「大阪のおかず - 田辺聖子」日本の名随筆12味から

「大阪のおかず - 田辺聖子」日本の名随筆12味から

私の育った大阪の福島という町は、梅田駅から西へいった、小商売の多い下町である。
きちんとした商ン人[あきんど]の町で、活気があった。正月と夏の天神祭りには、町内みな仕事を休んで、どの家にも水色の幔幕[まんまく]がかけ渡される。夏祭りは更に「ご神燈」の提灯が軒なみに並ぶ。
年に一度の花見(大阪造幣廠の「通り抜け」である)は町内そろいの手拭いを染めてくり出し、夏に一度おこなわれる大掃除は一戸のこらず畳を上げて、あっちでもバタバタ、こっちでもバタバタし、やがて水色の夕空に蝙蝠[こうもり]が飛び交うころには、町内に石炭の匂いがたちこめて「大掃除済」の紙が軒先に貼られてゆく。-そういう、旧幕時代の町人のくらしのような、つつましやかな秩序かあった。
いまはこういう町家も大阪にはまれになったが、食べられている大阪の「おばんざい」(お惣菜のこと)は、いまもむかしも変らぬのではあるまいか。
大阪のたべもので特徴あるもののように人のいう、クジラのコロ-私はこれが好きで、市場でみつけると買って帰る。大阪はクジラを食べるのに熱心な町で、皮下脂肪をよく乾燥させてそれをコロといい、関東[かんと]だき(東京のおでんである)の中にも、水菜のハリハリ鍋にも使う。
これは叩けばカンカンと音がするほど乾き、キツネ色のようなきれいなものでないといけない。水に漬けて二、三日おき、柔かくする。近頃はほとびかせてすぐ使えるようにしたのを売っているが、やはり乾いたのを家で水漬けした方が美味しい。食べごろに切っておでんに入れて煮こんだり、また、水菜(上方[かみがた]で作られる、しんなりと柔い、それでいてシャッキリした歯ごたえのあるものでないといけない)、薄揚げ(油揚の薄いもの。大阪では薄揚げ、厚揚げという)を刻んで入れることもあるが、あらかじめ、昆布だしと砂糖、醤油でよく煮ふくめたコロと共に、水菜を食べる。このとき水菜はサッと煮てすぐ引きあげないと、シャッキリ、ハリハリとした美味しさが味わえない。「クタクタに煮たらあかんのや、そやさかい、水菜のハリハリ鍋、いいますのや」と祖母は私たちに教えたりした。

船場汁[せんばじる]は、魚のあらと野菜をたくのであるが、私たちが冬のたのしみによく食べるのはけんちん汁である。蒟蒻[こんにやく]、人参、大根、里芋、薄揚げを刻んで、だしとうすくち醤油で煮たものに豆腐をつぶして入れてさっと煮立てる。子供にも食べやすく、冬の夜は体が暖まる。かす汁は塩ザケやブリの端っこを入れるが、私は子供のころから、酒飲み嗜好なのか、かす汁の酒の匂いが好きであった。
魚を使う鍋もので、「ちり」を食べたのは戦後の気がする。それとも子供は酢がきらいゆえ、むかしは食べなかったのか、「沖すき」風に、魚の鍋はみな、うすくち醤油と砂糖の味つけをするのであった。
かやく御飯に白味噌汁、というのも秋・冬の楽しみであろう。暑い夏がすぎ、肌涼しくなると、たきたての御飯に醤油の匂いが立つのが何ともなつかしい。これは蒟蒻、薄揚げ、人参、ささがきごぼう、小芋などを刻んで、昆布を敷き、うすくち醤油をさした米と共にたきこむ。これにまったりした白味噌のおつゆ、黄色いおこうこをぽりぽりと食べれば、最高の秋のおひるごはんである。
ウナギを焼き、頭だけ落したのを半助[はんすけ]と呼んで売っているが、これと焼豆腐をたき合せたのも、りっぱなおかずになる。焼豆腐をたき合せるのはこのほかに、キスの焼いたのを串にさして売っている、あれと取り合せたのもおいしい。
大阪でメエというのがある(ひじきとは少しちがう海藻である)。黒いメエを薄揚げとたいて、一日十五日に大阪の商家では食べた。「芽が出るように」という縁起ものであった。「十八メエ」といって十八日に食べた、という人もある。取り合わせといえば、私の祖母がよくたいてくれて、子供たちも好きなものに、さつま芋と葱のたき合せがあった。だしとうすくち醤油だけでよい味になるが、総体に大阪の平生のおかずは、残り物余り物を巧く使っているところに特徴がある。
七月二十五日、大阪の天神祭りは、また夏のご馳走のハイライトでもあった。
ハモの照り焼き、ハモの湯引き(ハモを湯がいてまっ白になったのを梅肉酢でたべる)、そうめん、ばらずし、タコときゅうりのお酢のもの、間引き菜と白天のたき合せ、……あるいはまた、クジラの皮をまっ白にさらしたのを酢味噌で食べるオバケ。大阪の夏祭りは天神サンのほかいっぱいあり、地蔵盆でおしまいになるまでつづく。サバの味噌煮がどの家でも食べられるころは、また肌寒い風が吹きはじめるのである。