(巻三十六)蕎麦太きもてなし振りや鹿の声(夏目漱石)

(巻三十六)蕎麦太きもてなし振りや鹿の声(夏目漱石)

5月10日水曜日

晴れ。細君はコレステロールで検診に出かけた。細君の体型は痩せすぎ一歩手前で現物はずいぶん見ていないがガリガリ近い。体型的にはコレステロールとは縁が無さそうなのだが母親がその系統で倒れ20年近く寝込んだ。妹はコロコロに近いがやはりコレステロールの薬を飲んでいるらしい。そういうことなのだろう。とにかく、私が先に逝かせて貰わないと困るので健康管理は怠りなく願いたい。

で、昼飯はパック赤飯とカップ麺と致した。日清のチキンラーメンにした。伝統の味なのだろうが、刺激がない。

昼飯喰って、一息入れて、瞑想してから、散歩。

半ズボンを探しに白鳥生協の2階の“しまむら”に向かった。葛飾野高校の塀沿いに歩いて行くと裏門の所でお婆さんが近寄ってきた。道を教えてくれと云う。どちらへと訊くと「トウワ」だと云う。「足立区の東和ですか?」と念を押すとそうだと云う。東和からお花茶屋の病院に行った帰りに道に迷ったと云う。色々な人に道を訊いたがあっちだこっちだと云われて迷ってしまったと云う。東和からお花茶屋まで歩いて、また引き返すなんぞ相当の健脚だ。小さなリックを担い、日除けの帽子を被り、身なりもしっかりしているので徘徊老人ではなさそうだ。徘徊老人なら手にあまるので3607-0110、つまり亀有警察の相談窓口へ電話して対応をお願いするところだが、痴呆の気はないようだ。「迷子になっちゃったんだね」と云うと、“迷子”という詞が気に入らなかったのかちょっと憮然とした顔付きになった。「亀有駅まで戻れれば、帰れるかな?」と訊くと北口からなら大丈夫だと云うので3分ほど歩いて“亀有新道”に出て修徳バス停まで案内した。「バスに乗れば亀有駅に行けるし、バスが嫌ならこのバス通りを真っ直ぐ歩いて行けば亀有駅に着きますよ」と北の方を指差した。お婆さんは手を合わせるようにしてお礼を言ってくれた。

家にも迷子になる婆さんが居るし、ちゃんと帰れただろうか。

そこからコースをリセットし“しまむら”に到着。半ズボンの売場でベルト通しがあって、かつゴムで伸縮する形状の半ズボンを見つけた。が、お値段が1280円。流石にこのお値段の品となると粗末な物だ。生地が何だか分からないような、そしてガーゼのように薄い。三度洗濯したら透けて見えてしまうような、一夏でお尻が擦りきれてしまうような、流石“しまむら”と云うような代物だったので止めた。他は知らないがここの“しまむら”は女性洋品がメインで売場占有率の男女比は1対9くらいではないだろうか。

手ぶらで“しまむら”を退出し、1階の生協の惣菜売場を覗く。寿司も餃子もレバニラも焼きうどんも揚げ物もあったが飲みたくならず。一巡して退出。

帰り道、白鳥の都住で若い猫を見かけて声を掛けた。今日で3回目の接触だが、しっかりと覚えていてくれて逃げない。スナック一袋目ですっかりお友達になり膝にすり寄り尻尾まで触らせてくれた。二袋あげて今日はお仕舞い。まだ仔猫の名残りがあるいい猫だ。「ワカちゃん」と名付けよう。

ファミマでアイスコーヒーを喫して、修徳裏を歩き、二丁目のさくら通りで草むらのモズらしきをバード・ウオッチング。クロちゃんを訪ねたが不在。トモちゃんは居て、今日は首の回りを掻き掻きするところまで二人の関係が進展いたした。

願い事-涅槃寂滅、即死でお願いいたします。極楽も地獄もない。ただ生き物として存在しなくなるだけだ。早く存在を止めたい。フッと消えて終いたい。

今日から愛鳥週間とのことだ。場末のごみごみしたところだが、この一画には樹々もある。葛飾野高校に隣接していることもあり花鳥風月に恵まれている。その時季になればウグイスも鳴く。揚羽も来る。で、双眼鏡など持ち出してみた。で、

「鳥たち - 日高敏隆」ベスト・エッセイ2006から

を読み返してみた。

愛鳥週間おんな同士のよく喋り(成瀬桜桃子)

「鳥たち - 日高敏隆」ベスト・エッセイ2006から

二〇〇五年は酉[とり]の年だ。

酉とは単なる鳥ではなく、鶏のことだそうである。

えとの十二の動物のうち、九つが哺乳類、辰[たつ]を爬虫類とすれば二つが爬虫類。鳥類は鶏ただ一つかと、何だかふしぎな気もするが、かつての中国の人々の関心がそのようなものであったのだろう。

とにかくぼくが東大理学部の動物学科を卒業し、大学院を終えて就いた職は東京農工大学の教員。一般教育部の動物学と農学部の農業昆虫学が担当であった。

講義と実習を受けもつ身になって、ぼくは「改めて勉強しなければ」と思った。

農工大はその名のとおり農学部と工学部という二つの学部から成っている。農学部の学生は生物が多少とも好きだろうが、当時の工学部の学生は生物に関心はなさそうだった。講義はまだよいとして実習で何をやったらよいだろうか?ぼくは一生けんめう考えた。

