「待ち遠しい春 - 三木卓」エッセイ'97待ち遠しい春 から

 

「待ち遠しい春 - 三木卓」エッセイ'97待ち遠しい春 から

今日、鎌倉の仕事場近くのマキの垣根が、黄緑に染まっているのに気づいた。春の新芽が出ているのか。胸を躍らせたが、マキのことはそこまでは知らない。もしかすると木が衰えてそうなっているのかもしれない。
しかしその葉は、いかにも若やいだふうである、目を近づけると古い褐色の枝から若枝が伸びていて、そこからもえだしている黄緑はやはり若葉だ、とわかった。
歩いてあちこちのマキの垣根を見る。日当たりの悪い側は暗い緑で、日当たりのいい側が明るい黄緑をまじえている。まちがいない。二月もなかばすぎの、寒さの盛りともいうべき時期、マキはもうどんどん新しい葉を伸ばしているのだ。
今年は十年ぶり、という寒さである。次から次と猛烈な寒気団が南下してきて、北海道の行政には、たちまち雪処理の年間予算の殆どを使ってしまったところもあるという。函館かどこかが寒さの新記録を出した、とテレビがいっていた。
鎌倉は住みよいところである。しかしそれでも夜明けには、零度以下になることもあった。そしてわたしは、昼間も雨戸を締め切ったままで仕事をしていることが多くなった。
その方が暖房が利くからでもある。が、理由はそればかりではない。二年ほど前に心筋梗塞に襲われてバイパスの手術をしてから、できるなら外出はさけてじっと巣穴にもぐりこんでいたい、という自分を感じるようになった。エゾヒグマといっしょになって冬眠したい心境が、雨戸を締め切らせていたのかもしれない。
先夜、小さな事件が起こった。小用を足したくなって目覚め、そこへいくまでに椅子に激突したのである。
わたしには、部屋中をまっくらにして眠る癖がある。起きたときすぐにあかりをつければいいのだが、睡眠薬のせいもあってか、面倒だった。まっくらななかをかまわず歩き、予期しないところで鉄パイプの椅子にぶつかった。左の胸を椅子の角にしたたかに打ちつけ、勢いあまって体が前にのめってそこに体重がかかった。数瞬ゴリゴリやり、それから逆に尻餅をついたのだが、胸の衝撃と痛みは相当なものがあった。 
そのとき、水を浴びせられたような恐怖を覚えた。今の痛みは、心臓のすぐ近くである。
心臓には三本の冠状動脈が走っているが、わたしの場合その三本ともに他の血管がバイパスとしてとりつけてある。この衝撃は、心臓に何か危険なことを起こさなかっただろうか。
接合部分が切れでもしたら、そこから出血が起こるだろう。そうなれば、それまでである。心臓に神経を集中して、しばらく倒れたままになっていた。異常があればすぐにあらわれる。
しかし何事も起こらなかったので、わたしはうなりながら小用を足し、うなりながらベッドに仰向けに寝た。打ったところは、もうはっきりしないが、胸から背中の肋骨の方まで痛みが走っている。肋骨を骨折しているかもしれない。前に二段ベッドの上から転落して、肋骨を折ったことがあるが、その時の痛みとは若干ことなるので、大丈夫か。
それからわたしは二時間ほど、まんじりともしないで過ごした。心臓に問題が起きていたら、そのあいだに何か起こるのが、わかるはずだ。
やがて痛みは去って、わたしは眠った。翌日から数日、動くと痛みは出た。だがそれもだんだん遠のき、今日は、ぶっつけたところに痣[あざ]を残すのみで、痛みはもうほとんどない。
ことは大事なく終わったようである。が、その瞬間の恐怖はいまだ、まざまざとある。冬は特に動作が鈍くなる。これから二度とこういうことがなあように、身を守らなければならない。
そんなことのうちに、時はすぎていった。カキやサルスベリは、まだその特徴ある枯枝を晒しているが、段葛[だんかずら]の並木のサクラはもう花の芽をふくらましはじめている。昨日極楽寺をたずねたら、寺は閉まっていた。けれど、江ノ電沿線のどこかで見た白梅が、まぶしく眼の中に残っている。寒さは依然としてきびしいが、日光はすっかりあかるくなった。はやく春よ、来い。今年は切実にそう思う。