(巻三十六)イヤホンに音の通はぬ冬籠り(滝川直広)

(巻三十六)イヤホンに音の通はぬ冬籠り(滝川直広)

2月7日火曜日

霞雲が覆う午前中だったが毛布を干してみた。

作務・修行はほかに掃き掃除、昼食の温め。忍耐力を試されたのが旧住所からの転送を依頼する「郵便転居届」の記入だ。我が家の老師は何でも自分では書かないで人に書かせるが、側に座って一字一語は云うに及ばずマークの塗り潰し方にまでイチイチ文句をつける。何かを喋っていないと呼吸ができないのかも知れないし、鬱になられるよりはましかと耐えて忍の修行に励んでいる吾は雲水である。

昼飯喰って、一息入れて、散歩に出掛けた。今日は中川の土手を歩いてみた。よく見るとゴミなんぞが浮いているが、そんなところにも水鳥が数羽いた(一撮)。

水鳥の水より早く暮れにけり(紙田幻草)

昨日から大股で歩くよう心掛けている。歩幅を広くすると今まで使わなかった筋肉を使い、筋や腱が延びるようだ。尻の肉が少し痛い。

意識して歩幅大きく歩く秋(田中敏子)

願い事-涅槃寂滅、酔生夢死です。

M氏からY氏の急逝を報せる書信が届いた。「自宅で倒れられ、救急車で搬送中でのご逝去だったそうです。」とある。

ご本人はまだまだ生きたかったのかもしれないが、私から見れば誠に願ったり叶ったりの羨ましい去り方だ。心掛けがよかったのだろう。

死後の世界などあるとは思っていないが、水木しげる氏の

「プロローグ(死はいつもそこにある) - 水木しげる光文社文庫 極楽に行く人 地獄に行く人 から

ほかを再読いたした。

死後などはなし凍裂の岳樺(高野ムツオ)

1/3「プロローグ(死はいつもそこにある) - 水木しげる光文社文庫 極楽に行く人 地獄に行く人 から

死はいつもそこにある

こんなタイトルの本を出すと、死にたいのかと聞かれそうだが、そんなことはない。そもそも、まだ死なない。というのも、ぼくのまわりにいる「見えない力」たちが、ぼくに最後の仕事をやらせている最中だからだ。いまの人たちが忘れてしまった世界のことを、できるかぎり伝えろと、毎日働かされている。

忘れてしまった世界というのは、霊界の話であり、死後の世界の話であり、おばけ、妖怪の世界の話なのだが、これは全部つながっている。

そのなかで死後の話を今回はしようと思う。

ぼくは、幼い頃から、死を身近に感じてきた。当時は人がよく死んだ。遊び仲間も、近所の人も、親戚も、しょっちゅう死んでいた記憶がある。中国ではもう戦争が始まっていたから、戦死者がでると、英霊を駅まで迎えにいくのも習わしになっていたこともあるのだろう。ぼくも大人になったら当然戦争にいくものだと思っていたから、毎日が曇りのような気分だった。

まわりの大人もこどもも、死んだらどうなるのかという話をよくしていた。どこそこの婆さんが米寿を目の前に死んだ。すると、どこかの婆さんが、「病まずに死んだのも信心のおかげ」というご高説を垂れているのを聞いて、なんとなくそうかなあと思っていた。

夜間中学四年のとき戦争にとられた。徴兵だったから、階級はいちばん下の二等兵。送られた先は、激戦地のニューギニアラバウルで、それも敗色が濃くなった昭和十八年のことだった。

> このラバウルをめぐる戦闘で、日本軍は完全に南大平洋の制空権を失い、戦友たちはほとんどが戦死し、ぼくも片腕を失った。戦争なんて二度と起こしてはならない。時間がたてば戦争の記憶を消してくれると思っていたが、そんなことはない。生死にかかわる記憶というのは傷として一生残るものなのだ。

くわしいことは、『ねぼけ人生』などでも書いたので、ここでは省略するが、ぼくが九死に一生を得たのは、まさに「見えない力」としかいいようがないものだった。現地の土人(「土の人」という親しみをこめてぼくはこう呼んでいる)に、ここに残らないかと言われ、それはできないが、「七年したら必ず来る」と約束をしたにもかかわらず、戦後のどさくさで漫画家になり、妖怪のことを描きはじめたのも、「見えない力」によるとしか思えない。

約束がはたせないまま、やっとラバウルに行ったのが、二十六年後のことだった。戦友たちと酒を墓標にかけて合掌していたら、一匹の白い蝶がやってきた。いくら追い払おうとしてもいつまでもまわりにいる。「これは、死んだ戦友の魂だ」とぼくは八ミリを回し、いっしょにいた戦友たちは、ただただ墓に手を合わせていた。生者の世界と死者の世界は、ひょんなことで重なり合う。蝶は、あちら側の世界からの使いとしか思えない。実際、あとで各地の言い伝えを調べたとき、白い蝶は、霊の使いだと書いてあった。

この年になってからも、ぼくのところにはいろんな頼み事が舞い込んでくる。それもぼくの力ではなくて、「見えない力」によるものに違いない。

2/3「プロローグ(黄泉の国) - 水木しげる光文社文庫 極楽に行く人 地獄に行く人 から

黄泉(よみ)の国

ぼくは鳥取県の境港という古い港町で生まれ育った。この町は古代から黄泉の国と言われてきて、実際“夜見が浜”という地名もある。ここは、昔は夜見の島という一つの島だったのが、海流のいたずらで陸地につながったのだ。

