「立石再訪、危うし「呑んべ横丁」 - 坂崎重盛」東京煮込み横丁評判記 から


 

「立石再訪、危うし「呑んべ横丁」 - 坂崎重盛」東京煮込み横丁評判記 から

“濃い”町の“濃い”居酒屋へ
それにはちょっとした掟がある

天気予報は、午後から晴れると言っていたのに、なんかスッキリしない空模様である。
今日は夕方前から南千住へ行こう、と腹で決めていた。
いや、「鶯[うぐいす]酒場」。しばらく前に近くを通ったら、駅前再開発。消えてしまって、残念!と思っていたら、つい最近聞いた話によると、仮店舗で営業中とのこと。
(仮店舗ねえ、それもオモシロイかも、これぞ期間限定ではないか)と気持ちがうごいたのだった。
ところで、常連客がほとんどの、それも、かなり“濃い”、土地柄の“濃い”居酒屋へ、ビジターがふらりと入るのは、いろいろ気を使う。
これが、一人ではなく二、三人だと、まだ楽なのだが、約一名だったりすると、まず、その時間帯、タイミングに心くばりしなければならなくなる。
遅い時間帯はぜったいにダメ。お店の人も(こんな時間に、誰?この見なれぬ客は)という反応をする。ワケわからん淋しい酔っぱらいが、酔いにまかせてフラッと入ってきたと思われる。
早い時間帯に、できるかぎり爽やかな表情でサラッと店に入る。「私、この店が今日の口あけですよ。まだ、まるでジラフ」っていうメッセージをそれとなく顔と体で表現する。
それくらいの微妙な演技力がなければ、そういう店にビジターで入る資格はない。
とにかく、時間帯が大切なのだ。
だからいつもタイミングをはかりながら、部屋を出る心がまえをすることになる。
そうそう、もう一つ、万札はご法度。「千ベロ系」(千円ちょいでベロベロ)の店で一万円札など出したら、「ケッ、この世間知らずが。オトトイ来い!」という、声なき声を聞かねばならぬと思うべし。
で、千円札と小銭を掻き集めて、いざ出陣ということになる。普段は、かさばる千円札や小銭は、なるべく身につけたくないのだが、“濃い”エリアの“濃い”酒場へ行くときは話がちがう。
ポケットにぷっくり、ズッシリの小銭が気持ちを安定させてくれる。
(金を持っているって、やっぱり、こういうことなんだよなぁ。それに比べりゃ、一万円札や株券なんて、単なる記号みたいなもんよ)と、妙に屈折した気持ちになったりもする。
ま、そんな、どうでもいいようなことをあれこれ考えながら部屋を出る。めざすは南千住。空は、まだ晴れない。
コツ(旧名小塚原の略、いまの南千住界隈)へ行くときは、とくな夕方は、晴れてほしい。空が暗いと、ちょっと気分が落ち込む。とくに一人のときは。
京成電車に乗り、千住大橋から歩くか、上野まで出て南千住に向かうか、車中で迷っている。
千住大橋から歩くことにする。
青砥駅で各駅停車に乗り換えようとすると、小雨が降っていることに気づく。(雨かよ……小雨でも、あのコースを歩くのはちょっとなあ)という気分になる。
(そうだそうだ、この青砥の次の駅で降りちゃえ、久しぶりに立石へ行こう)と思いつく。
時間は五時少し過ぎ、いいじゃないの、この時間帯。もちろん「宇ち多”」なんて、もう閉まっているに決まっている。「ミツワ」や「江戸っ子」、「鳥房」も無理だろうな。入れないな。ましつ、今日は土曜日、土地もんじゃない私のような、物好きのビジターがドッとやってきているにちがいない。
津波ですよ、このごろの下町。土日はこういうビジター津波がヒタヒタ、ザワザワ、ドーンと押し寄せてくる。
もちろん、悪い、などとは言ってません。私も、その一人。いや、ひょっとして煽動者の一人かもしれないのですから。
町がうるおうのならばいいじゃないですか。ただ、その町やその店のキマリ(掟?)を守り、常連の方々より幅をきかせたりしなければね。
京成立石で降りる。小雨はパラついているが、まだ明るい。よしよし、久しぶりに、立石の“戦後遺産”を見てまわれる。もちろん、飲み屋の状況もチェックしておきたい。


