(巻三十六)充分に娑婆見し蛇の穴に入る(羽鳥つねを)

(巻三十六)充分に娑婆見し蛇の穴に入る(羽鳥つねを)

2月1日水曜日

曇天。朝家事。老人世帯の失火原因の一つがコンセントにたまった塵だと聞きかじった彼奴が家具の後ろに隠れているテレビのコンセントの塵払いをしろとうるさい。言い出したら引っ込めないことは承知しているので、やるしかない。幸い隙間に手が入ったので塵払いをした。コンセントを外すと後でタイマーなどリセットが大変なので外さずに、専らコードの埃の拭き取りに専念した。腹が出ているのでかがんで作業するのが大変だ。

昼飯喰って、一息入れて、散歩に出かけた。追い風の南風に乗って銀座商店街に向かった。蕎麦屋の寿々喜さんはお休みだった。木曜日が定休日なのにどうしたのだろう⁉それで香菜館に廻り黒酢豚で二合いたした。昼飯を食べた後でもスルスルと入っていく。

猫たちは、都住でクロちゃんとサンちゃん、稲荷でコンちゃんと遊んだ。

行きは追い風だったが帰りは当然向かい風だ。図書館に寄りシステムの状況を聞いたが、パートのおばちゃんに申し訳ございませんと謝られてしまった。入口には加賀乙彦の追悼コーナーができていたが、この図書館ではその作家の作品をあまり所蔵していないようで3冊しか飾られていなかった(一撮)。

願い事-涅槃寂滅、酔生夢死です。

《現行のものは、世間から認知されていないゆえに非合法にならざるをえない。

もっと明るい方法、さらに一歩進んで楽しい方法が考えられなければならない。

これだけ生きるための医学が進歩しているのだから、死ぬための医学など簡単なはずだ。

夢みるように死ねる薬など、すぐにも開発できるはずだ。》

東海林さだお氏もお書きになっている。自裁薬を御守りに入れて首からかけていられたらどれだけ人生を楽しめることだろうか。

さておき、今日は火事の筋から、

「火事場 - 別役実」大和書房刊別役実著 都市の鑑賞法 から

を読み返してみた。

たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ(坪内稔典)

「火事場 - 別役実」大和書房刊別役実著 都市の鑑賞法 から

「火事場」見物というのがあって、かつての都市住民の、思いがけない楽しみのひとつとなっていた。江戸時代である。「火事と喧嘩は江戸の華」と言われていたように、「ジャン」と半鐘が鳴ると、何を置いても飛び出してゆき、たちまち現場はお祭り騒ぎとなったのである。「ジャン」のひと声で、日常活動はすべて停止されたのであるから、俗に言う「盆と正月が一度に来た」ような祝祭気分になったとしても、不思議はない。

しかも、盆と正月は定期的にしかやってこないが、火事は不定期である。常に思いがけなくやってくるものであるから、「そら来た」という時の感動は、月々のお手当と偶然に当った「宝くじ」くらいの差があったであろう。従って火消したちも、或る程度燃え上ってからでなくては、消してはいけないことになっていた。ボヤのうちに消してしまったりすると、駆けつけてきた人々になぶり殺しにされかねない。火まわりが悪く、自然鎮火してしまいそうな時は、例のまといで風を送りこんで、あおりたてることまでしたのである。まといというのは、そのためのものだったのだ。

もちろん、現在はそうではない。「最近じゃ、あなた」と、ある消防士が嘆いていた。「サイレンを鳴らして、その上鐘まで鳴らして消防車が走っても、見向きもされません。火事は近いぞって教えてやって、追いかけてこられるようにわざとゆっくり走っても、ついて来ないんですからね」。これは、近代に入って消防法が改正され、「火事は、見物人の集まるのを待たずに、すぐ消す」ことになったせいだと言われているが、必ずしもそうではないらしい。

