(巻二十)真裸で屈葬のかたちで泣いて(河西志帆)

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9月20日木曜日

今日のイベントが滞りなく執り行われることを祈願し、有楽町駅の大黒さまに五十円奉納致しました。
偉い方のお時間を
戴いて、偉い方を引き合わせるお仕事が最後のお仕事になりました。
すべて予定通りに進行し“有終の美”を飾ることが出来ましたのも大黒さまと姐さんそれに皆様のお蔭でございます。ありがとうございました。

役割を果たして晴れて落し水(萩風昇風)

と挟むと生意気でございますが、これが最後とご容赦願います。

“ときわ”は木曜日が休みなので飲まずに帰宅した。飯を食って机に落ち着いたが、雑音は耳に入れたくないので久しぶりにプロ野球のラジオ放送を聴きました。

ナイターや議論つきねど運尽きて(水原秋桜子)

ニッポン放送は広島対阪神を、文化放送は北海道対福岡を放送している。雨のために予定した試合中止になり、東京で聴く者から云うと、予備の試合を放送しているようである。
どっちが表でどっちが裏か?とにかくプロ野球の人気球団は随分と変った。少なくとも1960年代半ばまでの関東以北では巨人ファンに非ずんば人に非ずの観があった。今はフランチャイズが定着し、支持を全国区に依存していた巨人は東京ブランドを土着型のスワローズに確立されてしまい、地盤なし球団となってしまった。

では、なぜプロ野球球団の地方化が進んだのであろうか。
一つには電鉄四球団の関西密集や新聞映画食品の四球団の東京集中という状況があり集客力に将来的希望が持てなかったこともあろう。
福岡や札幌のように行政が建てた函物に入れるソフトとして球団が呼ばれたと云う面もあっただろう。
しかし、いずれも球団経営と云う観点からの地方展開であった。
しかし、地方の人々が球団のファンになってくれなければ球団の経営は成立しない。果たして地方に行ってもそこでファンを獲得できると確信できたのはなぜか。
地方ファンを獲得できた原因はプロ野球ファンの内発的な意識変化によるものではない。
これはプロサッカーJ1の発足の波及効果によるものと断定する。
J1はビジネスモデルをヨーロッパ各国の国内リーグに求め移植した。それは地域密着型のクラブチームによるリーグ戦方式である。
先ず地元があってそこにチームがある。地元の人は地元クラブチームのファンである。
この意識の変革がプロ野球ファンにも波及し、西鉄、広島、中日くらいにしか見られなかった土着意識を、J1の後追いで、地方プロ野球ファンが持つ下地ができたのである。
そしてその目算で地方に出たのだ。