだが、そこでは気力も体力も充実している自分が、狂気を撒き散らしながら、アドリブでバンバン爆笑をとっていて、変な感情だが「うらやましいな!」と思う。阿部や宮藤もみんな若く、一つ一つのセリフや動きにエネルギーが漲[みなぎ]っていて、舞台全体のドライブ感がすごい。なのに、みな、舞台以外の仕事がすがすがしいほどない。だから、ほとんどの人が我々の「この感じ」を知らない。
それを少し寂しく思う。
みな、舞台をやっていないときは、バイトやパチンコや飲み会に明け暮れていた。たまにドラマの仕事が来ると、緊張してセリフをとちったりする。「あんなに暇だったのに、五十過ぎて馬車馬みたいに働いてんだもんなあ」
松重さんは、また苦笑いを浮かべつつ、出番が来たので、猫の被り物をセットしてカメラの前に立つ。五十七歳で猫。わけがわからないが、なんとなくかっこいい。
五十を越えてから、セリフがやたらと多い役をいただく。今も、新しい舞台でセリフと格闘している。出番が多いのはうれしいことだが、セリフを覚えるのがどんどん苦痛になっている。このセリフ、若い頃ドラマの現場で三行のセリフで緊張していた自分にラッピングしてプレゼントしたい。あんなに仕事がしたい、と、狂おしく思っていた願いは二十年後に叶えられ、今、自分を青息吐息にさせている。「うんざりだな!」という言葉をゴクンと呑みながら、今日も稽古場に行く。叶った願いに首を絞められる苦さ。それが、小劇場出身で今バリバリ仕事をしている人間が背中にまとう、うっすらとした哀愁なのだろうか。その後ろ姿はこう語っている。
信じられるかい?我々は中年の姿で生まれてきたわけじゃないんですよ。

人生って、なんなんだ。