「花月西行(其の三) - 上田三四二」新潮文庫 この世この生 から

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花月西行(其の三) - 上田三四二新潮文庫 この世この生 から
 
ここで一見、迂路[うろ]をたどるようではあるけれども、西行の死生観をより明らかにしようとして、連想の本居宣長[もとおりのりなが]の上におよぶのをとどめることが出来ない。
西行と同じ桜の歌人本居宣長が遺言してみずからの選定にかかる山上の墓地に山桜を植えさせたことの次第は、小林秀雄本居宣長」の冒頭に詳しい。養嗣子大平[おおひら]をつれて実地を検分し、その山室妙楽寺の山上をおのが墓所と定めたとき、宣長は二首の歌を詠んだ。「山むろにちとせの春の宿しめて風にしられぬ花をこそ見め」「今よりははかなき身とはなげかじよ千代のすみかをもとめえつれば」。まずは後世安楽の、駘蕩[たいとう]たる心境である。
しかし、この山室の後世安楽の歌の詠まれた翌年、宣長はまるで掌[てのひら]をかえしたように、こう歌う。

死ねばみな黄泉[よみ]にゆくとはしらずしてほとけの国をねがふおろかさ

よみの国おもはばなどかうしとてもあたら此世[このよ]をいとひすつべき

ここで彼は、死後に何の期待も寄せていない。極楽浄土なぞ、絵そらごとだと言っている。儒を排し仏を排した宣長には山室の歌よりこの歌の方が似つかわしいともいえるが、それならば、彼はなぜ心をつくして眺めのよろしきところに墓をつくり、墓には山桜を一本、それも「随分花之宜キ木を致吟味」して植えるように指示し、それを「ちとせの春の宿」「千代のすみか」と呼んだのであろうか。
宣長は桜を一種の呪物[じゆぶつ]として死後を現世につなぎ、黄泉の闇と穢[けが]れを祓[はら]おうとしている。それが真に可能だと宣長が信じていたかどうかはわからない。しかし宣長は桜にその夢を賭けたのだ。
黄泉とはおそろしいところである。そして死ねばそこに行くときまっている。死んで行く黄泉にくらべれば、生きていまある現世は、憂き世だとか何だとか言ったところで、どれほどましな場所かわからない。死後の世界は光明の浄土ではなく暗黒の黄泉であるゆえに、わが死後を出来るだけ黄泉にとおいものに、すなわち現世のつづきの場所と状態にとどめ置きたい。その夢のかたちにあらわれたものが山室の墓地であった。
宣長が「徒然草」第七段に「命長ければ辱[はぢ]多し。長くとも四十[よそじ]に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」とあるのを難じて、「言[こと]にこそさもいへ、心のうちには、たれかはさは思はむ」「人のまごころは、いかにわびしき身も、はやくしなばやとはおもはず、命をしまぬものはなし」(「玉勝間」)と言ったことは知られている。これも、「よみの国おもはばなどかうしてもあたら此世をいとひすてべき」と同じこころである。宣長は後の世のために現世を蔑[べつ]する後世者流ではなかった。
もっとも、ここで兼好のためにひと言弁じておけば、兼好もまたもちろん後世者流ではなかった。後世者流でないどころか、そもそも、兼好に後世そのものが信じられていなかったとするのが私の兼好理解であることはすでに言った。その理解からすれば第七段は言葉に矛盾があるように見えるが、それは矛盾というよりは、矛盾以前の趣味の問題であるだろう。兼好は後世に行くために早死をすすめているのではない。生きることの価値を問うて、老の醜さを否定しているのである。ここにあるのは兼好のダンディズムであり、「徒然草」の成立に二段階あるとする説にしたがえば、このあたりの兼好はまだ若く、思慮において浅いのである。「徒然草」の真の滋味は三十段を過ぎるころより後にあるとする説に、私は同意している。
それにしても、「死ねばみな黄泉にゆくとはしらずしてほとけの国をねがふおろかさ」とは、何という痛烈な皮肉であろう。宣長に皮肉の意図がないとすれば、何という痛烈な批評であろう。歌は義理にも名歌とはいえないが、この痛烈な批評のうちに宣長の死生観の本音が覗いている。
そしてこの宣長の死生観の本音ともいうべきものは、また西行の本音、というのは当らないにしても、すくなくとも西行の惑いとしてあったのではないだろうか。「山家集」に私たちは次のような歌を見る。

死にて伏さむ苔のむしろを思ふよりかねて知らるる岩かげの露

はかなしやあだに命の露消えて野辺にわが身やおくりおかれむ

一首目は暗い死の想念が歌われている。この死のかたちはどう贔屓目にみても浄土のものではない。黄泉のものである。光のささぬ岩室のなかに冷い雫にぬれながら横たわり、朽ちてゆくほかない無用のもの化した物体としての屍体[したい]。黄泉とはそういう死後のあり方だ。二首目は「岩かげ」が「野辺」になり、寒々しく孤独な屍体のイメージを無常観の感傷をもって洗い流そうとしているが、歌われている内容は同じで、二首まとめて、ここにあるのは黄泉という頽落[たいらく]した死後の世界にたいする嫌悪である。
 
二首の歌にあきらかなように、黄泉に死の主役をなすのは屍体である。「野辺にわが身やおくりおかれむ」とある、それは遺棄された「身」である。そして一方、浄土における死は、「心のうちにあらはさむ」と歌われているように、「心」だと知られる。
心身という立場よりみれば、黄泉の絶望的な死のありようが浄土の希望的な死のありように転じるためには、身を捨てて心を選ぶという決断がなされなければならない。身体の棄却の上に立って魂の分離と持続が信じられなければならない。当り前といえば当り前すぎることながら、死後のことはただ一つ、身をはなれて心は存在するかという問いに帰着する。
花月は、西行にとって、この身と心のあいだの難問を解く鍵である。ここに二首の歌がある。

吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずなりにき

ゆくへなく月に心のすみすみて果てはいかになならむとすらむ

中空[なかぞら]に満ちて咲く桜の花のあやしいまでの美しさは、西行の心を魅了してどこかこの世のものならぬ境へとつれて行く。いちどその美に憑かれた心は、地上の影である五尺の身にとどまることが出来ずに、遊離し、漂い出ようとする。花だけではない。月も同様だ。月は花の気もそぞろといった浮きたつ気分とちがって沈静だが、その輝く月の面[おもて]をつくづく眺めていると、一種の催眠状態に導かれて、心がどこまでも澄んで気が遠くなってくる。「心は身にもそはずなりにき」も「果てはいかにかならむとすらむ」も、心が身を抜け出してみずからの憬れに向う、不安のまじった恍惚の状態を言い取っている。
こういう心の遊出の極まるところに、死があらわれる。心が身にかえるのを忘れるとき、それが死だ。
花月への憬れの果てに死があらわれるという発見は、西行を怖[おそ]れさせたであろう。彼は花月に憬れたのであって、死に憬れたのではなかった。彼はこの世のものでありながらこの世のものではないような月と花、言いかえればこの世の外のものでありながらこの世のものでないような月と花、言いかえればこの世の外のものに見えながらこの世のものにちがいない月と花に憬れた。彼の憬れは現世の至美、至純なるものへの憬れであったが、その憬れは、結果として、この世の外の死というものへの通路を開いたのである。