そうだ。鳥の解剖をやってみよう。工学部でも航空工学は習うことになっている。飛ぶ動物がどんなものか見ておくのはけっして悪いことではないだろう。

そう思ったぼくは鳥の勉強を始めた。東大動物学科では鳥のことなんか教わっていなかったからである。

農工大の農場で廃鶏として処分することになっている鶏をもらってきて、鳥の本を読みながら解剖を始めてみると、鳥というものがいかにすばらしい動物であるかがたちまちにしてわかった。からだのすべてが、「飛ぶ」ということのためにできあがっているのである。ぼくは心底から鳥の賛美者になってしまった。

まず頭だ。鳥の頭にはくちばしがついているが、そのくちばしに歯などはない。歯をつけとものを噛もうとしたら丈夫なあごをもたねばならぬ。そんなことをしたら頭が重くなって飛べなくなる。鳥の祖先は爬虫類にあった歯をすべて捨てて、餌を丸呑みすることにした。

丸呑みにした餌は胃で何とかせねばならぬ。そこで胃に頑丈な筋肉をつけ、さらに胃の中に砂粒や小石を呑みこんで、その両者の力で餌を擦りつぶすことにした。これがやきとりで賞味される「砂ぎも(砂ずり)」である。そしてこの重い胃は、体の重心の位置に置いて、飛ぶときも歩くときも支障のないようにした。

飛ぶためにはもちろん強力な翼が要る。鳥と同じく空を飛ぶ動物である昆虫は、肢とは関係なく、体の側面の出っぱりを翼に仕立てあげたが、鳥は思いきって前肢を翼に変えてしまった。そしてそれを体の中心部までずらした。腕の筋肉も強大なものにした。この筋肉がいわゆる「ささみ」である。

前肢を翼に変えてしまったから、肢は後肢しか残っていない。この後肢を前にずらして、翼のほとんど真下にもってきた。こうすれば、飛ぶときでも歩くときでも、体の重心はほとんど変わらない位置にくる。

けれど、翼を羽ばたいたとき、からだがぐにゃぐにゃしていたら翼の力は分散し、うまく飛べないにきまっている。そこで鳥は、胸と腹を合わせて一つの頑丈な箱にしてしまった。だから鳥は体を曲げたり、ねじったりすることができない。

それを補うため鳥は、爬虫類の長い首をますます長くして、それで地上の餌をついばんだり、羽を整えたり、歩くときの体のバランスをとったり、何でもできるようにした。

しかし、とにかく飛ぶためには、体が重くてはどうにもならない。鳥は体を極度に軽くしようとした。腸は二重に折り曲げて、小さな腹腔内にたたみこんだ。ちょうどぼくらが長い紐を二重に折りたたんで収納するようなものである。そして可能なかぎり栄養価が高く消化のよい餌を摂り、糞はできるそばから捨ててしまって、余計な重さを持ち歩かないようにした。たいていの鳥がところかまわず糞をするのも空を飛ばんがためである。

多くの鳥はかなりの高速で風を切って飛ぶ。そのとき鳥は息を吐き出さず、肺から体の後方へ延びた気嚢のほうへ空気を押しこんでいくのだそうである。そのおかげで鳥の体はますます軽くなる。そして飛ぶ速度をゆるめたり、木にとまったりしたときに一気に吐き出すのだと本には書いてあった。

翼にもいろいろな工夫がこらされている。鳥の翼は前肢であるから、要するにわれわれの腕にあたる。二の腕の部分がごく短くて、長いのはわれわれの肘から先にあたる部分である。そこにはたくさんの硬い羽毛が後向きに生えており、これが飛行機の翼と同じ働きをする。

推進力を出すプロペラがどこにあるのかはまだよくわかっていないらしいが、とにかく鳥は翼を羽ばたくことに推進力を得ていることはたしかである。

けれど、鳥は推進力だけでは飛べない。空中に体を浮かす揚力を得なければならない。その揚力を生じるのは、鳥の翼の断面の形である。前方がふくらみ、後方が平たく薄くなったあの形が、推進力でひっぱられると揚力を生じるのだ。

このことは人間が鳥の航空力学を研究した二〇世紀になって、やっと発見された。そこから人間は「動かない翼の理論」を構築し、それに従って今の飛行機を作った。

つまり、鳥は翼を羽ばたいて推進力を得ているが、揚力を得るのに羽ばたきは必要ないのである。レオナルド・ダ・ヴィンチ以来、人間は羽ばたき飛行機を考えて空を飛ぼうとしたがすべて失敗した。鳥はもっと進んだ理論をちゃんと知っていたのである。

鳥は空を飛ぶためにこの他にもじつにたくさんの工夫をした。そのおかげで鳥たちは、優雅にかわいらしく、あるいは雄壮に空を飛び回っている。

ぼくは鳥たちをみるとき、いつも限りない敬服の念を覚えるのである。