「はるばるとバカらしい - 田中小実昌」エッセイ'96大きなお世話 から

 

「はるばるとバカらしい - 田中小実昌」エッセイ'96大きなお世話 から

高速道路などははしらないバスをのりついで、鹿児島にたどりつき、さらに国分までいった。
さいしょは、あるひとが入院してるときき、その病院にいくつもりで、うちをでた。そのころは、うちは多摩川まであるいて二十分ぐらいの東玉川にあった。そして、うちの近くのバス停へいきながら、そのひとが入院したときいただけで、どこの病院に入院したかは知らないのに気がついた。
でも、ともかく、バス停につきバスにのった。ふつうなら、考えられないことだろうが、ぼくはちょいちょいこんなことがある。もっといけないのは、ちょうどバス停のそばをあるいていてバスがくると、ひょいとそれにのってしまうのだ。たとえば、うちにかえろうとして、とおりをあるいていて、バス停にバスがきたので、つい、のってしまう。ところが、そのバスはうちとは逆の方向にどんどんはしっついく。でも、バスにのったばかりなので、もったいなくてバスからおりられない。ああ、おうちはだんだん遠くなる!
バスは多摩川のそばにきて、ぼくはバスをおりた。丸子橋をわたる。わたれば、神奈川県の川崎市だ。ここで、多摩川の上流の溝の口のほうにいくバスにのった。たぶん、たまたま、そういうバスがきたのだろう。そして、三べんぐらいバスをのりかえて、横浜にでた。横浜あたりで、とにかくバスで西のほうにいこう、と考えたのであろうか。よくわからない。
横浜駅から戸塚にいった。となりのエカキの野見山暁治が芸大の油絵科の教授をしていたとき、その教室にいたという北村紀子さんのうちは戸塚にあり、野見山暁治は北村さんにあうと、「戸塚の坂で二度ころび」と言うそうだ。江戸時代のなにかにでてくる言葉なのかな。ぼくは原典は知らない。とにかく、あのあたりは丘がおおい。丘をのぼりくだりする道は坂になる。
戸塚からは藤沢へ。神奈川中央交通のバスだった。藤沢からは東玉川のうちにかえってきた。東玉川は世田谷区のいちばん南の町だ。大田区の田園調布の南に半島のようにのびている。
つぎは、藤沢からバスをのりついで、茅ヶ崎、平塚、小田原あたりまでいったのかな。もう二十年もまえのことだ。西へ西へとバスをのりついでいるのだが、バスにのりっぱなしというわけにもいかず、東京のうちにかえってくるので時間がかかる。東京にいると、やたらに映画も見る。いまは、月曜日から金曜日まで、毎日、試写を二本ずつ見る。こんなことでは、バスにのって遠くにいくことはできない。試写のない日にバスにのることになる。
小田原からはやはりバスにのりかえて熱海にいった。ところが、熱海から三島のほうにいくバスは朝夕だけで本数もすくないとかで、あきらめた。よけいなまわり道のさいしょだった。いや、そもそものはじめの日から、第三京浜国道のほうにいくバスにのったり、ずいぶん道くさをしている。
でつぎのときは、小田原から箱根にいくバスにのり、芦ノ湖のそばでバスをのりかえた。すごい大木の並木があった。三島につくともう夕方で、この日は箱根ごえでおわった。三島ではハシゴで飲み、この町で泊った。
静岡県だけでも、なん日、バスの旅はかかっただろう。島田をでて、金谷をバスで発[た]ったときは、御前崎までくだった。御前崎ではバスを待っているあいだ、民家のうしろの畑にしゃがみこんでいたりして、菊川にいき、それでだいたい一日がすぎた。JRならばたったひと駅のあいだだった。
ま、そんなふうにして、えっちらおっちら、関ヶ原もとおり、彦根まできたけれど、ここから先はどうにもならなかった。みんな高速道路をはしるバスなのだ。逆の京都のほうからもためしてみたがダメだった。
それでじつは十年ぐらいあきらめていたのだろう。それを、名古屋から三重県にはいり、鈴鹿峠をこして、近江八幡にでるというバスのコースを、ある雑誌の編集者がおもいついた。考えてみれば、これが昔の東海道で、本筋なのだ。でも、近江路は一日一本というバスもあり、やっと京都三條の大橋につき、東海道のバス旅は上[あが]りになったんだけど、橋のたもとの高山彦九郎銅像が大きいのにはびっくりした。
それから、ずっとバスをのりついでの旅だが、こんどの九州でのバス旅では、小倉でフクをたべて飲み、福岡にでて、朝倉街道バス・センターでバスをのりかえ、もう大分県との県境に近い原鶴温泉で泊った。はじめての温泉で、筑後川温泉郷のひとつらしい。この温泉の町の飲屋で、甲の焼酎の酎ハイを飲み、すごくおいしかった。九州はいいちこや白波みたいな乙の焼酎ばかりだとおもっていたら、東京の下町で飲むような甲の焼酎もあるのだ。
つぎの日は久留米、大牟田をとおり、熊本泊り。翌日は、松橋[まつばせ]、八代、水俣、出水とバスをのりかえて、阿久根温泉で飲んだ。ここも知らない町で、ぼくはうれしかった。知らない町の知らない飲屋で飲むのは、いきつけの店で飲むのとおなじように、ノンベエにはたのしみだ。
そして、阿久根、向田、鹿児島、国分と、西へのバス旅はいちおうおわった。本にもしてくれるらしい。二十年ぐらいかかっているようだが、まことにはるばるとバカらしい。