「焼きトリ - 内館牧子」ぷくぷくお肉 から

 

「焼きトリ - 内館牧子」ぷくぷくお肉 から

私は世の中でいちばん美しい男は、五月の川風に吹かれながら歩く力士だと思っている。
これは美しい。
とてもじゃないが、この世のものとは思えない。私はいつでも、
「力士は彼岸の美男」
と言っているが、まさにそのとおりだと実感する。
たっぷりと大銀杏に結いあげた力士が、隅田川の川風に浴衣をひるがえし、草履をシャッシャッと引きずって歩く姿は、幾度見ても惚れ惚れする。少し離れて付き人が風呂敷包みを持ち、下駄をカラコロ鳴らして従う図がまたいい。
私は大相撲とプロレスとボクシングが好きなのだが、特にプロレスのことは二年ほど前までは、ほとんど口にしなかった。というのも、大相撲とプロレスの両方が好きと言うと、必ず、
「男がハダカで組んずほぐれつするのが趣味ですか」
とナンセンスな答えが返され、変な笑いを浮かべられたりして、不愉快なのである。そのたび私は心の中で、
「うっせえやい。くやしかったらハダカになってみろってんだいッ。アルミシャッターみてえな胸しやがって、このスットコドッコイ」
と叫ぶのだが、むろん、上品な私は声にも顔にも出さず、こらえる。
プロレスファンであることを、あまり口にしなかったもうひとつの理由は、力道山の死後、私は十数年間プロレスを観なかったのである。ショックが大きくて、ファンをやめてしまった。一方の大相撲は「冬の時代」と呼ばれた不人気のころも、本当に欠かさずに愛し続け、観続けた。真のファンというものは、いかなる状況にあろうと愛し続けるのが筋である。そういう正しい筋のプロレスファンがたくさんいるというのに、十数年もブランクのあった私が大きい顔はできない。私は上品である上に、謙虚なのだ。
しかし最近、プロレスファンであることを隠さなくなったのは、これからはいかなる状況にあって愛し続けようと決めたからである。やっと贖罪した気になっている。

一方、いっときたりともブランクのなかった大相撲だが、その魅力がどこにあるかといえば、ひとつには、
「番付一枚違えば、虫ケラ同然」
と言われる「格差」である。何から何まで平等、公平にしようとする世の中に逆らっているようだが、相撲界は昔からの姿勢をくずさない。
そしてそれは、今も、
「くやしかったら強くなれ」
という、実に明快な論で鮮やかに処理されてしまう。
力士たちの番付における「格差」はすさまじいばかりで、五月の川風にカッコよく吹かれたくても、十両以下は大銀杏という髷を結うことを許されていない。下位の力士は「シャッシャッ」と草履を引きずりたくても、下駄しかはけない。「シャッシャッ」と「カラコロ」の音の差は、歴然と地位の差なのである。
むろん、土俵でも十両以下は塩もまけないし、化粧廻しもつけられない。そればかりか、十両以上の力士はあでやかな色の繻子[しゆす]の廻しをつけて、そこにピンと張ったさがりを飾っている。このさがりは廻しの共布をコヨリ状にし、ノリでかためているので、力士が蹲踞[そんきよ]の姿勢を取るとピンと美しく張る。
ところが、十両以下の廻しは黒い木綿であり、さがりはノリでかためていない。そして色も黄色であったり、緑であったりの適当ぶり。加えて、十両以上のさがりは十七本から二十一本くらいまでの奇数本がついているが、十両以下は半分程度。蹲踞の姿勢を取るとダラリと下がり、茹ですぎたウドンのようだから悲しい。
また、国技館内の照明にも差がついている。十両以下の力士の取組中は館内の照明も全部は点灯していない。そのため、下位の力士は薄暗い中で相撲を取っている。
かつて、私の贔屓力士が十両にあがったとき大喜びしていると、女友達に言われたことがある。
「相撲ってよく知らないけど、横綱がいちばん偉いんでしょ。たかが十両でなにがうれしいの」
知らない人はそう思うだろうが、あらゆる格差を見ると、十両がいかに偉いかがよくわかるはずだ。新弟子は横綱をめざすより、まず十両にあがりたいと夢見る。新弟子は番付にさえ載せてもらえない「前相撲」という位置からスタートするのだから、十両までの道の険しさはイヤというほどわかる。
「前相撲-序ノ口-序二段-三段目-幕下-十両-前頭-小結-関脇-大関横綱
この厳然たるヒエラルキーの中、千人近い力士がしのぎを削る。後輩が「シャッシャッ」の地位になっても、弱い先輩はいつまでも「カラコロ」である。それがみじめなら力士をやめるか、強くなるしかない。
国技館に行かなくても、テレビでこの格差がハッキリとわかることがある。幕下上位力士対十両力士の取組を見れば歴然である。まず、画面に出てくる四股名[しこな]の書体が違う。十両力士は相撲字の書体だが、幕下力士は単なるゴチック体の活字。また、このときばかりは対戦相手の十両に敬意を表し、幕下も大銀杏を結っているが、廻しは木綿で、さがりはウドンである。同じ土俵上で、十両との差を見せつけられるはずだ。それも、幕下筆頭と十両十三枚目では、番付は一枚しか違わない。それでも厳然と差をつけられる。

