(巻三十六)値段見てそつと戻して着膨れて(小林春休)

(巻三十六)値段見てそつと戻して着膨れて(小林春休)

 

5月5日金曜日

晴れ。朝家事は蒲団干しだけ。昼前にドラッグストアに洗剤など買いに行く。指示により大きくなった洗濯洗剤のリフィルも買った。その往復でトイちゃんにスナックをあげて、お写真を撮らせていただいた。警戒心は比較的早く薄れたが、人(猫)生の苦労が顔に出ているようだ。写真と撮るのでスナックを待たせだが、その間もじ~っと待っている。いい猫だ。

昼飯喰って、一息入れて、散歩に出掛け、トモちゃんにスナックをあげて、ここの猫婆さんと挨拶を交わす。図書館で「法学教室」ほかを返却、クロちゃんを訪ねたが不在。修徳の前を歩いて白鳥のファミマでアイスコーヒーの初物をいただく。

帰宅すると細君は北陸の地震のことをしきりに語る。人的被害は無かったらしい。良かった、良かった。

買ってきた洗濯洗剤のリフィルから容器への移し替えを手伝った。使い切りのリフィルなら後の処理も簡単だが、2・4本分という中途半端な増量リフィルなので保管場所などを取り細君には不評であった。しかし不便さ増えてもコストと環境負荷を考えれば納得せざろう得まい。今日喫したアイスコーヒーはプラスチックカップだった。ホットなら紙カップだ。でもアイスが飲みたい。困ったことだが、缶コーヒーよりは良かろう。

願い事-涅槃寂滅、即死でお願いいたします。微量ではありましょうが、環境にも貢献できるでしょう。

もっとも、

朧なり生きる煙と死ぬけむり(よしだ悠)

だから、最後まで汚して逝くわけか。

今日は長嶋さまの随筆を拝読した。やはり球界代表となると長嶋さまになるのだろうか。文藝春秋の巻頭随筆には、少なくとも王貞治氏と野村克也氏の作品が掲載されていて拝読している。好みの問題ではあるが、野村克也氏の随筆が好きだ。

 

「私のあいさつ(89・11) - 野村克也」文春文庫 巻頭随筆6 から

 

去る九月十三日、野球殿堂入りを許された私のために、大勢の方が集まって下さった。その席上であいさつを求められ、思いがけずこれまでの野球人生を振り返ることになった。

 

 

振り返ると、三十六年前は南海のテストに受かるとも思えなかった私が、ここに立っていること自体が不思議でなりません。南海の練習のすごさや金田投手の速球を見ては人生をまちがったな、と思っていたのに、人生とはわからないものです。

現役の二十七年間にはいろんな節目がありましたが、第一関門は一年目のシーズンオフに会社から「君と来年契約する意思はない」と言われたときでした。二軍のレギュラーも取れずに終わることがたまらず、最後には同情してもらうしないな、と三つのときに支那事変で父を亡くし、母に苦労をかけたことを語りましたら、「もう一年、面倒みたる」。

そんなレベルの選手で、一軍に上がれるとは思わなかったのに三年目でチャンスをつかみ、四年目にレギュラーを取った。いける、と思ったものの、八年目にして八番バッター定着、三振王独走.....。限界に打ちのめされたのが第二関門で、二十五歳ぐらいでした。

> 体力と気力を使い果たし、残った頭でピッチャーが投げる前から球種がわかる方法を考えました。毎日スコアブックを持って帰り、データを出してみたり、ピッチャーを観察してクセを発見したりして、ついに八十パーセントはわかって打てるようになった。

技術は二流ですから、オールスターや日本シリーズで打てるわけがありません。データもなければクセも知らない。「大試合に弱い野村」とはそういうことです。ホームラン王の面子にかけて何とかしようと、「直球、カーブ、よしわかった」と打席に入ると、オールスター戦だから、ピッチャーが変わってしまう。

負けた、負けたと思ううちに監督という座についた。監督は大学出の人ばかりで、まさか自分に声がかかるとは思わなかった。七年つとめましたが、今日司会をしている江本、問題児江夏、異端児門田の三悪人によって、監督業がどんなものか勉強ができました。

弱い弱い南海を何とか優勝に導きたいと一生懸命やって、江夏が復帰したから来年は狙える、と思ったら、ここにおります女房のおかげで退任という目にあいました。

これでいよいよ引退だな、と思いましたが金田監督の「捕手をやらないか、お前が欲しい」という一言で、四十二歳で一年間、ロッテにお世話になりました。最後の関門は体力との戦いでした。忘れられないのは、仙台での阪急戦で、今井雄太郎投手に九回二死まで完全試合をやられました。ベンチで見ていて(ここはやはり経験豊かな俺が行こう。今日はシュートが切れているから、狙っていこう)と準備していましたら、「ピンチヒッター、榊」

もう辞めるべきだ、と思うところへ西武の堤オーナーから「君の専門知識を、うちの若い連中に伝授してくれ」と有難い言葉がかかりました。迷って女房に言うと「あんた、野球しか能がないんじゃないの。やったら」というので、ライオンズのお世話になりました。

ある試合で一点負けていて一死一・三塁で私に打順が回ってきました。(よし、外野フライぐらいは。最低の仕事はしなきゃ)と意気ごんで打席へ行こうとしたら「ピンチヒッター、鈴木」。ここで引退を決意しました。

このたび、ベテラン記者の投票で殿堂入りが決まったとの吉報が舞い込んできましたが、自分はプロ野球の中で貢献したなどととんでもない、と思っていました。記者に「非常に有難いが、打撃面が評価されたのか、キャッチャーとして評価されたのか。どっちなんですか」と聞くと、「どっちでもいいじゃないですか」と言う。

私が入団したころ、キャッチャーは壁といわれ、身体が頑丈で肩さえよければよかった。ホームランを打たれ、カーブのサインを出したらどうなったか、と何回も経験して、キャッチャーは大変な仕事だ、と面白くなりました。

データを集め、相手監督の作戦傾向を調べて前の晩から想像上の野球をして、実戦の野球をやって、先発したピッチャーが完投完封すると、ヒーローインタビューに出ているのはピッチャーなんです。江本あたりのへぼピッチャーを頭を悩ませてリードして、インタビューを受けるのは江本です。プロテクターを外し、レガースを外しながら「何を抜かしてるんや。サイン出した俺が偉いんや」とつぶやく。私がこんな暗い人間になったのは、そういう次第なんです。