「夏の電話リレー(平成22年11月) - 長嶋茂雄」巻頭随筆百年の百選 から

「夏の電話リレー(平成22年11月) - 長嶋茂雄」巻頭随筆百年の百選 から

今季は月に二回ぐらいのペースで東京ドームに通った。それが酷暑の八月から残暑どころか猛暑の九月初めにかけては三回になった。セ、パとも近年まれにみる大激戦。二ゲーム、三ゲームの間に三チームが入ってもみ合ったから、順位は日替わり、圧力窯で煮詰められているようだった。
我が巨人の夏場の投手陣は気温の暑さと戦いの熱さで溶けてしまった。観るのは辛いが、観ないわけにはいきません。と言って球場観戦は限られるから、テレビ観戦が日課になった。現場で観るより客観的に状況がつかめて岡目八目、画面に向かって「おい、もう投手交代だろう」などと声をかけてしまう。ところが巨人が遠征に出るとテレビ観戦ができない日があった。試合中継がない。やっていても東京に電波が流れない(のだと思う)。
仕掛けは分からないけれど、テレビには、地上波、BS、CSと色々あってアナログからデジタルに移って多チャンネル時代だそうだ。ならば、とリモコンを押しまくってみたがダメでした。そこで私の秘書役の球団のT君に電話する。「どうなっている。経過を知らせてくれ」。T君は新聞社の速報などを携帯画面で調べ(るのだと思う)、コールバックしてくる。自分でやればよかろう、などと言ってくださるな。私どもの年齢になるとIT機器の操作はたとえ携帯電話でも面倒、困難なのを告白する。だいたい年寄り向きに作られていないから、と脱線しそうになるので話を戻します。巨人ベンチに電話すれば早いだろう、と言う人もいるだろうが、試合中のベンチ、ロッカーは外部との連絡は遮断、ベンチ内に電子機器の持ち込みは禁止されている。スパイ行為禁止のためなのだ。
電話リレーの繰り返し、疲れましたね。
世界中の出来事が瞬時に映像で見られる二十一世紀に、声のリレーで試合経過を知ろうとは思わなかった。テレビが野球と疎遠になってしまった理由はなんだろう。試合時間の長さなのか、視聴率が下がったためなのか。球場で感じる空気では野球人気が落ちているとは思えないが、テレビ側のビジネス・デシジョンだから、どうしようもない。
大リーグではどうなのか。日本より中継事情がいいのは想像していたが、想像のはるか上でした。全三十球団が出資して立ち上げたテレビ局が大リーグ機構のウェブサイト内にあって、全試合の中継配信をやっているそうだ。年間千七百円ほどで全試合が日本はもちろん世界中のファンのパソコンや携帯に届くらしい。大リーグの“商業主義”には時々げんなりさせられるが、我が理想とする「野球をファンの手に」がどうやら実現していらしい。ただ、日本のファンが日本の試合が観られず、大リーグの全試合試合はいつでも携帯から取り出せる、という状況は何となく面白くありませんね。「携帯のあの豆画面で野球を観てどうなのだ」と憎まれ口をたたきたくなってくる。
とまれ、テレビ中継は野球をファンの身近に届けてくれることで大切だ。特に子供のファンには影響が大きい。少年時代、ラジオの実況中継を真似ながらプレーをしていた自分を振り返ってもそう思う。テレビで知った選手のプレーを真似する、家族や友達と話題にする、そうして野球が当たり前のように日常生活に溶け込む……その野球が大リーグの試合では、と複雑な思いになる。
夏の電話リレーのドタバタは、私にこんなことを考えさせた。プレーの実力は大リーグに接近したが、ビジネスのスケールが違う、ビジネスへの積極性が違う、セールス力が違う、情報発信力が違う。「野球はスポーツと言うにはビジネスでありすぎ、ビジネスと言うにはスポーツでありすぎる」と言うそうだが、スポーツとこんなビジネスのトータルが「野球=ベースボール」というなら、日本野球は大リーグとはまだ差があるのを痛感する。柄にもなくシリアスになりましたが、日本野球が良くなることを望んでいるので、点数は辛くなってしまう。
ところで、クライマックス・シリーズと日本シリーズ、まさか電話リレーをするようなことにはならないでしょうな。