「草食系とは - 西村賢太」随筆集一日[いちじつ]から

 

「草食系とは - 西村賢太」随筆集一日[いちじつ]から

草食系男子-と云う言葉は最近になって知った。が、その語の大まかに定義するところは飲み込めたものの、身体的な感覚の方はもう一つわからない。
いったい或る程度健康なオスが、女体を得られずに平気でいられるものなのだろうか。精神的なことは抜きにしても、生理的な慾求は自分で済ませてそれで事足りるものなのだろうか。或いはそれすらも物憂く、ただ自然の流れに委ねたいと云う向きもあるのだろうか。夢精こそ最上の快楽と心得るマニアもいると聞くが、するとその種の者をも包括する総称と云う風に思っていいのだろうか。
そう云えば以前、二十代半ばの頃に或る施設で夜警のアルバイトをしたことがあったが、そこには中年の男とペアで派遣される次第となったものである。で、その中年と云うのは眼鏡をかけた天然パーマ。しまりのない脂肪太りをし、鼻の頭が赤光りしていて、いかにも魯鈍な表情の小男だった。
根が自分より弱そうな相手には、すぐイニシアチブを取りたがる癖のあるある私は初日の時点でこの年長の彼を嘗めきり、いろいろと私生活上での質問を不躾にしてやったが、その中で彼は、これまで一度も女性と交際した経験がないことを至極平然と口にした。なら、もっぱら風俗ですか、と尋ねると、その手の店にも一度も行ったことがないと言う。
それを全く恥じず臆せず、恰[あたか]も小学生が喫煙経験の無いことを答えるような調子で言うので、私はゾッとチリ気立ち、御年三十七だと云う彼に、冗談めかしてホモですかと聞けば、イヤそっちではなく、女性には興味があるけど、最近の女性はスレているから、なぞ更に気色の悪い語を継いでくるような男であった。
-今思うと、どうも彼のような人がさしずめ草食系男子のはしりと云う気もするが、けれど巷間云うところのその語の指すタイプは、この種の者とはまた違う気もする。殊に女の視点から見た場合は、これはもう決定的に違っている気がする。
要するに、女が望む外見その他のすべての条件を水準以上に満たしつつ、それでいて淡白なぞ云う、当人がどこまでもデオドラントに向き合える相手をしてのみ、こう称されているのであろう。
なれば私もまた、自身望むと臨まざるとにかかわらず、傍目[はため]には極めて非草食系の男だと云うことになりそうである。
なぜならば、私は先の、かの中年童貞の人物以上に、外見的にも内面的にも異性から忌み嫌われると云う要素を、不思議なくらい十全に備えているからだ。
ただ私の場合は、実際にも女体なしでは到底いられぬ性分ではある。できることなら毎日でも女体の熱い感触の中に自らを埋没させたい男なのである。だが如何んせん、そんな要素に阻まれ素人の異性とは一切縁が持てぬので、仕方なく外で買淫に赴くことで済まさざるを得ない。
つまりは素人女をものにできぬが故の買淫、と云う図式であるが、これは確かに情けない。情けないと同時に、甚だ自分へのあきたりなさ[難漢字]を感じることもこの上ないが、しかし反面においてはひどく気楽でいられると云う利点もある。
何しろ、一切後腐れと云ったものがない。すべては数枚の紙幣で、長くとも百二十分間だけのつき合いで済むのである。

それは私も、そうは云ってもときには相手をしてくれた風俗嬢(との呼称を、風俗嬢本人はえらく嫌うが)に連絡先を聞いたり、たまさか店外での接触を計ろうとすることもある。そしてほんの数度だが、店を通さずの交合例もあれば、僅か二度きり、全く金銭を介在させずの成功例もあるにはあった。だが、これらの際でもすでに相手の体は知っている次第だし、拒まれればそのときは金を出せばいくらでもその思いは果たせるのだとの余裕もあり、何んら気持ちに負担のかかることはなかった。一寸した擬似恋愛気分を味わった上で、放液できればもう充分なのである。
が、これはいわば恋愛の本然のプロセスには及び腰で、ただひたすら肉慾の情のみに突き動かされている次第に他ならないから、見方を変えれば案外精神的には立派な草食系と云うかたちになってしまうやも知れぬ。
現にかような私でも、過去にはほんの短短期間ながら素人女と同棲していた時期があるのだが、いざそうして夜な夜な女体を横付けにしてみると、意外とこれに触手は伸びないのである。
交際当初や同居直後には、毎日毎晩、二度も三度も求めていたものが、一箇月め経つと途端に憑き物が落ちたような塩梅となって、何かそうした行為が訳もなく面倒臭くなってしまうのである。
と言って、肉体の方は至って健康故、生理的な慾求はどうしたってやってくる。しかし気持ちの方がまるでついていかないので、汚い話だが、自らこっそりその処理をしたり、同棲相手の女性に安風俗さながらの、手によるサービスを強要してそれであっさりと満足してしまう。
結句[けつく]、同じ相手と同じ行為を繰り返すのに厭きてしまうのである。たまに会うぐらいの関係ならまだ良いが、起居を共にし、二六時中顔を付き合わせているようになれば、種々嫌悪を覚えるところや鼻につくところも気になりだす。うっかり後架で相手の大便の残り臭を嗅ごうものなら、もう金輪際、指一本触れる気持ちも失せてくる。
しかしながら、相手が変われば、またこちらも気分がリセットされ、生殖機能も活性化してくるのである。
無論、先にも述べたように、まるでモテない私がこんな台詞はとても吐ける柄ではないが、しかし事実、同一人物相手だと、一転して私は、見事にセックスレスの草食系に変じてしまっていた。
と云って、次から次へと相手を変えられるだけの要素には一切恵まれていないのだから、思えば世の中と云うのはうまく行かないようにできている。
だから思うに、草食系の反語たる肉食系とは、表層面での事柄とは別に、それは妻帯者の男全般を指すものであると云う気がする。
同じ相手と結婚までし、子を産んで、日に日に汚なくなってゆく妻を、たとえ年に数回程度だろうとこれを抱き、当然のように養っている、精神的に実にタフな男のことを言うのではないかと云う気がする。
それが到底できぬ、私のように卑怯で自分本位な精神的草食系は、四十を過ぎて白眼視されようと、やはり毎回異なる女体を求めて買淫にいそしむより他ない。