「実は消防法が変って以後も暫くは、消防車さえ走れば、みんな追いかけてきたもんです」と、その消防士は言っている。「サイレンなんか鳴らさなくても、鐘なんか鳴らさなくても。ですから消防士が消防車に乗って昼飯を食いに行く時だって、

みんな目の色を変えてついてきたんですから…。ええ、ゆっくり走ってやる必要なんかありませんでしたよ。どんなにスピードをあげても、歯をむき出して追いかけてきたんです。もちろん、すぐ消してしまった場合なんか、ムッとはしてましたがね。それでこりるということはありませんでした。次は大丈夫だろうって、期待があったんでしょうね」

テレビのせいである。「あれから、すっかり時代が変ってしまいました」と、その消防士もそのことを認めている。我国の各家庭にテレビが普及しはじめた時期と、「火事場」から客が遠のきはじめた時期は、みごとに一致するのだ。その上文化庁は、テレビの普及により映画館や劇場から客足が遠のいたことについては、「文化的な一大事」として注目し、ひと

まず補助金という形でその損失を補填しようとしているが、「火事場」における同様の事態については、何もしようとしていない。これでは、「火事場」を文化と認めていないのではないかと疑われても、やむを得ないであろう。

もちろん、消防士たちは「火事場」に集ってきた人々の「見物料」で食べているわけではないから、客足が遠のいたからと言って、金銭的な損失があるわけではない。従って、それを補填してもらうわけにはいかないが、「しかし、気合いの問題ってものがありますからね」と、その消防士は言う。「以前のように、群がる野次馬どもを引きつれて火事場に乗り込んだ時には、よし消してやるぞって気にもなりましたが、後を振り返って、誰もついてきていないと知ると、とても消す気になれないんです」。当然、かつてそこにあった祝祭気分も、盛り上らないであろう。

この点については、文化庁も少しは考えてみた方がいい。最近の若いものは消防車を見ても「何であんな派手な色をして、しかもサイレンやら鐘やら鳴らして、ものものしく走りまわらなければいけなんだ」と言ってるそうである。つまり、火事というものが非常事態であり、すべての日常活動の埒外にある、突出した出来事であるという感覚すら、彼等からは薄れつつあるのだ。過日私の友人は、「火事場」へ向って突っ走る消防車の後を追いかけながら、道のかたわらで或る若ものが空を見上げ、「おや、燃えている」とつぶやくのを聞き、とたんに走る気力を失った、という話をしていた。

「おや、燃えている」なん てものは火事ではないし、第一そんなところに走って行く気になれない。こういう若いものたちを鍛え直して、少なくとも消防車が走ったら、条件反射的に後を追いかけるように仕込まないと、現在わずかに残されている「火事マニア」まで、走ることをしなくなる。もちろん、こうした事態は若ものたちだけのせいではない。「火事場」において、それを華やかに彩る景物のひとつは、その場を半狂乱になって走りまわる焼け出された家族にあるのだが、最近それがなくなってきたのだ。

火災保険のせいである。ここへきて火災保険は、家屋だけではなく家財にもかけられるよいになったから、丸焼けになっても誰も何の痛痒も感じなくなったのであり、従って家族も、のんびりて焼け具合を見ていればいいことになっている。最近の「火事場」に、今ひとつ差し迫ったものが感じられないのは、このせいに違いない。「ちょうど火災保険が切れていた」ということでもあればいいが、最近は保険会社の方が気をつけていて、その時期になるとうるさいほどせっついてくるから、そうした幸運にめぐりあう機会もめったにないのである。

というわけで、江戸時代より連綿として続いてきた「火事場」の文化は、今ここへきて廃れようとしている。東京都が作った『江戸記念館』の中に、「是非火事場を」という話もあったのだが、見物客が来る度に家を一軒ずつ燃やすのは、経費の点で難しいということになり、とりやめとなった。「火事場」は、贅沢なものなのだ。