こうした格差は力士のみならず、行司にもある。烏帽子[えぼし]をつけた行司の装束は、鎌倉時代の正装だと言われているが、この装束も「十両格行司」とそれ以下では大きく違う。
十両格行司になって初めて、土俵上で足袋をはくことが許され、それ以下は裸足である。また袴も十両以下は膝下でしぼっており、いわばニッカボッカのような形である。その他にも軍配についている房の色もしっかりと決められており、幕下格以下は青か黒。立行司木村庄之助の紫、式守伊之助の紫白に至るまで、地位によって許される色しか使えない。
三役格行司になると、白足袋に草履をはくことが許され、二人しかいない立行司になると、短刀を腰に差している。これは差し違えたら割腹するという覚悟を示したものだが、行司たちの多くが言う。
十両格になって、足袋が許されたときがいちばんうれしかった」
相撲界において、横綱立行司はほとんど「神」であり、「虫ケラ」として入門した新弟子は、なんとか十両にあがって「人間」になりたいと願う。極論すれば、人権は十両以上から認められるのだ。
相撲甚句に、
土俵の砂つけて男を磨く
という詞がある。この場合の「土俵の砂」は本土俵や稽古土俵における激しさ、つらさばかりではなく、日常生活の端々にまで及ぶ格差に耐え、のしあがることをも示していると私は解釈している。平等と公平が当然のこととなっている現在にあって、相撲界での暮らしは少年たちの男を磨くものなのだろうと思う。
一九九九年の初場所後、千代大海大関に昇進したが、彼の人気の大きな理由に「ソリこみを入れたツッパリ少年が大関になった」ということへの快哉[かいさい]がある。かつて、彼は名うての不良少年で、手下を従えて相当悪いこともやったという。が、その千代大海も前相撲から取り、相撲界の格差に耐えてきたのである。
これに関し、月刊誌『大相撲』三月号で、師匠の九重親方が興味深いことを語っている。
「頭を鶏のトサカにして他人を服従させていた者が、完全服従の相撲界に入ってきた。そして人の言うことを素直に聞き努力して、今の地位を築いたことに、マスコミは目を向けてほしいね。ただ単に昔のツッパリの話ばかりを取り上げるんじゃなくてね」
私は世の中でいちばんおいしい焼きトリは、相撲を観ながら食べるそれだと思っている。
これはおいしい。
とてもじゃないが、この世のものとは思えない。格差の中でがんばる少年力士や少年行司の姿には、つい母の気持ちになり、塩味まで効いてしまう。