(巻三十七)生きること一筋がよし寒椿(五所平之助)

(巻三十七)生きること一筋がよし寒椿(五所平之助)

5月23日火曜日

雨。今日は気温が昨日の半分、15度止まりということだが、半ズボンとTシャツでいる。

朝家事はなし。洗濯は昨日の夕方に致した。

彼奴は電話で、先ず最寄のクリニックにコロナ注射のことを問合せしていた。掛かり付けの方には予約なしで接種するとのことで予約不要。由々。

2本目は区役所へで、マイナンバー・カード交付の予約についてである。駅前の区民事務所は7月まで予約満席で8月はまだ受付していないとの由。区役所まで行けば7月中の予約が可能との由。「どうしょうか?」と相談に来たので「早いとこ、終わらせたら。」と申したら、「意見は訊いていない」とのたまうので「それなら相談に来るな」と申した。結局、7月初旬に区役所で手続きすることにしたようだ。

昨日は飯を炊かなかったので昼飯はオープン・サンド、それを喰って、一息入れて、瞑想せずにコチコチいたす。雨やまず。

《「女体の最も隠微な部分のもっている真の意味 - 北原武夫」」ちくま文庫告白的女性論 から》

なんてぇのを読み始めた。

「花嫁の一の道具は荷にならず」なんてぇのを思い出したが、体験的に道具の良し悪しは分からない。味覚も鈍なら触覚も鈍だ。

「……ココデ僕ハ、イヨイヨ彼女ノ忌避ニ触レル一点ヲ発[アバ]カネバナラナイガ、彼女ニハ彼女自身全ク気付イテイナイトコロノ或ル独得ナ長所ガアル。僕ガモシ過去ニ、彼女以外ノ種々ノ女ト交渉ヲ持ッタ経験ガナカッタナラバ、彼女ダケニ備ワッテイルアノ長所ヲ長所ト知ラズニイルデモアロウガ、若カリシ頃ニ遊ビヲシタ事ノアル僕ハ、彼女ガ多クノ女性ノ中デモ極メテ稀ニシカナイ器具ノ所有者デアル事ヲ知ッテイル。彼女ガモシ昔ノ島原ノヨウナ妓楼ニ売ラレテイタトシタラ、必ズヤ世間ノ評判ニナリ、無数ノ嫖客ガ競ッテ彼女ノ周囲ニ集マリ、天下ノ男子ハ悉ク彼女ニ悩殺サレタカモ知レナイ。……」

谷崎潤一郎の『鍵』の引用で筆は起こされているがさてどんな展開になるのやら。

昨今、ネットを捲ればあれはいくらでも出てくる。部位としては中心なのだろうが、見て楽しめるものではない。好みは背中だ。くびれからの膨らみ、ハート形をひっくり返したようなのが美的にもよろしい。これも歳のせいか。

