(巻三十五)焦がされてこれぞまことの目刺なる(林翔)

(巻三十五)焦がされてこれぞまことの目刺なる(林翔)

 

1月28日土曜日

まあまあの寒さの朝でした。

朝家事は洗濯、掃除機がけ、アイロンがけ。

昼飯喰って、一息入れて、散歩がてら千円床屋に出かけた。

途中でクロちゃんを訪ねるも不在。サンちゃんは生垣の隙間で日向ぼこをしていた。声をかけたら、起き上がったのでスナックをあげて喉を掻いてあげた。

そろそろ咲いたかと、梅の木のあるお宅の前を通ってみるとチラホラと開いていた。(一撮)

庭先の梅を拝見しつつ行く(松井秋尚)

二、三人は待つつもりで床屋に入るとだれも居らず直ぐに遣ってもらえた。床屋のおばさんも誰かと話がしたかったらしく、寒さの話、雪の話、コロナ医療費有料化の話と話が止まらない。終わって椅子の周りを見ると僅ではあるが白髪が散っていた。

安ければ速き床屋や都鳥(小川軽舟)

願い事-涅槃寂滅、酔生夢死です。よろしくお願いいたします。

「誰もいない森の中で枯木が倒れた。倒れた音はしたか?」という問答があった。色々な答えがあるようだが、私は「森では音はしていない。波動が人間の耳に届き、ドラムを揺すり、神経を電流が流れて、脳に到達し、そこで音として認識される。たから誰もいない森では音はしていない。」と云う回答が好きである。

その延長線にある考えなのかどうか分からないが、

「価値について - 岸田秀」中公文庫 続ものぐさ精神分析 から

を読み返してみた。

鶏頭に脳見る脳の朧かな(亀)

 

「価値について - 岸田秀」中公文庫 続ものぐさ精神分析 から

 

わたしは本書で書いているようなことを大学の講義でもしゃべっているのだが、受講している学生たちからときどき、「そのような考え方をしていてむなしくないのか」と質問されることがある。わたしの考え方によれば、人類の歴史は幻想をもってはじまり、社会は幻想で成り立っており、恋愛も幻想なら、異性の性的魅力も幻想、親子の愛情も幻想、何でもかんでもみんな幻想というわけで、わたしの講義を聞いていると、一部の学生は、世の中が何となくむかしくなってき、この先生は本気でそう思っているのだろうか、まるで人生にはそのために生きるに値する価値などどこにもないみたいではないかなどと疑問に思うらしい。

まったくその通り、わたしは本気でそう思っている。まさかふざけて、幻想だ、幻想だとわめいているわけではない。そして、そのために生きるに値する価値なんてどこにもないと思っている。そのように答えると、「それではなぜ生きているのか、なぜすぐ死なないのか」と重ねて質問してきた学生がいたが、わたしにはこの質問は意外であった。

こういう質問がでる前提として、人間が生きているのはそのために生きるに値する何らかの価値のためであって、そのような価値がないなら死んだほうがましだという考え方があると思われる。わたしは、このような考え方こそおかしいと思うのである。いや、ただおかしいだけでなく、きわめてはた迷惑な考え方だと思う。

そもそも人間がそのために生きるに値する価値なんてありっこない。そんなことは、ちょっと考えればわかることである。もしあるとすれば、誰が人類にそのような価値を与えたのか、どこからそれは降ってわいてきたのか。もし人類にそのような価値があるとすれば、猫にもそれはあるのか。虫にもそれはあるのか。もし人類にあって、猫や虫にないとすれば、どこにその違いの根拠があるのか。逆にもし、猫や虫にもあるとすれば、人類、猫、虫に共通な価値の根拠はどこにあるのか。もしあるとすれば、その根拠は何か。要するに、価値というものも、わたしに言わせれば、例によって例のごとくいつものことながら、人間の勝手な幻想に過ぎないのである。

しかし、そう言ったからとて問題は解決しないことはわかっている。問題は、人間はなぜ生きるための価値というものを欲しがるかということである。そういうものを欲しがることが、間違いのはじまりなのである。犬畜生は生きるための価値を求めず、ただ生きているだけだが、人間はただ生きているだけでは満足できず、おのれの存在の意味を問い、その価値を求める、したがって、人間は犬畜生より高等であると説く人がいるが、わたしに言わせれば、これこそ人間のたわけた思いあがりであって、人間が、犬畜生と違って、生きるための価値を求めるのは、その自然的生命を十全に生きておらず、したがって、生きることのむなしさを感じざるを得ず、そのむなしさから逃れようとして、そのような幻想にすがりつこうとしているのである。つまり、生きるための価値を求めるのは、むなしさに耐えられない人間の弱さゆえであり、卑怯なふるまいであって、人間が犬畜生より高等である理由になるどころか、逆に、劣等であることを証明するものである。

> (ここまでにしておきます。)