黄泉の国というのは、『古事記』に出てくる死者の国のことだ。もともとは中国にあった考えらしいが、かなり古い時期に伝わったので、日本の神話ともいっていいだろう。

古事記というと、戦後は、天皇を神とあがめるためのテキストのように考えられがちである。でも、見えない世界を探るための神話と伝承の書として読むと、古代の人たちがあの世をどんなふうにとらえていたか分かって面白い。

最近は、古事記の黄泉の国の話といっても分からない人が多いようなので、紹介しておこう。古事記によれば、日本はイザナギという男の神とイザナミという女の神が交わって生まれた。これは誰でも知っているだろう。日本を生んだ後、数々の神を生むのだが、火の神を生んだためにイザナミは火傷(やけど)を負って死に、黄泉の国に行ってしまう。

国産みの作業は完全には終わっていなかったので、イザナギは黄泉の国まで出向き、イザナミを連れて帰ろうとするのだか、イザナミは黄泉の国の食べ物を食べてしまったので、もう帰れないという。それでも夫のイザナギがあまりに熱心に頼み込むので、イザナミは「では黄泉の国の神に相談してみる」といって門内に消えてしまう。

しかし、いくら待ってもイザナミは戻ってこない。待ちくたびれたイザナギは、自分の姿を見てはならないという禁を犯し、持っていた櫛の一歯を燃やしてしまう。すると、腐ったイザナミの死体と、死体の中からヤツイカズチという八種の雷神が現われた。

あまりに驚いたイザナギは現世に逃げ帰ろうとした。するとイザナミは「私に恥をかかせた」といっとヨモツシコメ(黄泉醜女)や千五百之黄泉軍(ちいほのよもついくさ)などを繰り出してイザナギを討とうとする。ヨモツシコメという名前は、最近のテレビゲームにも登場するので、名前だけは知っている人はいるだろう。

このヨモツシコメというのは、食いしん坊だったので、イザナギはそこをついて、身につけていたものを次々と投げつける。するとそれらはブドウやタケノコに変わり、ヨモツシコメは追っているのを後回しにして、食べることに夢中になる。その間にイザナギは逃げおおせることができた。業を煮やしたイザナミは、今度は、ヤツイカズチを先頭に大軍を送ったのだが、黄泉平坂(よもつひらさか)という場所で、イザナギは桃の実を三つ投げて、この大軍を追い払う。ここから桃の実が悪魔払いに効用があるということになり、後年の桃太郎伝説が生まれる。

ちょっと話は長くなったが、こうした物語の舞台である黄泉の国が古代出雲の国の夜見の島だという言い伝えがあった。

3/3「プロローグ(別の世界の入口) - 水木しげる光文社文庫 極楽に行く人 地獄に行く人 から

ぼくの家の近くに「加賀(かが)の潜戸(くけど)」という場所があって、そこが黄泉の国の入口だった。子どもの頃、船でそこまで行ったのだが、入ってみると、中は大きなドームになっていて、石積みや小さな塔がたくさんあり、人形まで置いてあった。奥の方はだんだん狭くなっていて、その先に小さな穴が続いており、ほんとうに黄泉の国まで続いているようで、怖かった。出雲の国には出雲大社があって、神無月と言われる十月には、日本中の八百万(やおよろず)というカミサマたちが押し掛けてくる。霊に満ち満ちている土地であるらしく、いろんな霊場があった。

宍道湖の中海には地底の霊界である「根(ね)の国」があると言われていた。

根の国は、地上の世界の罪や穢れ、厄災、疫病をもたらす悪鬼の住むところという地獄のようなところとも、反対に、地上に豊かな稔りをもたらす根源の国だとも言われているが、どちらにしても「あちらの世界」である。

この根の国を「因幡の白兎」伝説で有名な大国主命(おおくにぬしのみこと)が訪れたところ、そこには立派な宮殿があり、須佐之男(すさのお)が王をしていた。大国主命須佐之男から生太刀(いくたち)・生弓矢(いくゆみや)・天詔琴(あめののりごと)という三種の祝具を貰い受け、現世に戻ってから国土を守る霊となったという。これも『古事記』に出てくる神話だ。

出雲はとくに多いのかもしれないが、日本中そこらじゅうに、別の世界への入口はあった。いやいまでもあるのだが、不幸なことに、いまの若い人たちは、それが見えなくなっているのだろう。

のんのんばあとオレ』という本に以前まとめたことがあるのだが、ぼくの幼少時代には、身近に霊もたくさんいた。のんのんばあは、拝み手。いまでいうと祈祷師だった旦那と死に別れた近所のおばさんのことなのだが、信心深く、よくうちに遊びに来たり、泊まっていったりして、いろんな話をぼくに話してくれた。

のんのんばあが話すところによると、ちょっと離れた小川には河童がいるというし、夕方になると子取り坊主という妖怪が出るというのだ。こうした物語はぼくの心に染みついてしまい、この世とは違うあの世があるというのは、ぼくにとって当たり前のこととなっていた。

転生(てんしよう)という言葉があって、亡くなった人の心が、他の誰かに宿り、生き続けることだというが、いまでも、のんのんばあの心が、ぼくに宿り、生き続けているような気がしてならない。鬼太郎の父・目玉おやじのようにぼくの肩の上に乗っかって語りかけていると感じることもある。

「近頃、死が軽んじられたり、無視されすぎてはいないか。それじゃあ、私のような死者はどうすればいいのじゃ」とのんのんばあが言っているのが聞こえてくるようだ。