願い事-涅槃寂滅、一発コロリンです。

で、

「鍵(郁子・四月十七日) - 谷崎潤一郎新潮文庫 鍵・瘋癲老人日記 から

を読み返してみた。

「鍵(郁子・四月十七日) - 谷崎潤一郎新潮文庫 鍵・瘋癲老人日記 から

夫に取って重大な事件の起った日、私に取っても重大な日であったことに変りない。事に依ると今日の日記は生涯忘れることの出来ない思い出になるのではないかと思う。従って今日一日の出来事は細大隠すところなく刻明に書いておきたいのだけれども、しかしそう云っても早まったことはしない方がよい。矢張今のところ、今日の朝から夕刻まで私が何処でどう云う風に時間を消費したかについては、あまり委[くわ]しくは書かない方が賢明である。とにかく私は、今日の日曜日をいかにして過すかは前から極めて置いたのであるから、その通りにして過ごした。私は大阪のいつもの家に行って木村氏に逢い、いつものようにして楽しい日曜日の半日を暮らした。或[あるい]はその楽しさは、過去の日曜日のうちでは今日が最たるものであったかも知れない。私と木村氏とはありとあらゆる秘戯の限りを尽して遊んだ。私は木村氏がこうして欲しいと云うことは何でもした。何でも彼の注文通りに身を捻じ曲げた。夫が相手ではとても考えつかないような破天荒な姿勢、奇抜な位置に体を持って行って、アクロバットのような真似もした。(いったい私は、いつの間にこんなに自由自在に四肢を扱う技術に練達したのであろうか、自分でも呆[あき]れる外はないが、これも皆木村氏が仕込んでくれたのである)ところで、いつもは彼とあの家で落ち合うと、合ってから別れるギリギリの時間まで、一秒の暇も惜しんで全力的にその事に熱中し、何一つ無駄話などはしないのであるが、今日はふっと、「郁子さん、何を考えているんですか」と、木村が眼敏[めざと]く気がついて私に尋ねた瞬間があった。(木村は疾[と]うから私のことを「郁子さん」と呼んでいるのである)「いいえ別に」と、私は云ったが、その時、ついぞないことに、夫の顔がチラリと私の眼の前を掠[かす]めた。どうしてこんな時に夫の顔が浮かんで来たのか不思議であったが、私が一生懸命にその幻影を打ち消すように努めていると、「分っていますよ、先生のことを考えているんですね」と、木村が図星を指して云った。「どう云う訳か、僕も先生のことが気になっていたところなんです」 - そう云って木村は、あれきり閾[しきい]が高くなって御無沙汰をしているので、近々お伺いしなければならないと思っていた、実は国元へ手紙を出して、カラスミ[難漢字]をお届けするように云いつけてやったのだが、まだ届いていないでしょうか、などと云った。その話はそれで途絶えて、二人は再び享楽の世界に浸り込んだのであったが、今から思うとあれは何かしら虫が知らせたのかも知れない。

......五時に私が帰って来た時、夫は外出中であった。婆やに聞くと、今日も指圧の先生が来て二時から四時半ぐらいまで、昨日より三十分以上も長く治療していた。肩がこんなにひどく凝るのは血圧が高い証拠であるが、医者の薬なんぞ利きはしない、どんなに偉い大学の先生にかかってもそう簡単に直る筈はない、それより私にお任せなさい、請け合って直して上げる、私は指圧ばかりでなく、鍼[はり]も灸[やいと]も施術する、先ず指圧をして利かなかったら鍼をする、眩暈[めまい]は一日で効験が現われる、などとあの男は云ったと云う。血圧が高いと云っても、神経を病んで頻繁に測るのは宜しくない、気にすれば血圧はいくらでも上る、二百や二百四五十あっても不養生をして平気で生きている人が何人もいる、無闇に気にしない方がよい、酒や煙草も少しぐらいは差支えない、あなたの高血圧は決して悪性のものではないから、大丈夫良くなりますと云ったとやらで、夫はすっかりあの男が気に入ってしまい、これから当分毎日来てくれ、もう医者は止める、と云っていたと云う。六時半に夫は散歩から帰って来、七時に二人で食事をした。若筍[わかたけのこ]の吸い物、蚕豆[そらまめ]の塩うで、きねさやと高野豆腐の焚き合せ、 ー 昨日錦で買ってきた材料を婆やが料理したのである。外に六十目程のヒレ肉のビフテキ。(野菜を主にして脂肪分の濃厚なものは控えるように云われているのだが、夫は私との対抗上毎日欠かさず牛肉の何匁[もんめ]かを摂取している。スキヤキ、ヘット焼、ロースト等々いろいろであるが、半生[はんなま]の血のたれるステーキを最も好んで食べる。嗜好よりは必要のために食べるので、欠かすと不安を覚えるらしい) - ステーキは焼き加減がむずかしいので、私がいる時は大概私が焼くのである。カラスミがようよう届いたと見えて、それも膳の上に載っていた。「これがあるからちょっと飲もうか」ということになって、クルボアジエを運んで来たが、沢山は飲まなかった。先日私の留守中に敏子と喧嘩をした時に、夫があらかた壜[びん]を空にしてしまって、底の方にちょっぴり残っていたのを二人で一杯ずつ乾したのであった。夫はそれから又二階へ上った。