昼なお暗い「呑んべ横丁」
その先に名店「江戸っ子」が

立石に降りたら、まずはともかく立石仲見世商店街を見まわらねば。
駅の改札を出て右階段を下る。プーンと揚げ物のにおいがしてくる。
並んでる並んでる、肉の「愛知屋」。コロッケ八〇円、メンチ一三〇円。人が並んでいなければコロッケ一個買って、買い食い散歩でもよかったんだが……。
おなじみの「栄寿司」、もつ焼の「ミツワ」、「丸忠蒲鉾店」のアンテナショップバー(?)「二毛作」、どこも客でにぎわっている。結構、結構。あ、もちろん「宇ち多“」は、すでに店じまいしている。  
仲見世商店街で、今回も気になったのが屋台を少し大きくしたくらいのスペースの「らーめんラッキー軒」いままで何度かノレンごしに店の中をのぞいたことがあるが、カウンタ-で酒をのむ客の姿はあっても、ラーメンらしきものを食べているのを(私は)見たことがない。
客の背中が、麺を食べている背中じゃない。じっくり杯を口に運ぶ気配を放っているのだ。カウンタ-は満員。よし、次回はこの店にトライしてみるか。
仲見世の中ほどの横丁を駅に向かって左、イトーヨーカドー側に入ってゆく。正面に、「ゑびす屋食堂」が視界に入る。この店も気になっているがまだ入ったことがない。まあ、いい。しばらくは泳がせておいてやろう。(って私は刑事か)
おや、カメラを手にした四〇前後と見える男性が。
そういえば、仲見世でも他の人物が「丸忠蒲鉾店」に向けてシャッターを押していたな。観光地化してきたんですかね。立石が。
(ふーん)、と妙な納得のしかたをしながら、今度は線路ぞいに少し青砥方面に戻る。
これがまた傑作で、串かつ立ち呑みの「毘利軒[びりけん]」、関西風「串揚一〇〇円ショップ」、もつ焼の「ホルモン屋」といった似たような“タフ”な業態の店が歩いて一分弱のところに三軒並んでいる。すごいなあ、やっぱり立石は。
そういえば、つげ忠男が描いた無頼の人「京成サブ」の舞台は、たしか、この立石じゃなかったっけ。「ガロ」の別冊、どのダンボールの中だったかなあ。
なんてことを考えていると踏切りが。踏切りをわたる手前、道をへだてて、いかにもうまそうな「餃子・タンメン・三陽」の看板。しかし、ここから見ても店はやっていないのがわかる。それでも未練がましく道をわたって店の前まで行く。
貼り紙がある。なになに-「長らくお世話になりましたが道路拡張工事のため閉店……」-えっ、道路拡張?拡張って、どこからどういうふうに拡張するの。踏切りを高架か地下道にするとか。とすると、線路の反対側の「呑んべ横丁」の存続はヤバイのでは?だいたい、あの一角、現在も営業している様子の店はせいぜい五軒に一軒という感じだったし。「呑んべ横丁」へ行かねば!
踏切りをわたる。時計を見る。ちょうど六時。まだ明るい。線路に面した「おらんだ屋」はもう営業している。客の姿もある。
しかし、一歩、飲食街の細い路地に入ると-暗い。宵が迫るゆえの暗さではない。昼なお暗い。特飲街的雰囲気の暗さのだ。いい。実にいい。「伯爵」なんていう店の名が、いい。
人気[ひとけ]のまったくない路地を行くと、どこからか、なんだあの声は……「おージャイアンツ、おージャイアンツ」って、これは巨人軍の応援歌ではないか。カラオケではない。男たちの合唱のようだ。音の出どころにたどりつく。
さくらんぼ」という看板が出ている。店の戸は閉じられている。店の中には数人の客の気配がする。貸切か。いや貸切じゃなくたって、ビジターは絶対に入れない。
すごい!すごすぎる「呑んべ横丁」。
路地を抜けて、右に出る。ホッとする。そこには立石の名物店の一つ「江戸っ子」がある。ガラス越しに店内をのぞいている人が三人いる(一杯だな)とすぐにわかったか、人間はないごともお付き合いが大切、私もガラス越しに店内をのぞく。(誰か知っている人間がいるかも)と思ったがハズレ。そのかわり、名物店の名物ママさん「もつ焼界のポンパドール夫人」と目が合ってしまった。双方、「ニコッ」。
タハハ、なぜか頬染めて「江戸っ子」を立ち去るステッキ先生であった。
で、振り向きざまに入ったのが「江戸っ子」の向かい「秀[ひで]」。そうそう、煮込みを食べなくては。この東京有数の煮込みの聖地に来て、煮込みも食わずに、なに、ウロウロしてるの。
ともかく「秀」のカウンタ-に座れた。ラッキーといわなければならない。
お、ルイボス茶割りがあるじゃないですか。ルイボス茶。南アフリカ原産とかいう例の茶色の液体でしょ。ときどき置いてある店がある。自家製ハイビスカス割り、自家製炭火こーひー割りもある。モダンですね。
マスター、ハンサム。ママ(?)キレイ。お店、清潔。立石のニューウェーブと言っていいか。
煮込みは、牛スジ三八〇円、豚もつ三三〇円。私は豚もつとポテサラ二八〇円、飲み物は、くだんのルイボス割り三三〇円を注文。ルイボスをクィーっと飲んでしまったので、生ホッピー白三八〇円を追加。
貼り紙がある。(五月より入荷分のホッピーは四五〇円に-)と、申し訳なさげの値上げの告知。
了解了解。中ビアジョッキに氷なしのうれしい生ホッピー。四五〇円でもOKです。
と一人うなずきながら次は黒(白と同じ、今なら三八〇円)を注文。グビグビ飲んでいるうちに……次なるエリア「立石中央飲食店組合」の、焼肉屋台の「牛坊」、もつ焼の「丸よし」あたりの視察は、まあ次の機会、という雲行きとなりました。