「「セックスワークにも給付金を」訴訟第一審判決 - 甲南大学教授櫻井智章」法学教室11月号



 

 

「「セックスワークにも給付金を」訴訟第一審判決 - 甲南大学教授櫻井智章」法学教室11月号

東京地裁令和4年6月30日判決

■論点
持続化給付金等の支給対象から性風俗事業者を除外することは憲法14条1項に違反するか。
〔参照条文〕憲14条1項、持続化給付金給付規程(中小法人向け)8条1項3号、家賃支援給付金給付規程(中小法人向け)9条1項3号
【事件の概要】
Xが経営しているデリバリーヘルスは「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」(風営法)では「性風俗関連特殊営業」と位置づけられている(2条5項・7項1号)。新型コロナウイルス感染症拡大に伴い大きな影響を受けている事業者に対して事業の継続を支えるために持続化給付金や家賃支援給付金などの支援制度が設けられたが、性風俗関連特殊営業事業者は、公共法人や政治団体・宗教団体などと並んで、両給付金の支給対象から除外されていた。Xは性風俗関連特殊営業事業者を支給対象から除外する両給付金給付規程の定め(不給付規定)は、憲法14条1項に違反する等と主張して、給付金の支払や国家賠償などを求めて提訴した。
【判旨】
〈請求棄却〈確認請求については却下〉〉「本件各給付金のような給付行政は、限られた財源の中で行われるものであるから、給付の対象者をどのように選別して、各対象者にどの程度の給付をすべきか等の給付基準の策定に当たっては、当該給付に係る政策目的の実現に向けた効果的、効率的なものとする必要があり、そのためには、潜在的な対象者の間に存する事実関係上の差異に着目することに加え、るいじの目的を有する他の施策とのすみ分けや均衡についても考慮すべきものである。また、当該給付の実施が他の政策目的の実現を阻害することとならないように、他の施策との整合性についても考慮することが必要である。さらに、給付行政もまた公金の支出である以上、その制度設計に際しては、政治的中立性や正教分離の原則への配慮を要することはもちろん、当該支出について最終的に納税者の理解を得られるものとなるよう一定の配慮をすることも許されるものというべきである。」「このように、給付基準の策定に当たっては様々な政策的・政治的な考察に基づく検討を要するものといえるから、給付基準の策定は当該給付行政の実施主体たる行政庁の合理的な裁量判断に委ねられているものというべきである。」
本件各不給付規定は、「性風俗関連特殊営業は、人間の本来的欲望に根差した享楽性・歓楽性を有する上、その本来的に備える特徴自体において、風営法上も国が許可という形で公的に認知することが相当でないものとされていることに鑑み、本件各給付金の給付対象とすること、すなわち、国庫からの支出により廃業や転業を可及的に防止して国が事業の継続を下支えする対象とすることもまた、大多数の国民が共有する性的道義観念に照らして相当でないとの理由によるものと解される。そして、……給付行政における給付基準の策定に当たっては、他の施策との整合性に加え、当該給付をすることについて大多数の国民の理解を得られるかどうかや給付の費用対効果その他の点について考慮することが必要であることからすると、……本件各不給付規定の目的には、合理的な根拠があるものと認められる。」「本件各不給付規定が性風俗関連特殊営業を行う事業者について他の事業者と区別して本件各給付金の給付対象から除外していることは合理的理由ない差別に当たるとはいえず、憲法14条1項に違反するということはできない。」

【解説】
本件は、グローバルダイニング訴訟とともにコロナ禍の諸政策の不合理性を問うだけでなく、成年年齢引下げに端を発したはずだった「AV新法」とともに性産業への対応のあり方にも問題を提起するものとなっている。
風営法上の「風俗営業」はキャバクラやパチンコ店などのことで、性風俗業は「性風俗関連特殊営業」として区別されている。前者は、野放しにすれば犯罪や非行の温床となりうるが、営業の《健全化》を図れば「憩いと娯楽」を提供するものであるため、許可制を採るとともに各種の規制を設けて業務の適正化を図っている(これが、かつての風俗営業取締法を改めて「業務の適正化」を前面に掲げた現行風営法の趣旨である)。他方で後者、「性を売り物にする」もので《健全化》という考え方にはなじまず(「本質的に不健全」)、許可という形で「公認」することは不適当なので、実態把握のために届出制を採用したうえで厳格な規制の対象としている。許可制と届出制では一般論としては事前規制である許可制の方が「強力な制限」といえるが、規制システムを全体として見ると、大差がないこともあれば、届出制の方がむしろ厳しいこともありうる。性風俗関連特殊営業が届出制なのは、より緩やかな規制にとどめるためではなく、許可制になじまないと考えられたからである。
本判決が重視しているのは、第1に、問題はあくまでも「給付」の拒否だという点である。特定の事業を禁止するわけではなく、また、適法な事業だからといって当然に公的資金による支援(給付)を受けられるわけではない。そのうえで、第2に、「公認」できない事業という不適当上の位置づけとの整合性である。
合憲側が「誰にどのように」配分するかについては広い裁量が認められると主張するのに対して、違憲側がスティグマ(劣等の烙印)を押しつけることを問題とする構図は、事案は全く異なるが、非嫡出子の相続分をめぐる対立を再演している。裁判所が不確かな「国民の意識(理解)」を拠り所とした点まで同じである。あれから約10年、「憲法ドグマーティクなき憲法裁判は神学なき宗教」というウド・シュタイナー(元ドイツ連邦憲法裁判所裁判官)の言葉が想起される。