十時半に風呂が沸いたことを二階へ知らせた。夫が入浴したあとで私も浴びた。(私は今日は二度目である。さっき大阪で浴びたので、浴びる必要はなかったのであるが、夫に対する体裁上浴びた。今までにもそんなことは何回かあった)私が寝室に這入[はい]った時、夫は既にベッドにいた。そして私の姿を見ると直ぐにフロアスタンドを点じた。(夫は昨今、あの時以外は余り寝室を明るくすることを好まなくなっていた。それは動脈硬化の結果が眼にも来ていて、周囲の物象がキラキラと二重にも三重にも瞳に映り、視覚を強く刺戟[しげき]して眼を開けていられないらしいのである。で、用のない時は薄暗くしておいて、あの時だけ蛍光燈を一杯にともす。蛍光燈の数は前より殖えているので、その時の明るさは可なりである)夫は急に明るくなった光の下に私を見出して、驚きの眼をしばだたいた。なぜかと云うのに、私は風呂から出ると、ふと思い付いて、イヤリングを着けてベッドに上り、わざと夫の方に背中を向けて、耳朶の裏側を見せるようにして寝たからである。そう云うほんのちょっとした行為で、今までして見せなかったことをして見せると、夫は直ぐに、簡単に興奮するのである。(夫は私を世にも稀なる淫婦であるように云うけれども、私に云わせれば、夫ぐらいたえず慾望に渇[う]え切っている男はいない。朝かは晩まで、どんな時でも夫はいつもあのことばかり考えていて、私の極めて僅かばかりの暗示にも忽[たちま]ち反応を呈せずにはいない。隙を見せれば即座に切り返して来るのである)間もなく私は夫が私のベッドの方へ上って来、うしろから私を抱きすくめて耳の裏側へ激しい接吻をつづけざまに注ぐのを、眼をつぶったまま許していた。......私はそんな工合にして、今までどんな意味ででも愛しているとは云い得ないこの「夫」と云う人に、自分の耳朶をいじくらせることを、決して不愉快には感じなかった。木村に比べると、何と云う不器用な接吻の仕方であろうと思いながら、この「夫」の変にくすぐったい舌の感触を、そう一概に気味悪くは感ぜずに、 - まあ云って見れば、その気味の悪いところにも自[おのずか]ら一種の甘みがあると云う風に思いながら、味わうことが出来たのであった。私は「夫」を心から嫌っているには違いないが、でもこの男が私のためにこんなにも夢中になっているのを知ると、彼を気が狂うほど喜悦させてやることにも興味が持てた。つまり私は、愛情と淫慾とを全く別箇に処理することが出来るたちなので、一方では夫を疎[うと]んじながら、 - 何を云うイヤな男だろうと、彼に嘔吐[おうと]を催しながら、そう云う彼を歓喜の世界へ連れて行ってやることで、自分自身もまたいつの間にかその世界へ這入り込んでしまう。最初私は、自分自身は恐ろしく冷静であって、ただいかにすれば彼をこれ以上悩乱せしめることが出来ようかと、一途にその面白さに惹かれ、彼が今にも発狂しそうに喘[あえ]ぐさまを意地悪く観察しつつ、自分の技術の巧みさに自分で酔っているのであるが、そうしているうちに、次第に自分も彼と同じように喘ぎ出し、同じように悩乱してしまう。今日も私は、昼間木村と演じた痴戯の一つ一つを、そのままもう一度夫を相手に演じて見せ、彼と木村とがどう云う点でどう云う風に違うかを味わい分けることに興味を感じていたのであったが、 - そして昼間の相手に比べて、この男の技の拙劣なのに憐びん[難漢字]をさえ催していたのであったが、どう云う訳か、そうしているうちに結局私は昼間の場合と同じように興奮してしまった。そして木村を抱き締めたと同じ力でこの男を強く抱き締め、この男の頸[くび]に一生懸命獅噛[しが]み着いた。(ここらが淫婦の淫婦たる所以[ゆえん]であると、この男は云うのであろう)私は凡[およ]そ何回ぐらい、彼を抱き締め抱き締めしたかは覚えていない、が、私が何分間かの持続の後に一つの行為を成し遂げた途端に、夫の体が俄[にわ]かにぐらぐらと弛緩し出して、私の体の上へ崩れ落ちて来た。私は直ぐに異常なことが起ったのを悟った。「あなた」と私は呼んでみたが、彼はロレツの廻らない無意味な声を出すのみで、生ぬるい液体がだらだらと私の頬を濡らした。彼が口を開けて涎を滴[た]らしているのであった。.........