(巻三十七)完璧が過ぎて巣箱に鳥寄らず(折原あきの)

7月2日日曜日

(巻三十七)完璧が過ぎて巣箱に鳥寄らず(折原あきの)

晴れ。窓を開けにきた細君が今日は「半夏生の日」だと告げた。新柏までの途中の家の門の脇に半夏生が置かれていたことなど思出話になる。

身の四囲の空気おもたし半夏生(大竹多可恵)

歯痛が続くので鎮痛剤を買いにウエルシア亀有二丁目店よりは親切に対応してくれると細君が薦めるスギ薬局白鳥生協店に出かけた。棚に商品を並べていた女子店員さんに「鎮痛剤を買いたいのですが、相談したい」とお願いすると、店内放送をしてくれて、資格のある店員さんが来てくれた。無愛想ではないが客扱いがやや不器用な、つまり誠実そうな青年が、お薬手帳など確認して処方薬ならロキソニンだが、それと成分が似ているというEVEという市販薬を候補として示してくれた。36錠18回分で500円だから効かなくてもまあいいか、とそれを買った。

夜、西の空の金星、南の十四夜月、真上の織女を細君と眺めた。今年の七夕は新暦の8月22日だそうである。

矢印のとほりに生きて星祭(篠田純子)

願い事-ポックリ御陀仏。

この程度の痛みは我慢できる。我慢せねば。おまけに痛みには効用がある。痛みが神経を占拠しているので余計なことを考えない。無心になれる。臨終の間際に痛みでのたうち回りたくないが、死の恐怖を紛らせてくれる程度の痛みは有りかも。

で、

「痛み - 阿刀田高」日本の名随筆28病 から

を読み返してみた。

虫を聞く痛いところに手を当てて(岩佐四郎)

+61BL+61

「痛み - 阿刀田高」日本の名随筆28病 から

知合いの医師から、人間の感ずる痛みには三種類ある、と聞かされた。

一つは切り疵の痛み、ズキン、ズキンと疼く痛みで、これはだれでも体験があるだろう。

腕を切断した人から、「夜になると、ないはずの腕が痛みたすんだよ。これはせつないぜ」と、教えられたことがあるが、この話は今でも強く印象に残っている。神経のほうは、まだ切断された現実に慣れていないので、今まで通りに腕先の、末端の疼きを脳に伝えるのだろう。病人の狼狽ぶりま実感されて、なにやらブラック・ユーモアの漂う体験談であった。

話をもとに戻して-二番目は、心臓の痛み。心臓には神経がないはずだが、狭心症の発作のときなどには、やはり痛みが走るものらしい。「なんと言うのかな、命が果てるような、息苦しい痛さだ」と、医師は説明してくれたが、なにぶんにも感覚的なことなので、心臓の丈夫な私にはあまりよくわからない。おそらく絶望的な痛さであり、必死にこらえないと、たちまち命を持って行かれてしまうような、そんな苦しさにちがいあるまい。

最後は内臓の感ずる痛み。これも医学的には根拠がはっきりしないのだが、「男ならある程度見当がつく。キンタマを蹴られたときの痛さだ」ということであった。

私の母は死の前日に全身の疼きを訴えた。

「どこが痛いのかわからないんだよ。全身が苦しいような、気持ちわるいような......」

直接の死因は喘息の発作による心臓麻痺だったが、体は極度に衰弱していた。前の日あたりから少しずつ内臓が死に始めていたのだろう。だとすれば、あれがもっとも顕著な内臓の痛みだったのかもしれない。

私には胆嚢炎の持病があった。

話に聞く胆石症と痛みはよく似ているが、あれほど鋭くはない。その代り、肋骨を万力かなにかでメリメリと引き裂かれるような苦しさをともなう。

初めは胆嚢が悪いとは知らなかった。

過労を続けていた頃、真夜中にじわじわと襲ってきて七転八倒の苦しみとなる。朝になるとケロリと収まってしまう。

食あたりかな、と思った。

しかし、年に一度や二度の発作が起こるだけならば、食あたりかもしれないが、だんだん発作の間隔が短くなり、月のうちに三度、四度と起こるようになった。

これはただごとではなあ。

発作の翌日に駈け込んで、精密検査を受けた。バリウムを飲まされたり、血液を取られたり......。だが、なかなか原因がかわらない。

「どこも悪くありませんねえ」

「そうですか」

医師に保証されると、またしばらくは発作が遠のく、そしてまた集中的に痛みの夜が始まる。

結論を手短かに言えば、私はこんなことを繰り返して三度も無駄な精密検査を受けた。ある時は盲腸炎の疑いをかけられ、あやうく手術をされそうになった。検査をした医師にはそれなりの言い分があるのだろうが、

「胃も腸も悪くないのなら、なんで胆嚢あたりを疑ってみないのだろう。それほど特殊な病気というわけでもあるまいし......」

医師のイマジネーションの不足を嘆かずにはいられない。

胆嚢炎とわかったのは、発作とは関係なく人間ドックに入ったときのことだ。その直後にまた痛みが襲って来て、手術を決意した。ところが用意万端整えて入院すると、いっこうに痛みが始まらない。痛みさえなければこの病気は健康状態と少しも変わりがない。

「早まったかなあ。このまま収まるのなら馬鹿馬鹿しいな」

手術の前夜ようやく激しい発作がやって来て、なにやら安堵の胸を撫でおろした。

胆嚢炎の痛みはおそらく内臓の痛みだろう。痛く、かつ苦しい。病院ではモルヒネを射ってもらったが、堅い果実のような痛みが背筋とも脳ともつかないところに凝り固まっていて、注射針を抜いた瞬間から一枚一枚樹皮をこそげ落とすように苦痛が落ちて行く。なるほど麻薬とはいい気分のものだ、と覚った。

手術は四時間近くかかった。

一時は癌ではなかろうか、と不安を抱いたときもあったが、手術の直前にはなんの心配もなかった。あのまま死んだら一番理想の死に方だったろう。

病歴は古く、胆嚢はグツグツに崩れて、卵の黄身をぶつけたように肝臓にへばりついていたと言う。それをメスで丹念に剥ぎ取るのに時間がかかったらしい。

そして無事に退院。

「やれ、よかった」と思ったその夜のこと、じわじわと覚えのある疼きが襲って来て、発作が始まり、

「いかん、悪いのは胆嚢ではなかった」

と、狼狽した - というのは、私の想像で、事実ではない。

もしそうだとしたら、さぞかし驚いたことだろうと思っただけのことだ。

そう言えば、ウィリアム・アイリッシュの作品に『だれかが電話をかけている』という短篇があった。

夜になると電話がかかって来る。妹はおびえて出ようとしない。彼女は悪質の金融業者から借金をしていて、恐怖のあまり自殺してしまう。

「糞ッ、あこぎな手を使いやがって」

兄は憤り、相手を見つけて復讐を遂げる。

「妹よ、安らかに眠ってくれ。もうあのいやらしい電話はかかって来ないぞ」

と、妹の霊に語りかけたとたん、また電話のベルが鳴る......。

私の発作だって、今のところぶり返さないだけのことだ。今後のことはわからない。もしかしたら今後あたり......。怖いなあ。